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〔十二月十七日(土)一七時五五分〕
現在、エルゲドたちは『ゴットバー・ダーボ地区』の国境沿いに位置する『ワセン』という街に隠れ家を構えている。
男二人が暮らすには狭すぎる1Lタイプの部屋だが、文唱法による結界構築は、その土地柄によって微妙に難易度が変化してしまうのと、いざという時の逃亡ルートを考慮した場合、ここは隠れ家として最も適した部屋だった。
とはいえ、エリーユは今夜決行予定の『作戦』の『下準備』をしているため、今部屋にいるのはエルゲドだけだ。閑散とした静かな部屋に差し込む西日を浴びつつ、彼は食卓の上に置いた黄緑色のマグカップを手に取り、少し温くなったインスタントのブラックコーヒーを一口含んだ。
その時、ポケットの中のネクトが振動を起こし、彼は徐にそれを手に取った。
タッチ操作や音声操作も可能だが、ネクトを動かすときは基本、魔力を流し込んで念じるだけである。
エルゲドはメールボックスの開示を意識し、今しがた受信したメールの文面を表示させた。
送り主は石杖黒斗。内容はとてつもなく簡素で、〔箱の中身は空だった〕――としか記載されていなかった。
(なるほど。ザンの言っていた通りか。……となると、事は思った以上に厄介かもしれん)
エルゲドが暗号めいた文面の意味を理解するのとほぼ同時に、彼の脳髄が魔力のさざ波で揺れた。反射的に念話を発動し、相手に応じる。
『エリーユです。全ての〝フタ〟を予定ポイントに設置しました』
『〝スキマ〟の数は?』
『三つです』
『ふむ。それぐらいが妥当かのう。……了解じゃ、すぐに戻ってこい』
『今そちらに向かってます。あと15分程度ですね』
『尾行への警戒は怠るでないぞ』
『はい。では後程』
念話回線が途切れた時に生じる独特の喪失感を味わいながら、エルゲドは完全に冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干した。
他の星魔導士よりも先に現地入りを果たし、不正輸入の証拠探しに奔走していたエルゲドとエリーユだったが、その成果はどれも無駄骨に終わっていた。
変身魔術を用いて職員になりすまし、各地区に存在するウェスポンの量産工場、新兵器開発・研究を執り行う施設に潜入してみたものの、どこもかしこも怪しい影一つなかった。
むしろその清廉潔白な内部事情が、エルゲドたちの不審感を煽ったとも言えなくはないのだが、いずれにせよ、証拠が出揃わない以上、不正輸入はただの妄言にしかならない。
しかし、四日前に行われた星魔導士と勇者のみで行われる【異空間会議】にて、エルゲドたちはとうとう、不正輸入の尻尾を掴むことができた。
異空間会議というのは、魔法によって構築された【異次元結界】に意識を飛ばし、念話だけでは伝えきれない情報共有を執り行うために編み出された、言わば魔操者側にとっての仮想現実なのだが、如何せん、誰彼構わず立ち入ることのできる『VR』と違い、固有魔力測定法などの防壁が法式に組み込まれている異次元結界では、そう易々と第三者が侵入できるはずもなく、それ故、非常に秘匿性の高い会議が可能であった。
結界内の風景は良く言えば『シンプルイズザベスト』、悪く捉えてしまえば『殺風景』なものでしかなく、永遠を錯覚させるほど果てが見えない白い空間に、木製の椅子が七つ円形に配置されているのと、その円の中央に法式構築兼、会議内容を記録するための巨大なクリスタルが浮遊しているだけである。
当日の会議は、ザンがやや遅刻をしたというだけで、あとは特に問題なく進められた。
リーリンとルンゲは国内待機のため、提出できる情報といえば、組織と元老院の悶着漫談くらいしかなく、彼らは粛々と『ま、いつも通りです』と一言述べただけで終わった。
エルゲドとエリーユは、いち早くゴットバーに潜入したものの、これといった手土産を差し出すことができず、ベテランの域に達しているエルゲドは手ぶらにも慣れていたのだが、若いエリーユはやや居心地の悪い様子だった。
そんな中、勇者こと石杖黒斗の入手した『映像証拠』と、ザックの提出した『報告書』は、この一ヵ月近くに及ぶ停滞ムードを吹き飛ばす、まさに大手柄だった。
(あの減らず口小僧め。初任務にしては、よくやるわい)
今、エルゲドの目の前には、その時に提出された情報を封じ込めた記憶石が転がっている。
エルゲドは石を指で摘まみ、それを見つめながら愉快そうに微笑んだ。
石の内容はすでに頭の中に詰め込んであるため、今さら中身を開封する必要は無いのだが、復習しすぎて損をすることなど、まず有り得ない。
エルゲドは静かに双眸を閉じ、己が魔力を石へと流し込んだ。
朧気な霞が真っ暗な視界に生じると、次の瞬間にはもう、当日の光景が脳に行き渡っていき――
◇
――ソーマ・ウナクの魔操者疑惑に関する一連の説明を終えた石杖黒斗は、次に偶然発見したという永録魔機の映像データを一同に見せる段取りに入った。
ダミーか何かを噛まされたのではないのか、という疑惑も当然のように出たが、第六区画主任のジフのお墨付きというのであれば、最早、抗弁の余地はなかった。
準備を終えた黒斗は、ひとまず〝改ざん前の3月22日の映像〟をノンストップで再生した。やがて自動で停止した画面がブラックアウトすると、彼は自らの推論を語り始めた。
『映像はここまでとなります。先日送った報告書の復唱になってしまいますが、ロット・マクアーデ氏の話を考慮すると、ソーマとディビットの両名がシエナ氏の死に関与していたのは、ほぼ間違いないと思います。また、Lレポートによれば、彼女が死亡したとされる日の翌日には、バトバ首相の関係者からのゼクィードに対する送金疑惑も出ています。もしも、首相の息子が殺人を犯した、或いは間接的に関わっていたとなれば、スキャンダルどころではありません。ただ、証拠を消すために首相自らが動くとは考えにくい。恐らくはその身分に近しい誰かが、現政権を維持するためにゼクィード側に圧力を掛けたと考えられます』
淡々と喋る新米勇者の報告が一段落を見せると、すかさずブロンドヘアの巨漢が肩を揺すって、勇者の方に身体を向けた。
『話としては筋が通っているが、憶測の域は出ていないだろう。裏はちゃんと取っているのか?』
問いを投げかけたのはルンゲ・ボルコフだった。
あの決闘以来、建前上は穏やかに見える両者ではあるものの、やはりルンゲは闇属性に対する偏見が拭い切れていないらしく、腕組をしながら投げた問い掛けには、どちらかと言えば〝詰問〟のような厳しさが滲み出ていた。
『ありません』
それみたことか、と言わんばかりに、ルンゲは鼻息を荒々しく吐いた。
『……ですがデータ改ざんには、どうも別の思惑も絡んでいるみたいなんです。映像を少し巻き戻しますね』
クリスタルは大画面としても機能しており、映像が冒頭の方まで遡ると、再びシエナが廊下を駆け抜けていく場面になり、次いで件の容疑者たるソーマとディビットが現れた。黒斗はすかさず停止を促し、
『ここです。一見すると、ただ男二人が映っているだけの映像なんですが――ディビット・ウェローの右手をよく見てください。何か握っているように見えませんか?』
言いながら、黒斗はディビットの右手に焦点を絞るよう映像を操作し、荒くなった画像に補正をかけた。確かにディビットは何かを握っているらしく、それは黒色を帯びた小型無線機のような形状を有していた。さらに端末上部には、黒地にはよく映える白い文字で【V2‐type〔Ⅲ〕】と刻まれていた。
『機械の型番のように思えたので、これに関連する情報をラフティのデータベースで調べていたんです。そしたら、面白いことが分かりましてね』
黒斗が万能端子をクリスタルに接続し、データベースからコピーしたデータを展開させると、ザンを除く星魔導士たちは、一斉に息を呑んだ。
クリスタルディスプレイに、世界的にも名が通っているノストハックムの義肢メーカー【エスト・ラミック】の企業ロゴが、瞭然と浮かび上がっていたからだ。
『オレはよく知りませんが、わりと有名どこの企業みたいですね』
この世界の住人でない黒斗が、自嘲とも取れる苦笑いを挟んで一拍空けると、次に彼はロゴを縮小化して隅の方に動かし、空いたスペースに別のデータを出力させた。
論文のような文章の体裁を取った書類が複数枚並ぶと、それらはクリスタルの回転に同調するような格好で、規則正しく回り始めた。
『まあ、それはさておき、実はこの会社、一年ほど前から新型医療用マイクロマナマシンの開発に着手していたらしく、そのプロジェクトには【Fro・Ma0〔V.V.〕】という名前がつけられたそうです。Vが二つで〝V2〟などというのは、呆れるくらい親切なメタファーだとは思いますが、驚くことに、この企業が今年の3月15日に開催したというパーティーの参列者リストを調べたところ、バトバ首相とジーモ・ウェローの名前を確認することができました』
複数並んでいる内の一枚がピックアップされ、名簿リストに赤いラインマーカーが引かれる。確かにそこには、〔バトバ・ウナク〕〔ジーモ・ウェロー〕と書かれていた。
『15日だと? シエナ・マクアダムスが自殺したとされる日の、ちょうど一週間前じゃないか』
『ええ。とはいえ、残念ながらこのパーティーとシエナ氏の自殺にまつわる様々な疑惑を結びつける証拠は、一つもありません』
訝し気な面持ちで訪ねたルンゲに対し、黒斗はにべもなく応じた。
悶々とした感情を堪忍袋に溜め込むルンゲを流し、黒斗は再び一同の方に身体を向け直した。
『ですが、ディビットが【V2‐type〔Ⅲ〕】と刻印された端末を所持していたことと、録画データが改ざんされたという事実は、やはり無視できないと思います。仮にこの〝V2〟とやらが、不正輸入の対象になる代物だったとすれば、永録魔機のデータ改ざんは、単に子供の不祥事を揉み消すことが目的だったのではなく、不正輸入の証拠を隠蔽するためにも行う必要があった、とも考えられるわけです』
そして最後に、勇者は騎士に向かって皮肉を添えた。
『まっ、憶測の域は出ませんけど、ね?』
勝ち誇ったかのような顔で放たれた嫌味に対し、騎士は特大の鼻息を噴出させて、憤慨したのであった――
◇
――記憶石の発光現象が緩やかに弱まっていく。まだ続きがあるのだが、どうやら15分が経過したらしい。
外から迫る気配が、足音も立てずに玄関扉の前に来たことを、エルゲドは察知した。
〝コッ コッ コッ コン コッ コッ コッ コン〟
打ち合わせ通りのリズムでノック音が響くと、扉に施されていた第一の文唱防壁は綺麗に消え去り、そして同時に、今度はドアノブに刻み込まれていた二つ目の文唱防壁が起動した。
(しめしめ。ドアノブの方はあやつが出て行ってからすぐに術式を変えた。きっと今頃は、開かずのドアに四苦八苦して――ほっ!?)
――老人のいたずら心も虚しく、それはあっという間に解除されてしまい、開け放たれた扉の先には、変装用の魔力のベールを纏ったエリーユが、満面の笑みを携えて佇んでいた。
彼はそのまま部屋に入り、電子錠の鍵を閉めると、それと連動するように文唱防壁も再構築された。
ベールに包まれたエリーユの容姿は、キャンパスライフを謳歌する大学生という印象だったが、リビングに顔を出した時にはもう、素の姿に戻っていた。
「ちっ。抜き打ちでお主を驚かしてやろうと思ったのに。つまらん奴じゃ!」
「無駄ですよ、エルゲド様。あなたの考えそうなことなんて、大体分かりますから」
「むぅう! お主はクロト殿とはまた少し違った嫌味を持っておるようじゃの!」
「御冗談を。私はあなたを『じじい』呼ばわりなどしませんよ。――ああ、そういえば、勇者からのメールは見ましたか?」
「うむ。お主も確認済みか」
「ええ。トライザの報告書通りの展開というのは、かなり癪に障りますが、事件が解決しないよりはマシです」
「ほっほっほ。殊勝な心掛けじゃ――して、準備の方は?」
若き魔導士を称えたエルゲドは、しかし次の瞬間には眼光の鋭さを変えていた。
『仕事モード』に入ったのだと察したエリーユは、表情に微かな緊張を携えながら、その姿勢を今一度正した。
「万事抜かりありません。いつでも行けます」
「良い返事じゃ。消費した魔力の回復に要する時間は?」
「促進作用のある薬草を使ったとしても、最短で四時間は必要かと」
「分かった。では、早速回復に当たってくれ。作戦決行は日付変更と同時に行う」
エルゲドはそこで一旦止めて、自身の両手に目線を落とした。
言葉が詰まったかのように喉を唸らせた彼の表情には、どこか底昏い重苦しさがあった。
「いつもの確認になるが、最悪の事態を受け入れる準備は、しておくのじゃぞ」
それはつまり――良心に麻酔をかけろ――という念押し。
言葉の意味を理解したエリーユは、己が肝に言い聞かせるが如く、静かに口を動かした。
「了解」




