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セ・ラヴィ ~C'est la vie~  作者: 可名希
第10話「V2‐type〔Ⅲ〕」
46/47

 公式発表において、シエナ・マクアダムスの『死亡』が確認された『地区』は、実はステンガではなく、なぜか首都である『トゥエラ』だった。

 飛び降り自殺を図った彼女は、その後付近で目撃していた生徒の通報によって緊急搬送されることになるのだが、その際、彼女は地元の救急医療センターをすっ飛ばして、わざわざ遠方にあるトゥエラの医療施設に搬送されていたのだ。


『現場付近の医療施設では、設備がままならないため、まともな治療が望めなかった』


 というのが公に向けて放たれた、関係者による声明なのだが、プレクトン・エコールの周辺にある医療施設を調べれば、それが頓珍漢な説明であることなど、すぐに分かる。報道に対し常に斜に構える態度を示す義憤に駆られやすい一部の人間、にとって、それはあからさまな『嘘』でしかなかった。


 しかし関係者側とて無策なわけがなく、予め用意していたのであろうテンプレートで如何にもな理由を添え、大した興味も抱かない(見たいものしか見ない)無垢な大衆を納得(満足)させたのだ。

 とどのつまり、一部の人間は『根拠も無いのに確信を抱く者』という烙印を押される羽目に陥る。


 そういった人種(・・)は、往々にして『陰謀論者』と揶揄されるのだろうが、そもそも、その〝陰謀〟とやらが、広く一般向けに開け放たれた公開(パブリック)資料(ドキュメンツ)だったとしたら、この世は一体全体どうなるというのだ?


 人間関係を円滑にするための『嘘』と、社会を安定させるために人知れず伝播していく『陰謀』とやらは、その効果範囲や影響力が違うというだけで、構造そのものに違いがあるわけではない。

 焼き印を押した方々には、是非とも一度くらいは、そのことに関して熟考してもらいたいものだ。が、恐らく彼らの想像力は働かない。



 鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず。声あるものは幸いなり。

 裏を返せば、声がなければ悲しまずに済む――ということでもあるだろうに。



 知らないことには憤りようがないし、知ろうとしなければ憤らなくていい。

 故に人は、『三猿』よろしく無関心を決め込み、内なる秩序の安寧を維持しようとする。

 それは、人間に与えられた機能的な防衛本能なのか、或いは情報誘惑の甘美な匂いに誘われた結果か。その両方か。はたまた全て間違いか。


 いずれにせよ、そういった〝義憤に駆られて当事者意識を持った一部の陰謀論者〟によって、ゴットバーの四月革命は起こった。

 その顛末は、それこそ〝公に開放された情報〟によって、誰しもが知り得る情報となりえた。だが――


 先日の異空間会議にて、ザン・ク・トライザが提出した報告書には、その革命の最中に行われていた、決して公には解放されない情報、が仔細に渡って書かれていた。

 その概要とは、以下の通りである。



1.シエナはトゥエラの医療施設に運ばれたが、それから約3時間後、当該施設か

  ら運び出され、その後、ダーボの医療施設に移送されていたことが、当該施設

  付近に設置されていた永録魔機のデータと、高速道路の料金所兼魔紋認証シス

  テム(通称IDゲート)の照合で判明した。


2.その施設というのがダーボ地区に存在する【ダーボ()国際()医療()研究()センター()】で

  あり、軍関係を除くと、そこは国内で唯一、超小型魔源機器(マイクロマナマシン)を取り扱える設備

  を有している施設である。


3.シエナが『DIMRC(ディマーク)』から移動した記録・形跡はないが、証拠不十分のた

  め、詳細は不明。


4.『DIMRC』を出入りしている業者の中に、輸入食品を専門で扱う業者がい

  た。


5.その業者は『DIMRC』からの注文で、ノストハックムの【ミュッペン】と

  いう製菓メーカーが販売している【ヴィクトリーグミ】というお菓子を卸して

  いた。


6.しかしミュッペンの本社登録が成されている住所にオフィスは存在しなかっ

  た。つまり、ミュッペンはペーパーカンパニーということになる。


7.ヴィクトリーグミという商品は実在するが、製造している工場の所在地は不

  明。


8.ミュッペンの株主名簿の中には、ジーモ・ウェローの姉の亭主であるクリス・

  ギャラハンの名前が記載されていた。尚、姉とその亭主の現住所は、ミレイル

  王国の首都【カランツ】に登録されている。



     ◇



 夜の帳が下りきった街は、すでに下りた帳の所在すら分からなくなっており、時計の針は、日付を跨ぐための残り半周を、せっせと進んでいた。


 しかし、その時間帯で街全体が眠っているわけもなく、やはり、ぽつぽつとした明かりがカーテン越しに漏れ出ている家々が数か所あり、その中の一つには、街の平穏な静けさとは正反対の、張りつめた空気が充満している部屋(・・)があった――



 ――LEDライトの発する白色光が頭上から降り注ぎ、老人の目をチカチカさせる。

 食卓の上には分解された自動拳銃のパーツ群が置かれており、それを一つ一つ入念に確かめながら、且つ間断ない速度で組み立てていく所作は、その老人が戦場慣れしているという事実を、如実に教えてくれた。


 各部品のメンテナンスはもちろん、特に銃口(マズル)内に溜まった煤の除去、銃身(バレル)遊底(遊底)引き金(トリガー)撃鉄(ハンマー)弾倉(マガジン)等の、銃弾を飛ばすための一連の仕組みに不備がないかの確認。


 そして老人は癖で、組み上がりと同時にスライドを引き、引き金に指を添えてから、射撃のイメージトレーニングを行った。

 しかし、構える速度が思っていたよりも遅かったため、老人はつい小言を挟んでしまう。


「ふむ。まあ、ワシも歳かな」


 自身の衰えに納得いかない、という面持で、老師エルゲドは眉根を上げた。


 彼が組み上げた自動拳銃は二丁。一つは重合体(ポリマー)素材がメインの、鈍い黒光りを放つ自動拳銃で、もう一方はほぼ金属パーツで仕上がっている、デザートイーグルのような配色に包まれたシルバーメタリックの銃だった。


 黒い方は、2017年にアメリカ陸軍で正式採用されることが決まり、ベレッタM9からその座を引き継ぐ形となった『SIG(シグ) Sauer(ザウエル) P320 RX Full‐Size TACOPS』と酷似している。モジュラー式、という共通項もあるため、似姿というよりは、瓜二つと言った方が適切かもしれない。


 一方、銀色を纏う自動拳銃は、配色バランスは確かにデザートイーグルと似通っているのだが、その見た目は、スターム(Sturm)ルガー(Ruger)社が、2017年の12月に発売した『Ruger (ルガー・)Security(セキュリティ)‐9』と相似関係にあると言っても、何ら問題はなかろう。


 机の上には、双方の規格に適した弾倉が3つずつ、計6つ並べられていて、どれも銃弾一発分を抜いた状態で横一列に整列していた。弾倉を満タンにすることは、まずない。目一杯に詰め込んでしまうと、弾丸を押し上げるスプリングが潰れてしまい、給弾性を悪くしてしまうからだ。


 エルゲドは二つの自動拳銃にマガジンを滑らせると、まず黒色の銃を右太腿に巻き付けたホルスターに収めた。反対側の腿にも同じホルスターがあり、そちらには銀色が滑り込む。


 普段の魔導師スタイルの格好しか知らなければ、きっと今の彼の出で立ちは、相当異常なものとして、目に映ることだろう。

 近未来を彷彿させるコンバットスーツで身を覆い、グリスと鉄の臭が充満する彼には、魔法使い、などというロマンチズムに浸れる要素など微塵もなく、むしろ『SFの兵士』という表現の方が的を得ている有様だ。


 おまけにあの仙人のような髭は、実は全てイミテーションだったのだ。

 今の彼に仙人足り得る要素は皆無だが、しかしその適度に伸ばされた無精髭は、達人のような覇気を醸し出すのに一役買っている。


〝人は、自身が規定したものを相手に投影する。ワシはそれを利用しただけにすぎん〟


 エルゲドが作業を行う傍ら、一足先に準備を終えていたエリーユ・ファウラーは、以前老師が口にしていた言葉を思い出しつつ、ふと気になったことを発見したので、相手の邪魔にならないよう、慎重にタイミングを見計らってから質問してみた。


「その黒い方って確か、【EncailregisエンシャイレジスNatra(ナトレー)】が去年発表した【EN‐280】ですよね。で、そっちの方は……」


 エルゲドは特に気を悪くした様子もなく、むしろ曖昧な知識で言葉を詰まらせてしまった、彼のフォローに回ってくれた。


「レギルの銃器メーカー【Lus(ルス)Duarma(ドゥアルマ)Caliburnus(カリブルヌス)】が開発した、魔力定着選択式自動拳銃【LDC‐F1750】――ファンの間ではフェンリルという愛称で慕われておる銃じゃよ」


 ちなみにEN‐280(こっち)は『レイヴン』という俗称が付けられておってのう――云々かんぬん。

 若き魔導士エリーユ・ファウラーは、そんな『狼』と『鴉』を両腿に収めた伝説的な魔導師の自慢話に対し、「エルゲド様は、よくご存じで」と、内心項垂れながら応じた。


 とはいえ、これは相手がエルゲドだから、辟易程度で済まされている態度とも言える。

 元来、魔操者という生き物は、自分自身が魔力を扱えること、そして世界の秩序に干渉することに関して、ナルシズムの権化かと疑いたくなるような矜持を抱く人間が少なくない。


 エリーユとてその例に漏れず、もし相手がペーペーの魔操者で、そんな機械系国家に魂を売るようなファッションをしていようものなら、おそらく〝逆賊〟としか認知しなかったはずだ。



 ただ、エルゲドに限って言えば、彼はマキアルガの大戦における英雄的存在であり、また、歴史の教科書で何度も見聞きした人物であったから、『エルゲドが相当風変わりな魔操者』であることは、親魔操者派、機械系国家問わず、ほとんどの人の知るところになっていた。なので、その人物像に対する一種の免疫のようなものは、曲がりなりにも構築されていたと言ってもよい。が、しかし、やはりエルゲドと初めて任務を共にした時の衝撃は、未だ忘却できないカルチャーショックとして、彼の心に何とも言い難いダメージ――分かっていたのに幻滅してしまうもどかしさ――を与え続けている。



 ちなみに、顔が割れているのにスパイ活動などできるのか、と当然疑問に思うだろうが、任務時は基本、他人になりすますための変装魔術を施すため、正体がバレる心配はない……というよりも、歴史の教科書に載っているエルゲドの顔写真は、『若かりし頃の輝かしい彼』なので、現在の彼、つまり『悪戯に奔走する爺さん』と同一人物だと説得したころで、信じる人は一人もいないはずであり、故に任務に支障はない、というのが、本人以外の関係者が全員納得している根拠であった。


「あれ? そういえば『何でも屋』は使わないんですか?」

「ん、ああ、あれならここにあるぞい」


 エルゲドが食卓の下の空洞部分に手を入れて、まるでパントマイムのように、引き出しを手前に引くかのような挙動をすると――その透明な引き出しの中から、ベルギーのFN社製【FN F2000】によく似たフォルムの持ち主が現れた。

 透明かと思われていた部分は、直後、魔力の残骸となってバラバラとなり、やがてその部分が、トルスパウザでコーティングされていただけなのだと分かるようになった。


「今の今まで気付きませんでしたよ」

「ほっほっほ。お主もまだまだ、修行が足りんのう!」


 数時間前の文唱防壁の件で、見事にあしらわれてしまったエルゲドにとって、それはまさに鼻高だった。


 彼は得意げなまま、エンシャイレジス()ナトレー()社の【UHF(the Union of Human and Fire control system)】との連携を想定して開発された、【次世代型魔源動力式自動小銃】――【EN‐UHFAR‐MkⅦ】を手にし、それを肩口から下げた。


 次世代アサルトライフル、という考え方自体は、現実世界においても存在し、1990年代から個人主体戦闘武器(OICW)というプロジェクト名で進行していた。

 アメリカのアライアント・テックシステムズが開発したOICWのプロトタイプには、『XM29』という名前が付けられ、グレネードランチャーとアサルトライフル、及び火器管制システムの三つの要素で構成されたこの銃は、『これ一つで何でも出来る』をコンセプトに開発されたという。


 しかし、やはり個人携行戦闘兵器に『何でも屋』という大役は重すぎた。後に技術的な課題が浮き彫りになってしまい、特に電子部品を稼働させるためのバッテリーの確保や、実戦における火器管制装置の耐久度、そして重量などの問題が挙げられ、計画そのものは現在凍結状態になっているそうだ。


 しかし、このクォンティリアムにおいては、そういった課題は全て解決済みだった。

 エルゲドはコンバットスーツのポケットから、目薬のようなものを取り出すと、それを普段我々が行うように、雫を一粒、瞳に落とした。何度か目を瞬き、彼は視界を確認する。


「UHFと視覚の連動は良好。異常は見受けられんな」


『極西の島国』が誇る魔力兵器企業。エンシャイレジス・ナトレー。

 元々はFCS関連専門の会社だったが、現在に至っては、人間にFCSの機能を持たせる技術――つまりUHFを最初に開発したパイオニア、という認識で世界に知れ渡っている有名企業である。

 UHF技術、及びそれに関連する魔源機器によって莫大な資本を手にした同企業は、それを元手に有望なベンチャーとの吸収合併を繰り返し、その結果、今ではレギルのLDCと双璧をなすほどの成長を遂げていた。


UHFAR(ユゥファール)との同期も――うむ。問題ない」


 そもそもの話だが、実はこの世界においても、OICWが直面したような課題はあったのだ。しかし現実世界と違い、この世界には『動く発電所』とも言うべき存在――そう、『魔操者』がいた。


 そこに着目したEN社の技術スタッフは、FCSやグレネードランチャーのような強力弾頭を備えた兵器を、全て『魔力』で補えばいいと考え、体内に流れる微弱な魔力を利用することで動き続ける液体MMMや、外付けの魔力バッテリー(マジカルポッド)からマナを抽出することで作動する、炸裂魔術の術式を刻み込んだ特殊弾の開発等を進めていった。


 銃に求められるのは、偏に弾丸を射出する性能のみ。余計なオプションを魔力で賄うことによって、重量と稼働時間の問題を一挙に解決してしまった同社の『ユゥファールシリーズ』は、無論、大戦時においても、その高性能ぶりをいかんなく発揮し、多大な戦果をもたらした。そして大戦というPR活動を経たことで、ユゥファールは確固たる『ブランドイメージ』を定着させるまでに至ったのだ。


 エルゲドは、そんな『火器管制装置』なのか『未来戦闘システム』なのか判別のつけようがない『FCS』の点検を終えると、最後に、本革が所々剥がれている古色蒼然としたトランクケースを床から持ち上げ、それを椅子の上に置いた。

 椅子の前にしゃがみ込み、ゆったりとした仕草でケースを開けるその姿は、どこか儀式めいた威厳が漂っていて、第三者には触れ難い別世界が築かれていた。


(あれが、先代の勇者が使っていたという武器か。生で見るのは初めてだな)


 ケースの中にすっぽりと納まっていたのは、『回転式拳銃』のような意匠を持った武器だった。どことなく『レミントン M1858』のような印象も受けるが、全長が90cm近くにまで達しているため、遠目からだと散弾銃のような外観にも見えるだろう。

 エルゲドは、その巨大な拳銃を右手に携えると、コンバットスーツの背面に備わっているマグネット式のジョイント部に接合させた。


「博物館のレプリカと実物では、やはり比べ物になりませんね……。何もしていないのに、魔力の圧で潰されそうです……っ」

「無理もない。これに使われている素材は、どれもこれも国宝級の聖遺物、もしくはランクS以上の魔獣から採取した危険物ばかりじゃ。呪詛を掛けようと勝手に法式が作動することもままあるし、油断しようものなら、逆にこちらの精神が喰われてしまうわい。……まったく、あやつはとんだ暴れ馬をワシに託してくれたな」


 エルゲドは、どこか懐かしさの中に寂しさを滲ませながら苦笑した。

 その言葉はエリーユに対してではなく、どこか遠くに行ってしまった誰かに語りかけているような口調だった。


「エルゲド様は、先代とは戦友だったと聞きましたが」

「うむ。まあ、戦友というよりは、親友だったかのう。あやつは……ダウコート・レストヘイヴンは、紛れもない勇者じゃった。こんな馬鹿みたいな武器を作ってまで、魔王の原型(ルシファー)に戦いを挑み、武器の魔力に惑わされることなく、最後まで己の信念を貫き通し、そして打ち勝った。おかげでルシファーは、その使用者もろとも消滅したが――」


武器(これ)を使いすぎた代償で、親友(やつ)は死んでしまった」


 エルゲドはわざと親指でそれを強調し、慰めのように視線を落とした。

 その時、二人のポケット内に忍ばせていたネクトが、作戦開始五分前を知らせるアラーム音を発し、過去に浸る時間は終わりを告げた。

 エルゲドはトランクの中から髪留め用の紐を取り出して、その長い白亜の髪を後ろに束ねると、己が気持ちも引き締めるが如く、それを一気に結わいた。

 老人から老練な顔つきになり、魔導師エルゲドは言う。


「無駄話が過ぎると、奴に怒られたかな」

「まさか。これから任務に向かう我々を、激励してくれたのですよ」

「彼岸の友も寝耳に水。死びとの口とぢて開かず、されど我に唄い奉り候」

「なんです? それ?」


「死者の魂は、はっきりと此岸のことも見ている、という喩えじゃ。あるいは、死者を弔えない生者の哀れみを説いた詩、とでも言うべきか」


「我々は一殺多生どころか、殺した数と守った数の天秤があべこべですよ。畳の上ですら死ねない者の唄でも、誰か聞いてくれますかね?」


「老いて死せざる是を賊となす者よりは、幾分マシだと思がのう」

若者(ぼく)を道連れにしないでください」


 エリーユが肩をすくめて応じる。

 二人は任務開始前の軽いジョークを挟みつつ、しかし緊張感は一定量を保持したままだった――そして次の瞬間、エリーユがその身に宿る蒼色の魔力を開放した。


 純白のローブ(戦闘用装具)に、魔力の軌跡が迸り、首から提げていた六芒星を(かたど)ったアクセサリが瞬間光のように輝きを見せた直後、その『魔導書』に封じ込められていた法式が具現化した。


 そう。その首飾りは紛れもなく『書物』だった。

 かつて石杖黒斗がラウフ・アークトに登録する際に使用された『記憶石』が『本』であったように、この世界においては、そういったものが必ずしも『紙媒体』であるとは限らない。


 エリーユは、魔導書に刻み込まれた五百を超える法式(ページ)の中から、一ページ分だけを抜粋し、それを大気中に現界させた。


「任務開始まで、残り三十秒じゃ」

「了解。〝フタ〟の準備は終わってます」


 エルゲドの秒読みが始まる。

『転送魔法』を起動するロジックが動き出し、エリーユたちを包み込むと、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いたとされる、ウィトルウィウス的人体図さながらの『絵』が出来上がった。


 刹那、理を覆す魔の法則に従い、彼らの肉体と意識は何処かに消えた。


 無人となった部屋の明かりが、小まめな文唱防壁の設定によって消灯する。

 夜の帳は闇に溶けてゆらゆらと。

 それが戦いの火蓋による陽炎などと、この静寂(平穏)がゆめゆめ思うはずも無かった。

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