日陰者(スパイ)の戦い
数日間、投稿できずすみませんでした……
男子トイレに入るやいなや、目の前の鏡にカナコの姿が現れた。
「やはり、ずっと尾行していましたね?」
「いつお気づきに?」
「一緒に来ないと分かった時点で、どこかに潜んではいるだろうと」
「そうでしたか」
「で、チケットの入れ替えの理由は何です?」
「昨日私は、美浦愛子と電話していました。その際、星降がこの植物園に来たがっていることを知ったのです。彼女が映画よりもこっちに関心があると判断し、急遽チケットを手に入れて入れ替えました。事前報告せず、申し訳ございませんでした」
「わざわざこのような形で同行していた理由は?」
「二人きりの方が、関係が進展すると判断しただけです。まぁ、地球人生活に不慣れなレオルさまを単独行動させるのは、決して本意ではありませんでしたが」
カナコなりの配慮があったのなら、これ以上追及する必要はないようだ。
「……星降は大分あなたに心を許しているようで、良かったですね」
カナコはどこか不満そうに口をとがらせてはいるが。
「ところでカナコ、あなたは気づいていましたか?」
私の問いに、彼女は頷く。
「星降に尾行が付いています」
私の発言を待ち受けていたかのように、カナコはあるテキストファイルを私のコンタクト端末に送信してきた。尾行を初めて確認した時刻、その後の動きを逐一メモしたものだった。
実は私自身、駅の近くで昼食を摂っている間、ずっと視線を感じていた。そしてこちらを窺う“何者か”は、星降の動きと連動していた。それは私が星降を急に呼び止めた時に静止し、彼女が再度歩き出すと同時に後に続いてきた。尾行でなければ、そんな動きはしないだろう。
「尾行者は中年男性、背丈は170センチほど。黒い薄手のコートです。レオルさまたちと一定の距離を取りながら、今も園内に潜んでいます」
星降は自宅から駅まで、恐らく一人だった。その間に接触しないということは、誘拐や殺害が目的ではない、か。
「カナコは引き続き尾行者の監視を。私は星降と一日をやり過ごします。そして――」
私は、自分の手のひらを広げ、カナコに見せた。
「彼女と別れてから、尾行者を確保、尋問します」
「承知しました」
カナコの姿は再び消え、私は男子トイレを後にした。
「お待たせしました」
ベンチで待っていた星降に声をかけ、私たちは見学順路に戻った。
先程取り乱しかけた星降は、植物園に入った時と同じ様子に戻っていた。熱帯植物の植えられた温室で奇妙な植物たちを前に、彼女は弾むような足取りで無邪気にはしゃいでいた。
温室を出た時には、少しずつ空がオレンジ色に染まっていた。木々や草花に降り注ぐ日の光は、私が母星では見たことの無い輝きを放っていた。
「マクニールくん。ここに居るの、楽しい?」
「ええ」
「良かった」
出口に近い場所にあるスズラン畑の前で、2人並んで立ち止まった。
「マクニールくんが植物園に行こうって言ってくれた時、もしかして無理しているのかなって思っちゃって」
「そんなことはありません。自然はいくら見ていても、飽きません」
「そうなんだ」
「ええ。故郷では、あまり見られない光景なので」
そう応えて私は、しまったと考えた。下手なことを聞かれて、ぼろが出たらどうする。しかし星降は、それ以上何も尋ねてはこなかった。
代わりに出口を指差して「行こうか」と、彼女は言った。
出口の門をくぐる際、星降は後ろを振り返る。
その顔に浮かぶ名残惜しげな表情を、私は何故か凝視してしまった。
「今日は誘ってくれて、本当にありがとう」
「星降さんが楽しめたのなら、良かったです」
薄暗くなった夜道を、彼女を自宅まで送り届けた。帰りの道中、星降は見送りの申し出に対して申し訳ないと繰り返していた。だが私の潜伏場所からさほど離れていないことを知ると、ようやく私の提案を受け入れてくれた。
彼女の家は、一人で住むには大きいであろう一軒家だった。
「それではまた、月曜日に学園で」
私はそう言って、彼女に背を向けた。
「――待って」
私が歩き出したその時、私のジャケットの裾を星降が掴む。
「……ありがとう、マクニールくん」
「私も楽しかったので、礼には及び――」
「ううん。違うの」
少しだけ間が置かれる。
彼女の深呼吸の音が、背中越しに聞こえてくる。
「マクニールくんの言葉で、勇気づけられたよ」
星降の手が離れた。
間もなく玄関ドアの閉じる音がして、私は足を踏み出した。
星降の言葉の意味を測ろうとしたが、すぐに思考を切り替えねばならない。ここからはスパイとしての本格的な戦いとなる。
まず私は歩きながら、バッグから取り出した消しゴムから紙ケースを外す。くり抜かれたゴム剤の代わりに黒いカプセルが収納されており、それは自動的に穴から飛び出した。
小型偵察機『消しゴムドローン』である。昆虫のような薄い羽がカプセル内から展開され、それは星降宅の玄関の方に消えていった。
それから私は180度進行方向を変える。星降の帰宅を見届けて離れていった黒いコート姿の尾行者を追うのだ。
やがて男と私は最寄駅の構内に入った。男はごく自然にホームに立ち、電車を待った。私はそこから10メートルほど離れた場所に立った。そして二人とも数分後に来た電車に乗り込む。
電車の扉が閉まる瞬間、男は急に電車を降りた。
私の乗った電車は動きだし、ホームに戻った男の姿が遠ざかって行く。私は電車に乗り続け、次の駅で降りて携帯を取り出した。
「カナコ。想定通り、まかれました」
『では後程連絡します』
私は駅を出て、しばらく待った。30分後、カナコからの電子メールがコンタクト端末に届く。私はタクシーを捕まえ、彼女の指定した場所の近くまで送ってもらった。そこは私が尾行者を逃した駅の近くだった。車を降りた所から10分程歩き、人気のない月極駐車場に入る。
砂埃を被ったワゴン車の陰に足を踏み入れると、カナコと見知らぬ男性が潜んでいた。
「確保しておきました」
男はプラスチックバンドで両手両足を縛られ、タオルで口を塞がれた状態でコンクリートの上に転がされていた。その横には男の荷物と、おそらく彼が所持していた拳銃が置いてあった。
「私の質問に『はい』の時は頷き、『いいえ』の時は首を横に振って答えて下さい。死にたくなければ、正直に」
カナコが自分の小型拳銃を男の眉間に向ける。男は充血した眼をして何度も頷いた。
「あなたの尾行ターゲットは、星降舞依ですね?」
しかし男は首を横に振った。
「あなたの尾行は確認しています。星降の後をずっとつけていましたね?」
カナコの質問に、やはり男は「いいえ」と答えた。
「……カナコ。能力を使います」
カナコは拳銃を男の額から離し、代わりにゲルマ製スタンガンで男を気絶させる。地球製のスタンガンと違って痛みを与えることは無く、確実に意識を奪うだけの道具だ。
そして私が男の傍にかがみ、その額に触れた。
「リ=メモリア」
私の脳裏に、様々な情景が映像のように流れていく。それは男の記憶。直近の部分は星降舞依と、一緒に居た私を尾行している場面だ。さらに遡ると、目当ての記憶にたどり着いた。
3か月前、男の事務所に届いた手紙。それは“Z”なる人物からの依頼書だった。差出人Zは星降舞依の尾行と、毎週の報告を指示している。レポートの伝達方法は予め全て説明されていた。コインロッカーや公衆トイレ、時には飲食店のテーブル裏などがレポートの伝達場所として数パターン指定されている。どれも電波に頼らないアナログな方法だ。加えて、レポートの作成も連絡方法も、オンラインとなり得る機器の使用が禁止されている。ハッキング対策だろう。
この念の入れよう……つまりZは、けちな犯罪者とは違う。諜報のプロだ。
男の記憶の中でレポートを全て読み終えてから、彼の今日の記憶にあった“レオル=マクニールの存在”を削除した。今日の星降は、ずっと一人で過ごしていたと記憶を改ざんする。そしてここ1時間ほどの記憶を適当に改変してからリ=メモリアを終了した。
「レオルさま、彼はどうします?」
カナコが気絶した男を足で小突く。男は何の反応も示さなかった。
「拘束を解き、捨て置きます。酔ってここで用を足しに来たという記憶に変えておきました」
「彼にもドローンを付けますか?」
「……いえ」
依頼人Zが自らこの男に会いに来ることは、まず無いだろう。しかしZと探偵の間には、緊急時のみの連絡手段はあった。それを使えば、Zが異変を察して飛んで来るかもしれない。だが下手な警戒心を抱かせるのは、全く得策ではない。
「3日後、この男がレポートを伝達する日になっています。この日の彼の行動を監視し、依頼人を突き止めます。監視時間は短いに越したことはありませんから」
「承知しました。では私の方で彼が撮った写真も始末しておきますので、レオルさまは先に帰っていて下さい」
「手伝うつもりでしたが」
「いいえ、先に休息して下さい。今日はお疲れでしょう?」
カナコに押し切られる形だったが、私は先に帰宅することになった。
その後、尾行者の記憶から得た情報をいくつか選び、グラハムに送信する。彼なら警察のデータベースから、尾行者の背後に居る人物Zを割り出せるかもしれない。
一時間半後、カナコが帰宅してから夕食を共にしながら、男の記憶から得た情報――Zの存在をカナコに話した。
「もう一つ重要な発見がありました」
私は人差し指と中指をそれぞれ立てる。
そこにもう一本、薬指を立てて見せた。
「星降舞依を調査しているのは、Zだけではありませんでした」
あの尾行者は、自分とは別の尾行者の存在に気づいていたのだ。
わずかにカナコが緊張を示したのを認めながら、私は言った。
「星降舞依を取り巻くのは、3つの勢力です。私たちとZ、そして、別の何者かです」




