第九十一話「焦土作戦」
「……」
深海は目の前に映しだされていた映像を見て愕然としていた。
それが占い師が使うような水晶玉から放たれた光によって壁に投影された映像である事や、数分前にその水晶玉を持って、自邸内の警報を一つも鳴らす事無く、一人の少女が居間に居座っていた自身の前に忽然と現れた事など、気にかかる事は他にいくらでもあった。
だが、そんな深海の抱えていたその他諸々の疑念は、混乱する自分をなだめつつ少女が壁に向けて投影し始めたその映像の前に全て雲散霧消したのだった。
「これは……全て現実の物なのか……」
唖然とした表情で深海が呟く。信じられない、信じたくないと言外に告げる。その様子を見て、傍らに立っていた件の少女が小さく笑う。
「もちろん。これは全て、今現在岩屋町で起きている事です。ドラマでも映画でもありません」
「なんと……なんと言う……」
生気の抜け切った顔で深海が膝を落とす。ダメ押しとばかりに少女が腰を下ろし、深海の耳元に顔を寄せて小さく囁く。
「ちなみにこれ、私共がやらせていただきました」
「……!」
真っ青な顔を一瞬で真っ赤にし、深海が首を動かして少女を睨みつける。その怒りと困惑がないまぜになった瞳を臆すること無く――寧ろその反応の変化を楽しむように目を細めて見つめ返しながら、少女が深海に言った。
「さて、ここで一つ自己紹介しておきましょうか。私はキリカ・ゼクルス。『レビーノ』から『こちらの世界』にやって参りました。あなた方の言葉で言うなら、そう……『侵略者』と言う者でしょうか」
「ま、まさか――」
侵略者、と言う単語が深海の理性を蘇らせた。勢い良く立ち上がり、尚も映し出される映像に背を向けような形で、片膝立ちの姿勢を取っていたキリカから距離を離す。
深海の腰から肩にかけて、水晶玉から放たれる映像がそこに映し出される。だがそれを気に留める事無く深海が強い語調で言った。
「お前たちが、あの球体の主だと言うのか!」
「主ですか……残念ながら半分ハズレです」
「ハズレだと?」
ゆっくりと立ち上がって膝頭についた埃を払い落とし、その後真っ直ぐに深海を見つめながらキリカが言った。
「私は――私達は、あくまでも先遣部隊。計画の初期段階を完遂させるための尖兵ですよ……まあもっとも、その当初の計画も色々と練り直すべき部分もあるのですが」
「お前たちのような子供が、先遣部隊? お前の国の人間は、子供に戦わせていると言うのか?」
「魔力のキャパシティに老若男女は関係ありません。強いからここにいる。それだけです――そう、見て判るように、私達はとても強い」
強い、と言う部分を強調して言い放ったキリカが、左手を伸ばして深海を指差す。だがそれは、正確には深海を指した物ではなかった。
「その気になれば、町一つを粉々にする事だって出来るのです。それこそ、赤子の手を捻るかの様に簡単に」
深海が体をずらし、露わとなった壁に再び映像が映し出される。
歪な輪郭を持った何百という岩の巨人が無軌道に暴れ回る、廃墟と化した岩屋町の姿がそこに映っていた。
「ドラゴンを呼び出し、町を火の海にする事も出来る。メデューサを呼び出して町の人間だけを全て石に変える事も出来る」
淡々とキリカが話す。だがそれは深海の耳には入ってこない。
「――」
高層ビルは真ん中からへし折られ、崩された上半分がそのビルの真下で半ば崩壊した形で放置されていた。巨人の足首ほどの高さしかない建築物は根こそぎ踏み潰され、ただの瓦礫の山と化していた。
その映像――悪夢のような映像を深海は何度も、何度も凝視していた。
「――ッ!」
目を見開いてその町の様を視界に収めながら、己の無力さに言い様のない怒りを覚える。そしてその怒りは自身の沸点を越え、尚も真っ赤に燃え上がっていた。
固く握りしめられたまま怒りに震える深海の両拳を、キリカはさも愉快そうに唇を歪めながら見つめていた。
と、そこで不意にキリカが目を閉じ、口元に手を当てる。そしてその表情をそれまで満面に浮かべていた嗜虐性を欠片も見せない冷静な物へと瞬時に切り替え、親しい人間に話しかけるような穏やかな口調でキリカが言った。
「……この力、欲しくはありませんか?」
深海が顔を真っ赤にしたままでキリカの方を向く。その瞳には怒りと困惑と――そしてほんの僅かに、期待の光が混じっていた。
食いついてきた。心の中で高笑いを上げながら、大仰に両手を広げてキリカがよく通る声で言った。
「素晴らしいとは思いませんか? これだけの力を、町一つ余裕で滅ぼせる力を、あなたが思いのままに扱えるようになるのですよ? ――そしてその力を正しく使えば、全てを守る事も出来るのです」
「……!」
守る。その言葉に深海が反応した。瞳の中からネガティブな要素が薄れ、それに変わるように期待の光がますますその輝きを増していく。
深海は冷静な思考能力を失っていた。
「そう。まさにあなたの思う通りの世界が築けるのです。町を、国を、いや世界をも揺り動かせるだけの力を、あなたは手にする事が出来る――出来るのです!」
「……な、なにを……」
深海がわなわなと口を動かし始める。キリカが僅かに唇の端を吊り上げる。
「私は……何をすればいいのだ?」
深海は冷静な思考能力を失っていた。努めて平静を保ち、諭すようにキリカが言った。
「……本当に欲しいのですか? 自分で煽っておいてこの様な事を言うのも変ですが、あなたは本当に、私達と同じ力を使いたいのですか?」
「……ああ」
「なぜ?」
「国を……」
深海がそこで言葉を切って顔を俯かせる。そして再び顔を上げた時、深海の目に迷いの色は存在しなかった。
「国を守りたいのだ」
自分から勝手に背負い込んでいた責任感と町の惨状を前に、深海は完全に正気を失くしていた。
「私はこの国を守りたい。あの町だけではない。私はこの国を守りたいのだ――そしてそのためには力がいる……そうだ、私は」
「私は?」
もはやキリカは勝利の笑みを隠すことをやめていた。だがその邪悪な笑顔をまったく気にする事無く、深海が悪魔の誘惑に魂を傾ける。
「私は力が欲しい」
キリカがおもむろに右手を差し出す。
「欲しい?」
ふらふらと深海がキリカに歩み寄る。
「……欲しい」
キリカの目の前で立ち止まり、自分から膝立ちになってキリカを見上げる格好を取る。
「欲しい……!」
縋るようにその右手を両の手で強く握り締める。
「欲しい!」
「本当に欲しい?」
「欲しい! 欲しい! 私はそれが欲しい!」
「……わかりました。そこまで言うのならば、力をあげましょう」
契約完了。
気の抜け切った深海の無様な顔を見下しながら、心底嬉しそうにキリカが言った。
「それでは、私の要求に答えていただきましょうか」
ルイの救援半分、興味半分でツェッペリンが最初に巨人の現れた地点に空を飛んで向かった時、彼女は眼下に広がる光景を見て言葉を失った。
「……!」
そこに街の光景は無かった。
そこにあるのはただ、かつて建物を構成していたと思しき瓦礫の山と、地割れが起きたかのように縦横にヒビを走らせた道路と歩道。地面のあちこちに産み落とされていた、外周部分一帯のコンクリートを高々と隆起させた大小様々のクレーター。
根本から倒された信号灯。吹き飛ばされたガードレール。瓦礫に混じってそこら中に散乱するガラス片。
そして上半分ないし上三分の二をへし折られ、凸凹とした歪な切断面を青空に向けて晒し出していた高層ビルの残骸。
「……」
目の前に広がるのは、文字通りの廃墟だった。日光を反射し目を焼かんばかりに輝く物も、自ら赤や緑の光を放つ物も無い。
その山の一つ一つから僅かに煙を放ち、全てが灰色一色に染まっていた。
その灰色の光景は雲ひとつ無い空に浮かぶ青色との組み合わせによって、どこか頽廃的な美しさを湛えてもいた。
そしてその一帯を廃墟へと――大仰で破壊的な芸術品へと変えた巨人たちの魔手は、今まさに岩屋町全てを飲み込もうとしていた。
「あいつは……あそこか」
そしてその廃墟の中でツェッペリンは、そこで尚も巨人相手に戦いを続けていたルイの姿を見つけ、何も言わずに彼女目掛けて急降下を始めたのだった。
「ツェッペリン!」
ようやっと空中からやって来た援軍を見てルイが心底嬉しそうにそう言葉を漏らしたのは、自分に向けてゴツゴツとした手を伸ばしてきた巨人の顔面にスティンガーをぶっ放した直後のことだった。
「でも、どうしてあなたがこっちに来たの? ガットの要請で?」
「いや、個人的にお前の事が気になってな。しかし、よく今まで持ち堪えていたな」
スティンガーをスライムに戻して袖口にしまっていくルイの横で、ツェッペリンがそう答えてから辺りを見回す。
空から見てもかなり酷い有様だったが、実際に地上に降りて人間の目線で見てみると、そこにはもはや自分の知る岩屋町の面影が存在しないと言う事が、視界を埋め尽くすひしひしと伝わってきた。
「これは……私の店も残ってはないだろうな……」
「ごめんなさい……私達がもっと上手に戦えていたら……」
「何言ってるんだ。町を滅茶苦茶にしたのはあの巨人連中だろう? お前たちは大した怪我もせずにここまで持ち堪えて来れたんだ。自分の戦闘スキルに誇りを持て」
「いや、そう言うんじゃなくて。本当だったらもっと上手にやれたはずなんです。ここまで大事になる必要も無かったはずなんです……」
謙遜するでもなく天狗になるでもなく、本当に心の底から申し訳なさそうに顔を俯かせるルイの姿を見て、ツェッペリンが言い様のない疑念を覚える。
「何かあったのか?」
「いや、何というか、今考えれば他にもやりようはあったと思うんです。でもあの時はちょっと気が動転して、手段を選んでる余裕がなくって……」
まだ町が原型を保っていた時、空を埋め尽くすほどに出現した大量の魔法陣を思い出しながら、ルイがツェッペリンから顔を背けて消え入りそうな声で言った。
「ちょっと、ほんのちょっとですよ? ほんのちょっとだけ、パニックになっちゃって、それで……」
「だから、お前はいったい何をしたんだい? そんなに慌てふためいて、何かマズイことでもしたって言うのかい?」
そう詰め寄りながら追求してくるツェッペリンを横目で見つめながら、おもむろにルイが指を広げて両手を斜め下方に突き出す。
両の袖口が小刻みに波打つ。次の瞬間、その二つの袖の先から粘り気のある黒色のスライムが同時に、蛇口の壊れた水道のように前方の地面に向けて勢い良く噴きだした。
「……!」
突然の事に驚き、ツェッペリンが反射的にルイから後ずさる。その間にもそのスライムの激流――ツェッペリンにはその黒い流れは、中東の精製プラントでパイプの先端から噴き出してくる原油に見えた――は止まる事はなかった。
噴き出されたスライムは既に地面に到達した物の上に折り重なるようにして堆積していき、やがて地面に水溜りならぬ泥溜りを形成していく。その泥溜りは、しかし延々と薄く広がっていく事は無く、尚も流れ落ちてくるスライムを取り込みつつ自ら意志を持つかのように地面の一点に向けて収束し、そこから縦長の箱の様な形を取ったまま急スピードで相似拡大を続けていった。
やがてその泥溜りは、光沢を全く持たない、ルイやツェッペリンよりもずっと巨大な直方体を形成していた。そしてそのまま、直方体は二人の目の前で波打つように全身を大きく蠢動させ始めた。
波打つと同時にある部分を直角に凹ませ、またある部分を角張らせていく。その作業を一つ終える度に、形がより鮮明に、明確になっていく。
「おいおい……」
やがて造形を終え、完全にその姿を露わにした『それ』を見て、ツェッペリンが疲れたように溜め息を吐いた。
「まさか、これを使ったのか……?」
「……はい」
「町中で?」
「はい……」
スライムが変身した物体。それは一言で言えば車両だった。それが他の車両と異なっていたのは、車体下部には車輪の代わりにキャタピラがつき、その背中に前と後ろに十二個の穴が開いた縦に薄い直方体状の物体を背負っていた事だった。
「MLRSか」
「M270です」
MLRS。アメリカ陸軍の開発した多連装ロケットシステム。
正式名称、M270。
別な言い方をすれば、それは背中に多連装ロケット砲を積んだ車――自走多連装ロケット砲である。
「ちょっと気が動転しちゃって、あの時『お城』で生み出したのと同じように、無意識にこれを呼び出してしまって、それで……」
「狙いもつけずにロケットをばらまいたのか」
「はい。流れ弾とか計算に入れてませんでした……」
そう言いながら、ルイの思考が過去の記憶の情景へ――つい数分前の光景へと飛翔していく。
空中の魔法陣に向けてMLRSから一斉に放たれたロケットは、その魔法陣から突き出されていた巨人の腕やら顔面やらを正確に捉え、それら全てを爆散させていった。この時点では効果は抜群だった。だが次がまずかった。
既に魔法陣から全身を出し、降下を始めていた巨人達にも、ルイは躊躇う事なくロケット攻撃をお見舞いしたのだ。
この時、巨人の方も自由に体を動かせる状況にあった。迫り来る爆発する槍を、ある者は紙一重で躱し、ある者は拳を握りイチかバチかでその手の甲を使ってロケットを弾き飛ばそうと試みた。
躱し切れずに直撃を貰う個体もいた。爆発に巻き込まれ、肘から先を失う個体もいた。だが回避や迎撃に成功した者も確かに存在した。そうして狙いを狂わされたロケットの群れは、軌道を修正する事も出来ずに次々ビルへと突っ込んでいった。
ロケットを土手っ腹にねじ込まれ、爆炎を上げながらビルが倒壊していく。地面に落下し、周囲の建物を巻き込んで地面を爆発と共に破砕していく。その時になってルイは自分がやらかした事のヤバさを認識した。
だがその出鱈目なロケット攻撃によって、今度は巨人達の行動に変化が起きた。
自分達に向けて撃ち込まれてくる『燃える槍』によって命の危機を覚えた大量の巨人達が、我武者羅に四肢や体を振り回し、町ごと射手を潰してしまおうと破壊活動を始めてしまったのだ。
本気で壊し始めた巨人の行動は容赦が無かった。言葉にならない叫び声を上げながらビルの壁面を片手で掴んで真ん中からへし折り、自ら進んで建築物を踏み潰し蹴り壊していく。その間、ルイは己の迂闊さを呪いながら死に物狂いで逃げるしか無かった。
「そういう事だったのか」
ルイの告白を、ツェッペリンは黙って聞いていた。不思議と怒りは湧いて来なかった。あんな非常識な連中を前にして自分がルイの立場だったら、きっと同じ事をしていただろうと予想していたからだ。
あんなもの、ビビって当然だ。
「ごめんなさい。私がもっとしっかりしていたら……」
「必要以上に気に病むのは止めるんだ。失敗は成功の母。そして大切なのは過去よりも今だ。そうだろう?」
だから本気で落ち込むルイを、ツェッペリンは自然な所作で励ます事が出来た。そしてその直後に巨人の次の群れがこちらに近づいてきた事もまた、ツェッペリンにとっては好都合だった。
気まずさを解消し事態を動かしてくれる絶好の相手が現れたからだ。
「ほら、ルイ。敵の新手が出てきたぞ。ぼさっとしている暇は無い。後悔しているなら戦うんだ」
「……そうですよね」
やがて顔を上げ、意を決したように表情を引き締める。
「色々考えるのは、後にします」
「ああ。そうだ。その方がいい」
MLRSをスライムに戻し、その一部を再びスティンガーに変えて残りを袖口へと戻していく。
《ルイ、聞こえるか?》
グッドタイミングだ。ヘッドセットから聞こえてきた隼の声に安心感を覚えながら、落ち着いた声でルイが答える。
「はい、隼さん。聞こえてます」
《すまない。家に戻ってから少しヤボ用が出来てな。準備に手間取った》
「何かあったんですか?」
《生理だ》
「せい……」
なぜそうもハッキリ言えるんだこの人は。ルカと大悟は同じ感想を同時に思いついた。だがそんな二人の思惑はお構いなしに、隼がヘッドセット越しに言ってきた。
《いいか。細かい指示はこちらから出す。援軍は来たか?》
「ツェッペリンが一人です。他は来ていません」
《来てない? 足止めを食らっているか……まあ、それを考えるのは後だ》
ついでにそこにツェッペリンがいる事についても、隼はとやかく言うのは止めた。代わりにルイに向けて、自分なりに励ましの言葉を送る。
《相手がデカイからって、ビビるなよ。弱点は必ずある》
「はい。それと、弱点はもう見つけてあります」
《そいつは頼もしいな。それとツェッペリンとも足並みを揃えて行けよ。せっかく相方がいるんだ。協力して事に当たれ》
「わかりました」
「隼からか……彼女は何と言っていたんだ?」
横から聞いてきたツェッペリンに、ルイがそちらを向いて簡単に言った。
「二人で頑張れだそうです」
「そうか。なら二人で頑張るしか無いな」
ツェッペリンが不敵な笑みを浮かべてそう言った直後、前方から爆発かと勘違いするかのような足音と、およそ頭が良いとは思えない、間の延びきった叫び声が木霊する。二人が揃って前を見ると、そこには五体の巨人を先頭にして、その後に続くようにして続々と巨人の群れが続いていた。
「さて……」
呟きながらツェッペリンが軽く屈伸をする。その横でスティンガーを持ったまま、ルイが首を大きく回す。
膝を曲げ終えたツェッペリンが翼を広げ、瓦礫だらけの地面から僅かに宙に浮く。
前方の巨人の一体が叫び声をあげ、右手を高々と掲げる。それに続くように後続の巨人共が鬨の声を上げる。
「行くか!」
それに合わせるようにツェッペリンが叫び、ルイがスティンガーを構える。
真っ先に叫び声を上げた巨人が、二人目掛けて走りだす。その顔面めがけて、ルイは容赦なくスティンガーの引き金を引いた。
そろそろ第一部完に近づいております。
今後ともよろしくお願いします。
次回「蛇の頭」
撃ちます撃ちます




