踏みにじられる日常
「あ、いたいた」
昇降口で室内靴に履き替えていると、壁に寄りかかって私を待ち受ける人物があった。
「おはようございます、美浦さん」
「おはよ」
欠伸交じりの挨拶もそこそこに、彼女が振ってきた話題は昨日のことだった。
「昨日の夜、舞依と電話したんだよ。すごい楽しかったみたいじゃん」
教室に向かいながら、軽く昨日の出来事を説明する。美浦は心底嬉しげに相槌を返していた。
「……ありがとね。マクニール」
美浦は急に改まった調子で、そう言った。
「あの子、すごく喜んでたんだ。気の合う友達ができたかもしれないって。私、花とかよく分かんないじゃん?だからあんたは良い話し相手になれるよ、うん」
「はぁ」
「何よ。友達じゃ物足りないって?」
「いえ、そういう意味では」
「これからも、舞依と仲良くしてあげてね」
「それはもちろ――」
「マクニール?どうかした?」
「……いえ」
「なんか、怖い顔してるけど」
「この学校、外国人の先生は在籍していましたか?」
「うーん、私は知らないけど」
そのまま2年1組教室の前まで来て、彼女は中に入っていこうとする。
「美浦さんも、次はご一緒しましょう。今度は仮病など使わずに」
「あはは……そうしまーす。じゃね!」
美浦と別れてすぐ、私も隣の教室に入った。今朝はいつにも増して騒がしかった。しかし日頃と違って、クラスメートの視線がやたら私に向けられている。潜入している身としては、注目されるのは良い傾向とは言えない。会話の内容に聞き耳を立てながらも、まずは昨日の食事のお礼のために星降の席を目指した。
「っ!!」
だが私の姿を見るなり、星降は泣きそうな顔をして俯いてしまった。
「うわ、やっぱりまじかな?」
「うそ~!」
外の駐車場から聞こえる車の乗り入れ音のせいで、クラスメートの会話は完全には聞き取れない。しかし好奇と嗜虐の入り混じった声色だけはすぐに察することが出来た。
「田中が見たんだってよ。駅前で弁当食べてたらしいよ、二人きりで」
「しかも、手作りっぽかったって!」
「それ、デキてるってことじゃん?」
遺憾ながら、話題の人物は私と星降で間違いなさそうだ。
「なぁ、レオル」
肩を叩かれ振り返った私の前には、クラスメートの男子生徒が3人立っていた。
「お前さ、昨日何してたん??」
にやけながら尋ねてきた彼は、私と星降の方をちらちら見ていた。
「隣のクラスのやつに聞いたんだけどさ、お前とUFO女でデートしてたんだって?」
それが聞こえたのか、星降が椅子を引いて立ち上がった。他のクラスメートたちも口々に何かを囁き合いながら、星降と私を交互に見つめていた。
「それがどうかしましたか?」
「いいなーお熱くて!お前ら付き合ってんの?」
「それは恋愛関係にあるという意味でしょうか?だとすれば違いますが――」
「そう照れんなって!なぁ、UFO女!」
3人の男子生徒は、立ちすくんでいた星降の方を向いた。彼女は顔を真っ赤にしたまま押し黙っている。
教室中の好奇の視線が、彼女につき刺さっていた。
「……違います」
突如星降は、口を開いた。
「マクニールくんとは、そういう関係じゃありません。私が……無理やり誘ったんです。だから恋人同士でも、友達同士でもありません。だから――」
絞るように言葉を紡いだ彼女は、拳を握りしめ、小さく震えていた。俯いた顔は黒い髪に隠れているが、私には一瞬見えてしまった。
「だから、マクニールくんのことまで、悪く言わないで下さいっ!!」
彼女の目には、いっぱいの涙が浮かんでいた。
それでも私を庇おうとする彼女を前に、所々から笑い声が漏れてくる。
「そんなんどうでもいいわ!てかレオル、止めとけよ。あいつ、UFOにさらわれたとか言ってる嘘つきだぜ。どうせお前も付きまとわれたみたいな感じだろうけど」
「……一つ、質問をよろしいですか?」
下卑た笑みを浮かべたまま、男子生徒が「なんだよ」と応じる。
「彼女の言葉が嘘だと、論理的に証明できますか?」
「は?どういうこと?」
「言葉のままです。貴方はどうです?貴方は?」
彼らは互いに顔を見合わせて、小さく首を傾げるだけだった。
「根拠もないのに嘘と断じるとは、皆さんは実に奇妙ですね」
「え、何だよそれ。感じ悪っ」
「なんかうぜー」
彼らを無視したまま、星降のもとに歩み寄った。
「ここは非常にうるさいので、外へ行きましょう」
何も返事をしない星降の手を取り、半ば無理やり歩かせた。そんな私たちの姿に、クラスメートたちは愚かしい野次と共に嘲笑していた。
「お言葉ですが」
私が振り返って声を上げると、クラスメートたちは途端に静まり返った。改めて見ると、何とも間抜けた面構えばかりであった。
「あなた方はもう少し理性を働かせた方が良いです。これでは犬畜生並みの考え無しですよ」
呆気に取られたクラスメートたちをしり目に、私たちは足早に去っていった。
暫くの間、互いに無言のままだった。廊下は騒がしいはずなのに、手を引く私と後をついて来る彼女の靴音しか耳に入ってこなかった。
「どうして」
そんな沈黙を破ったのは、意外にも星降の方だった。
「どうして、あんなことを言ったの?」
彼女が手入れする花壇まで辿り着くと、彼女の声色はより感情的になっていた。
「あんな言い方したら……マクニールくんまで悪く思われるよ!私みたいに」
星降の小さな手を握ったまま、振り返る。そして私の手を、優しい手つきでそっと離した。
「私は、慣れているから、何言われても良いの。でもマクニールくんが、私のせいで皆に色々言われるのは、嫌だ……!」
震える声。
星降は頬を伝わる涙が、乾いたコンクリートに染み込んでいく。
「もう、私と関わらない方が良いんだよ。昨日は、とても楽しかったけど――」
「あなたと関わるかどうかは、私が決めることです」
口をついて出た私の言葉に、星降は呆気に取られたように目を見開いた。
「周りの戯言など関係ありません」
星降はしばしの間、私を見つめたまま固まっていた。だが
ややあってから眼と頬を両手で擦り、呟くように言葉を紡いだ。
「少し……聞いてほしいことが、あるの」
私は目で応じ、花壇の端に彼女を連れて行った。並んでしゃがみ込むと、私たちの姿は花壇を成す煉瓦と花々によって、他人の目からすっかり隠されてしまう。授業開始を告げるチャイムが鳴るが、立ち上がることは無かった。
「さぼっちゃった、ね」
「はい」
「悪い子、だね」
「一緒に先生に怒られましょう」
「ふふっ。そうだね」
それからしばし彼女は口を閉ざした後、やがて「私ね」と話し始めた。何かを打ち明けようという、決意のような雰囲気がわずかに伝わってきた。
「マクニールくんや、カナコちゃんと話せるようになって、もしかして私の世界が変わるんじゃないかって、思えたの。いつも陰口を言われて、のけ者にされて。そんな、今まで当たり前だった世界が、変わった気がしたの。これからは楽しいことが待っていて、もっとたくさん笑えて、大人になっても懐かしめるような思い出ができるかもって」
突如私の制服が掴まれる。
「でも……勘違いだったのかな?」
一度擦った目から、彼女の涙は再び流れた。
涙で潤んだ瞳が、私を捉えていた。
「……少なくとも私は、あなたと一緒に居られることは、楽しいです」
そう言い終えてから、私は気づいた。“楽しい”とは、ゲルマ星人らしからぬ物言いだった。
何故そんなことを口走ったのだろう?星降に対してそのように言葉を尽くすことは、地球侵略に必要なことか?
それが否となれば、私の発言も行動も、合理的ではなかったことになる。
いや違う。星降の過去を探る必要があるから、彼女との関係は継続しなければならない。全ては地球侵略のため。そのために彼女の機嫌を取っただけなのだ。
決して、彼女を慰めたいなどという意図はない、はずだ。
「……あり、がとう」
星降の涙は止まっていた。
「優しいんだね、マクニールくんは」
「私が?」
優しい――彼女の言葉の意味するところを考えようとする。
だがその時、何者かの不穏な気配を察した。
「マクニールく――」
彼女の口を押え、姿勢を低くする。
突如、敷地外に通じる近くの格子戸が、乱暴に開かれる。
そして固い靴音がなだれ込んでくる。
「フォックスチーム。敷地内侵入」
近くのガラス窓が、4人の侵入者の姿を映した。
黒い戦闘服、ヘルメット、そして銃火器。
カナコが手配しようとしていた実行部隊ではない。
「フォックスから“Z”へ。侵入口Bをクリア」
奴らの狙いは間違いない――星降舞依だ。




