第九十二話「それぞれの覚悟」
サイレンが鳴り響く。
天井に設えられた回転灯の灯が、朱塗りの通路を無機質な赤で染め上げていく。その赤色と警報音の二つを以て、その施設内で非常事態が起きている事を常駐していたスタッフ達に伝えていく。
その音と照明を断ち切る様に爆発が起こる。
壁を外側から吹き飛ばして通路の中を煙で充満させる。
「探せ! どこかにいるはずだ、探しだせ!」
煙の中から叫び声が上がり、それに続いて数体の魔族と数人の人間が煙の中からそれを引き裂くようにして現れ、そのまま尚も回転灯が赤く照らし続ける通路を低空で飛び、走り抜けていった。
いずれもこの奇襲作戦のためにレビーノから呼び寄せた者達だ。
と、通路の奥から装束姿のエージェント達が姿勢を低めて高速で迫ってくる。するとそれまで走っていた人魔の一団がその場で立ち止まり、魔導士が魔族を押しのけて前に立ち掌を前にかざす。
「火よ。火の玉よ」
抑揚も無しに言い放つと同時に、掌から火球が発射される。それらは生きているかのように通路内を一直線に飛び回り、エージェントの体に容赦なく直撃していく。
「ぐあっ!」
「が――ッ」
火球を貰ったエージェントの体が炎に包まれる。その炎は数秒で消え去り、後にはその身を真っ黒に焦がした人形の何かがその場に崩れ落ちるだけだった。
奇襲に成功してから今に至るまで、邪魔する者は全てこうして排除してきた。彼らが通ってきた道には、これと同じような真っ黒い物体がいくつも転がっていた。
ここに来てから見飽きたほどに見てきたそれを無視して一団が再び通路を駆けていく。その間にも煙の中からは既に何組もの一団が現れ、件の連中を追うようにして通路を駆けて行っていた。
「こんな場所に用はない! 目的はあくまでも奴だ! 探せ探せ!」
自らも煙の中から姿を表しながら、ゲイン・カーティスマンは声を荒げて指示を飛ばし続けた。
未知の侵入者を前に、ガット本部内は混乱と緊張の只中にあった。
「施設内に侵入した敵の攻撃は苛烈、そしてこちらの防備の穴を的確に突いてきています」
ガット内部にある篝火の焚かれた大広間。そこの一段高い座敷中に座っていた狭山に向けて、傍らにいた蝶々が静かに告げた。
「奇襲を受けた事もあって、こちらの損耗率は三割を突破。ですが、非戦闘員は既に退避を完了させています」
「捕虜は?」
「同じように」
「そうか」
現状に慌てるでもなく狭山が静かに返す。蝶々もそこから先を続ける事もせず、場を再び静寂が包む。
広間の外、朱塗りの通路内は混沌としていた。配置につかんとする戦闘員達の足音と怒号混じりの大声。そして侵入者が通路をぶち抜く度に発生する爆発音と、爆発に紛れて遠くから聞こえてくる敵の声。それら全てが至る所で混じりあい絡み合い、そこは最早戦場であるかの如く混沌と化していた。
そんな中にあって、二人しかいないのもあったが、この広間は非常時とは思えないほどに――不気味なほどに静まり返っていた。
そしてその空間の空気を壊さないように静かに、だがはっきりと聞こえるように狭山が言った。
「敵の構成は?」
「魔族と人間の混成部隊のようです。人間の方も普通の者では無いようで」
「魔導士か」
心底困ったようにため息混じりに呟きながら、狭山が顎を擦る。その横で、蝶々が顔を曇らせながら言葉を漏らした。
「しかし、地上からここに至るまでの入り口は一つだけ。そこにつけられていたセンサーが発動した訳でもない。いったい、どうやってこの中に入ってきたのでしょうか……?」
「地上から穴を掘って直接こちらに攻めてきたか、もしくは何らかの手段を使って正面入り口のセンサーを掻い潜ったか。もしくはその両方か、または別の方法か」
「それまでの前例や常識が通用しないと言うのも難儀な物ですね……まあ、今更そう嘆いていても仕方がないのですが」
「行くのか?」
「ええ。少しでも戦力の足しになればと思いまして――それでは」
そう言って立ち上がりかけた蝶々の腕を狭山が掴む。
「え……?」
突然の事に蝶々が呆けた顔を作る。そのままの表情で狭山を見下ろすような格好で見つめる。
その蝶々の顔を見上げながら、狭山がそれまでと変わらぬ静かな声で言った。
「お前は行くな」
静かな、それでいて心に染み入るような暖かな声。
そして真剣な目付きで、汚れ一つない凛とした瞳で、じっと蝶々を見つめてくる。
「頼む」
どきり、と蝶々の心臓が軽く跳ねる。
蝶々の顔に朱が差し始める。
――いや、まさか。
そんな筈はない。と必死に否定しながらも、蝶々は心の隅では『それ』を期待していた。
彼女が好意を抱く対象は同性だけではない。異性に対しても、それと同じ気持ちを普通に抱く事が出来たのだ。故に蝶々はそれを不謹慎と思いながらも、この後そう言う展開になる事を密かに期待していたのだった。
そしてその不謹慎と思う心さえも、夢想の領域に意識を飛ばしてしまった蝶々の中から秒単位で消え失せつつあった。
後に残ったのは、暴走する妄想力だけだった。
――まさか、頭領。この緊急時に……いや、緊急時だからこそ、後悔しないように自分の気持ちを伝えておこうと? ……もうっ、もうっ! こんな状況で告白だなんて、頭領ってば意外とロマンチストなんですね。でもいいですよ。私、そんな頭領は嫌いじゃないですから、私――
「下手にでしゃばるな。今から向かっても手遅れだ」
――ですよねー。
狭山の言葉が蝶々の意識を一気に現実に引き戻す。
だが、そんな蝶々の心の変遷などお構いなしに、狭山が平然と言葉を続ける。
「それより、蝶々。一つ頼みたいことがある。聴いてくれるか?」
「――え? ええ、はい。なんなりと」
やっと正気を取り戻した蝶々のその言葉を聞き入れてから、狭山が腰を上げて蝶々の耳元に顔を寄せて何事かを囁き始める。
「……」
「……」
「……と、いう次第だ」
「……なるほど」
事の全てを告げて狭山が顔を離した時、蝶々の顔は笑っていた。親愛の笑みではない。自ら張った罠に敵が嵌るのを見て嘲るような、悪どい笑みだった。
「頭領も随分と性悪ですね」
「上げて落とすのはそんなに悪いか?」
「まあ、良くはありませんね……しかし、あれを起動させるのですか?」
「せっかく作り上げたシステムだ。埃を被らせたまま放置させるくらいなら、一度パーっと使ったほうがいいだろう。データも取れるしな」
「それも一理ありますね……わかりました」
納得したように頷き、狭山の手から離れた蝶々が出入口とは真逆の方向へと歩き出す。
座敷を降り、暫く歩いた所で、蝶々が狭山の方を振り向く。そして切なげに潤んだ瞳を見せながら、消え入りそうな声で狭山に言った。
「……また、逢えますよね?」
恋愛感情から来る物ではない。長い間共に戦ってきた戦友に――彼が子供の頃から共に生きてきた、文字通りの『家族』に対して向けられた、惜別の念から来る物であった。
「また――」
蝶々はこれから、一人でここを離れる事になっていた。
ある作戦の下準備のため。大事な任務を遂行するためだ。しかしそれでも、今現在戦っている者達と、何より頭領を置いて一人逃げ出すような格好になっている今の状況が、蝶々にはたまらなくもどかしい物となっていた。
「……ッ」
どうしても最悪のイメージが頭の中を占有してしまう。たまらなく不安になる。
「……安心しろ。そう簡単には死なん」
それを察してか、狭山が嫌に優しい口調で蝶々に返す。それでもそこから出ていく事を拒むかのようにその場に佇む蝶々に、今度はその語調を強めて命令するかのように言った。
そう立ち止まってもらっていると、こちらの決意も揺らいでしまう。
「――早く行け!」
それが引き金となった。
正面から襲い来る邪な引力を振り払うかのように狭山に背を向け、早足で蝶々が闇の中へと消えて行く。
「……消えたか」
蝶々の気配が完全に無くなった事を確認し、狭山が安堵したように肩を落とす。
「やれやれ、まったく心配性な奴め」
そう言いながら狭山が苦笑する。あの狐の性根――飄々としている様で実は寂しがり屋な性格――は何時まで経っても変わらないのか。そう思いながら、蝶々が消えたのとは反対側にあった出入口に視線を向ける。
既にそこから騒音は聞こえてこなくなっていた。ただ不気味な静寂だけがその場を支配していた。
「さて……」
腰に手を当て、狭山が仁王立ちの体勢を取る。
「こっちも覚悟を決めるか」
狭山の眼前で、爆発と共に木製の扉が外側から吹き飛ばされた。
不毛な戦いだった。
地上から放たれるミサイルの群れが巨人を穿ち、その体を爆散させていく。その直後、空には叩いた巨人の数と同じだけの魔法陣が新たに展開し、新たな巨人を地に放つ。それが延々と、四十分くらい続いた。
ゼロサムゲームだ。終わるはずもない。だが巨人を放っておいては逆にこちらがやられてしまう。生き残るには倒し続けるしか無かった。
だからルイは倒し続けた。躊躇う事なくミサイルを撃った。
撃った。撃った。撃った。撃った。撃ちまくった。
もはやどれだけ倒したのかもわからなかった。撃墜数が二百を越えた辺りからルイは数えるのを止めていた。そしてその時点で彼女の魔力はまだまだ枯れる事を知らなかったが、それが逆にこのゼロサムゲームを長引かせる一因にもなっていた。
そして戦いが長引く程に、町もまたその形を失っていった。
破壊され、魂を失った巨人の亡骸がその身を崩壊させ、岩塊の雨となって下にある町並みを押し潰していく。目標を外したミサイルの流れ弾が町を更に打ち壊し、そこを瓦礫の山と火の海に変えていく。
一分一秒毎に町が廃墟となっていく。敵の数は減らない。魔力も減らない。
恐ろしく不毛な戦いだった。
「作戦を考えよう」
ツェッペリンがそう切り出してきたのは、ルイがMLRSのミサイルの一斉発射によって巨人四匹を同時にガラクタに変えた時だった。そして魔力を流して後部砲台に次弾を装填させながら、ルイが後ろにいたツェッペリンに顔だけ振り向いて返した。
「作戦? 何するんですか?」
ルイ達の頭上では、また新しい魔法陣が姿を現していた。それを忌々しげに睨みつけながらツェッペリンが言った。
「術者を探す。この召喚術を操っている術者を探して倒せれば、この巨人のコンボも終わる」
「確かに、召喚術士は召喚獣から一定の距離にいないと、その術を維持することが出来ませんからね」
昔読んだ教科書に載っていた召喚術士の基礎能力の一つを思い出しながらルイが言った。それに頷いてツェッペリンが言った。
「私もそれをノワールから聞いた。恐らくその召喚術士は、この町のどこかにいるはずだ」
「それを探して叩くと。やはりそれしか……ちょっと待って下さい」
突然の中断に訝るツェッペリンの前でルイがLMRSに魔力を流す。それが引き金になって砲塔内の十二発のミサイルが一斉に撃ちだされ、こちらに迫っていた巨人三体を一瞬で塵芥に変える。
「それで、なんでしたっけ?」
そして何事も無かったかのように話を再開してきたルイの胆力に驚きつつも、ツェッペリンが話を続けた。
「このままじゃ埒が明かないから、作戦を立てる。そこまではいいな?」
「はい。それで、何か名案が?」
「ああ、手短に言うぞ。お前が囮になってくれ。その隙に私が本体を探し出す」
「……立場逆にするのは無理ですか?」
「無理だ」
苦い顔を浮かべたルイにツェッペリンがにべも無く返す。
「奴らを無力化出来る火力を持っているのは、今の所お前だけだ。ガットから応援が来れば少しはマシになるのかもしれんが……」
「来ない物をアテにしたって仕方ないですよ……それで行きましょう」
掌から魔力を流してMLRSに次弾を装填させながらルイが言った。若干顔をしかめてツェッペリンが返す。
「任せていいんだな?」
「ええ。やるしかないんでしょう?」
「お前には貧乏くじばかり引かせてしまうな」
「もう慣れましたよ」
そう投げ遣りに返しながら、ルイが開いた手を握りしめて魔力の供給を止める。ツェッペリンが翼をはためかせ、足を浮かばせ低空に留まる。
「これが終わったら何か美味いものでも食べよう」
「私、ピザが食べたいです」
『アンチョビ抜きで』
「……大悟はアンチョビ抜きらしいです」
「何だと? あれの無いピザに一体なんの価値が……まあ、良い。一応用意しておこう」
滞空した状態で再び翼をはためかせ、腑に落ちない顔つきのままツェッペリンが空高く舞い上がる。
「ルイ、また会おう!」
そしてルイから豆粒ほどの大きさに見える程にまで上昇した後、町の何処かへと一直線に飛び去っていく。その様子を見届けてから、ルイがおもむろに耳に当てていたヘッドセットに意識を向けた。
「……だ、そうです」
《……もう何も言うまい》
無線越しに、隼が疲れたように言葉を漏らす。半ば自分から首を突っ込んでいった事とは言え、ルイの――ルカと大悟の不憫さは今に始まった事では無いからだ。
だが、ルイを励ますのも慰めるのも、今は後回しだ。この場で彼女が最も求めている事を提供する事が、この時の隼の仕事であった。
《私も覚悟を決めたよ。サポートは任せろ。お前は攻撃に集中していればいい》
隼は愚鈍ではなかった。慰めよりもルイが一番求めている事を的確に伝える事が出来た。そんな隼に改めて感嘆と親愛の念を覚えながら、ルイが隼に言った。
「それより、隼さん」
《なんだ?》
「ピザ、何か注文ありますか?」
《ピザか……そうだな……》
敢えて軽い口調で言ったルイに合わせるように、苦笑混じりに隼が返す。
《オリーブオイルは無い方が良いな》
「――わかりました。後でツェッペリンに伝えておきます」
小さく笑ってルイが返したその言葉は、約束。
絶対に生きて帰ってくると言う、隼に対して言外にルイが交わした約束。
それを見抜けない程、隼は愚鈍ではなかった。
《……さっさと帰ってくるんだぞ?》
「わかっていますよ」
ああ、やっぱりこの人は凄いや。
そう感慨深げに思いながら、ルイはスティンガーを構え、LMRSに火を点けた。
爆発する炎の矢の群れが、広範囲に分散していた巨人達に一斉に襲い掛かる。
最後の攻撃の火蓋が、切って落とされた。
「……前から妙だと思っていたのだが……」
「どうした? こんな時に考え事か?」
ルイとツェッペリンが戦端を開いたのと同時刻。彼女たちからは遠く離れたビルの屋上。そのルイと巨人の戦闘の巻き添えを食らい今にも崩れ落ちそうなビルの上で、鷹丸と『切り札』は尚も対峙していた。両者とも、既に満身創痍であった。装束も体もボロボロで、揃って肩で息をしていた。
その中で、鷹丸の体の一部の異変に気付いた『切り札』が、その異変を指さして今まさに鷹丸に問い詰めていた所であった。
「お前のそれは、いったい何だ?」
「それ? それとは何のことだ」
「髪の毛の事だ」
「……これの事か」
鷹丸の髪の毛は伸びていた。
腰まで届く程の長髪。なめらかな光沢を放つ、汚れ一つない黒髪。
そんな芸術とも言うべき髪の毛が、突如として鷹丸の後頭部から伸びてきたのだ。『切り札』でなくとも驚いて当然だろう。
ましてや『切り札』に至っては、それを見るのは今回で二度目である。ある程度の教養を身に付けた分別のある彼にとって、その髪の毛を見て恐怖はともかく、好奇心を掻き立てられるのは不思議な話ではなかった。
「最初に見た時から、どこかおかしいと思っていた。戦っている最中に、いきなりお前の髪の毛が伸びてくるのだからな。驚かなかったと言えば嘘になる」
『切り札』がその長髪に視線を向け、興奮を抑えるかのように淡々とした口調で言った。鷹丸は黙ってそれを聞いていた。
『切り札』の目的は陽動及び時間稼ぎ。傍目から見れば、この行動はその目的に則った時間稼ぎと見ることが出来るだろう。だがこの時の『切り札』の一連の行動は、作戦二の次の、単純に自身の好奇心を満たすための行為であった。
欲望優先。結局は奴も魔族なのだ。
「それは魔法か? それとも魔法以外の、こちらの世界に存在する未知の技術によるものなのか? 私はそれが知りたいのだ」
「……今それを聞くのか?」
「うるさい。さあ、答えてもらうぞ。お前は何者なのだ?」
まだ勝負はついてないと言うのに、既に勝ったかのような高圧的な態度で『切り札』が尋ねてくる。
「さあ。教えよ。それはなんなのだ?」
好奇心に目を光らせながら『切り札』が剣の切っ先を鷹丸に突き出す。その目と態度――欲求が理性を打ち負かしたのがありありと見て取れる姿――から、ちょっとやそっとでは譲歩するつもりが無いのは明白だった。
面倒な事になったと鷹丸は内心ため息を付いたが、これ以上ここで油を売る訳にも行かなかったのも事実だった。
「……いいだろう」
諦めたように鷹丸が口を開く。纏わりつかれる前に全て明かしてしまえ。そう投げ遣りな気分になりながら、鷹丸が刀を握った反対の手で自身の髪の毛に触れた。
「……倶定だ」
「クジョウ?」
愛おしげに髪の毛を撫でる。鷹丸が言葉を続ける。
「私の名前は倶定楓。訳あって男をしている」
「……そう言う薬があるのか?」
鷹丸――倶定楓が『男の顔で』クスリと笑う。
「時間制限つきでね」
次で巨人戦、決着をつけます。
なんか最初に想定していたものよりもかなりグダグダになっていますが、このままの流れでも大丈夫でしょうか?
次回「終結」
撃ちます撃ちます




