第八十六話「情報漏洩」
「キリカさん、何をしているんですか?」
漆黒の空間の中、ユーリ・デミルは腰を下ろして何かを弄っていたキリカ・ゼクルスの背後から近づき、キリカの顔の横に自分の顔を寄せてそう尋ねた。そしてユーリの存在に気づいたキリカがその方を向き――彼女を知る者が見たら愕然とするほどの――邪念のない穏やかな笑みを浮かべて言葉を返した。
「あら、私が何をしているのか、そんなに気になるのかしら?」
「はい、とっても。キリカさん、それは何ですか?」
これまた普段からは考えられない優しい口調で話しているキリカを欠片も不審に思わないまま――寧ろ自然と笑顔を返しながら、ユーリがキリカの手の中に収められていた物を興味津々と言った体で見つめて言った。
「これはね、携帯電話と言うのよ」
「ケイタイデンワ、ですか?」
「ええ。携帯電話」
初めて聞く単語に目を白黒させるユーリに対して、どこか自慢げにキリカが言った。そして「こっちにいらっしゃい」と自分の隣に来るようユーリに告げ、そのユーリがぴったりくっつくように自分の横についた所で、キリカが話を再開した。
「これはこの世界で生まれた道具の一つで、魔力を使わずに遠くに離れた人と連絡を取り合う事が出来るのよ」
「え? 水晶みたいに魔力を消費しなくていいんですか?」
「ええ、そうよ。だから徒に戦う分の魔力まで消費しなくて済むし、おまけに水晶と違ってこんなにコンパクトだから、持ち運ぶのにも困らない。まさに万能ツールなの」
「へええ……凄いですね……」
キリカの言葉を説明を聞き終え、ユーリが大きな目を好奇心でキラキラ輝かせる。そんなユーリの頭をキリカが愛おしげに撫でていると、不意にユーリがキリカの方を向いて言った。
「それでキリカさん、この『ケイタイデンワ』は、遠くの人と連絡出来るんですよね?」
「ええ」
「じゃあ、今は誰と連絡しているんですか?」
ユーリの言葉に、キリカが顎に指を押し当て困ったように「うーん……」と唸る。そして指を離し、催促するようにまじまじと見つめてくるユーリを見つめて笑みを浮かべながらキリカが言った。
「教えてあげません」
「ええ、そんなあ! そこが一番大切な所なのに!」
そう言って、目に見えて落胆するユーリの頭を再び撫でながら、キリカが返す。
「ごめんね。私は今、これを使って次の作戦のための情報を集めているの。だから、いくらあなたの頼みでも、それを教える事は出来ないの」
「作戦……ですか?」
「ええ。これが成功すれば、私たち先遣部隊の達成すべき目的が一気に解決出来るほどの一大作戦よ」
「一大作戦……」
「ええ。それとその時には、あなたにも参加してもらうわ」
キリカにそう言われた途端、ユーリが携帯電話を見た時よりも更に強く目を輝かせた。どのような形であれ、キリカの役に立つ事をするのは、ユーリにとって最も嬉しく誇らしい事であったのだ。
「任せて下さい! 僕、どんな事でも絶対にやり遂げてみせますから!」
「それは心強いわね。じゃあその時になったら、大いにアテにさせてもらおうかしら?」
「もちろんです!」
そう胸を張って言い切るユーリの頭を「よしよし」と優しく撫でながら、キリカは目の前にある携帯電話の液晶画面に視線を移した。
そこには『協力者』から送られてきたこちらの世界の情報が――キリカが最も欲している情報群が事細かに記載されていた。その文字の羅列を見つめながら、キリカが頬を綻ばせる。
「ええ、直に……直に全部カタがつくわ……全部ね……」
そしてユーリに聞こえない様にそう言ったキリカの顔は、彼女を知る者全員が見慣れ畏れた『いつもの』表情を浮かべていた。
「……と、言うことがありまして。それはもう大変な事でした」
「それはまあ……災難でしたね」
同時刻、ガット内部にある病室にて。
ルカと大悟はシェリルのお見舞いのため、最初に会ってから二日ぶりにそこに来ていた。そしてそこでベッドの上で上体を起こしているシェリルの横に椅子を置いて座り、ルカがシェリルにそれまでの間に自分の身の回りで起きた出来事を語って聞かせていた。大悟は殆どルカの付き添いだった。
ルカの話す内容はカルチャーギャップから来るルカの日常での失敗談や一日の中でルカが経験した面白い事、珍しい事。そして真夜中におけるルイの戦闘の事。
シェリルはその戦闘の事を何よりも聞きたがっていた。だがその一方で、シェリルはその話を耳に入れる度に顔を伏せ、苦悶の表情を浮かべてもいた。
無理もない。以前から魔族を救いたいと強く願っていたシェリルなのだ。その魔族が一方的に倒されていく話を聞くと言うのは精神的にキツイ物があるのだろう。魔導士との戦いの顛末を聞いた際にも同じく苦い表情を浮かべていたが、そちらは彼らの元を離れ、自分一人なあなあと過ごしている事に対する負い目が原因であった。
そして彼女と同じ目的を持っていたツェッペリンと比べ、それを『大事の前の小事』と割りきっていた彼女に対し、シェリルは彼女よりもずっと繊細な――悪く言えば頑固な神経の持ち主だったのだ。
「やっぱり、無理して聞かなくても……」
「いえ。私はそれが――今のこの町の状況が知りたいのです。だからルカさん、最後までお願いします」
苦い顔でその身を気遣うルカに、シェリルは無理に笑顔を作ってそう返す。そして困ったような顔で自分の方に顔を向けて来るルカに、大悟は黙って首を縦に振った。
「じゃあ、話を続けますね」
結局ルカは病人の意見を尊重し、話を再開する事にした。
ルカとの会話を楽しんだその日の夕方。
シェリルは一人、松葉杖をついて施設内にある通路の一つを歩きまわっていた。そこの通路には他の人間達も行き来していたが、その往来自体は激しくなく、脇を通るスペースは十分にあった。それに反対側から来る人達も、シェリルの姿を認めた途端通路の脇に自分からどいてくれるので、進行が面倒と言うことにはならなかった。
自分の体を動かすのはとても面倒だったが。
「やっぱり、病み上がりの体で無茶をする物ではないですね……」
体の方は最初の頃よりもだいぶ回復してきたが、それでもやはり体は重く、両足は満足に動かせずにいた。それでもシェリルが体を動かしていたのは、単にベッドで一日中寝込んでいることが彼女にとっては退屈を通り越して苦痛であったからだ。
自身の能力を使って損傷そのものを『消す』事も出来たが、シェリルはそれをしなかった。それはそんな事をしてしまってはここまで自分のためにしてくれたガットの人たちに対して申し訳が立たないと言う気持ちと、マダルマに対する自分でも良くわからない類の負い目の二つが、彼女の心に枷をつけていたからだった。
そんな複雑な気持ちを抱えたままシェリルが通路を歩いていたその時、
「あら?」
目の前に映る人間の集まりの中で、見慣れない――と言うよりも、どこか周囲と浮いているような一人の男にシェリルの目が行った。
その男の視線がシェリルと交わり合う。一瞬はっとして、すぐに男が目をそらす。
男の顔は酷く打ち沈んでいた。
「……あら」
その表情からシェリルの直感が『何か』を感じ取る。脳内にある『使命感』と言う名のお節介のスイッチをオンにする。
松葉杖を前後に動かし、必死の形相でシェリルが男に近づく。男がそのシェリルの姿に気づいた時には、シェリルは既に自分の目と鼻の先にいた。
「何か、悩み事でもあるのですか?」
男が後ずさるよりも先にシェリルが先制する。
「愚痴でも何でもいいので、私に話してみてはくれませんか? 誰かに話すだけでも、スッキリすると思いますよ」
男はその誘いを断れなかった。
鉛のように重い体を引きずるように邁進して半分青ざめた汗だくの顔で、睨み殺さんとせんばかりに目に力を込め、クソ真面目な表情で迫られたからである。
その迫力たるや、逃げたら殺されるんじゃないかとさえ思ってしまうほどだった。
「なるほど、そういう事なのですか……」
それから数分後、シェリルと男は出会った場所から離れた所に移り、そこで男の名前と、その男が抱えていた悩みの一切合切を聞いた。
男は信吾と言った。
信吾は意気消沈の極みにあった。
「負け続けている。強くなりたい。それがあなたの悩みと言う訳ですか」
全てを聞き終えた後に放たれたシェリルの言葉に、信吾は黙って頷いた。この時、信吾はシェリルの事をすっかり信じきって、心の奥に仕舞ったまま誰にも見せていなかった物を全て吐き出してしまっていたのだ。
自分の精神状態の問題もあったが、目の前のシェリルの態度からある種の安心感――自分の話を真摯に、茶化すこと無く聞いてくれると言う安心感――を、明確な根拠も無いままに感じ取っていたからでもあったからだ。
相手の心を無条件に開かせる。それは最早一つの才能と言っても過言ではなかったが、シェリルはそれを自覚して使っている訳ではなかった。ただ相手と正面から向き合いたい、相手のことをもっと良く知りたいという思いが、その力を無意識の内に発露させていたのだった。
「……確かに、強くなるというのは一筋縄では行きません。あなたが焦るのもわかります」
シェリルが柔らかい口調でそう告げる。そして、「しかし」と強く前置きを言ってから、シェリルが言葉を続けた。
「強くなると言うのは、必ずしも独りで出来る事ではありません。時には仲間の力を借り、共に高みへと昇ることも重要なのです」
正論ではある。だがずっと一人だった自分にとって、それは決して容易では無かった。今更ガットの同僚に心を開ける訳もない。信吾は苛立ちを隠せなかった。
その信吾の感情の揺れを敏感に感じ取り、シェリルが明るい声で信吾に言った。
「では、私があなたの訓練に同行するとしましょう」
「……え?」
予想外の言葉に信吾が素っ頓狂な声を漏らす。冗談ではなく、真剣な顔つきのままシェリルが続けた。
「仲間と共に鍛える。それが難しいから、あなたはここまで燻ってきていたのでしょう? ならば、私があなたと共に体を鍛えるとしましょう。私もこちらの世界の訓練に興味を持っていましたし」
「どうしてそこまで、俺のために……?」
信吾が呆気に取られたように呟く。その信吾の方を向いてシェリルが強く言った。
「放っておけないからですよ」
「え……?」
「あなたが放っておけないからです。あなたの悩みを、何とかして解決してあげたいからです……まあ最も、この身なりでは当分の間は体を動かすことは出来ませんが――」
治ったら、絶対に付き合います。
シェリルは断言した。
「それと、あなたの『こちらの世界』での友人を増やす事にも協力します。やはり近しい者とやる方がより良く捗ると思いますから」
そして信吾にとって、ある意味爆弾とも取れる言葉を放り投げておく。突然の事態の連続に信吾が上手く言葉を返せないでいると、不意にシェリルの懐からやかましい電子音が鳴り響いた。
「あ、いけない。『門限』の前に戻らないと、また怒られちゃう」
シェリルがそう言って多少よろめきながらも松葉杖に寄りかかるように立ち上がる。
「じゃあ、今日はこれで。私の病室がどこにあるかは、何とかして誰かに聞いてください――実は私も、ここの地理の事まるでわかってないんですよ」
そして信吾に対して苦笑交じりにそう告げ、シェリルが信吾に背を向けて進みだす。
「ま――」
その時。
「待ってくれ!」
信吾が大きな声でシェリルを呼び止める。その場で立ち止まり、首を捻って信吾の方へ視線を向ける。
そのシェリルに、背中越しに信吾が尋ねた。
「名前」
「なまえ?」
「ああ。あんたの名前。まだ聞いてなかったよな?」
暫くの沈黙の後、あっ、と素っ頓狂な声を出してからシェリルが言った。
「そういえば、まだ私名乗ってませんでしたね」
松葉杖をえっちらおっちら動かし、信吾の方へ体を向けてシェリルが言った。
「シェリルです」
「シェリル?」
「はい。『捕虜』のシェリル・ヴェーノです……知らなかったのですか?」
「あ、ああ。名前を聞くのも初めてだ」
「……そうなんですか」
捕虜。シェリル・ヴェーノ。
信吾はそんな事少しも聞いたことはなかった。初めから人の話を聞いていなかっただけだったのかもしれなかったが、そんな事はどうでもよかった。
俺だけが知らない。その『事実』が、信吾の中に新たな怒りを湧き上がらせる。
だがそんな事はつゆとも知らずに、信吾を見てシェリルが苦笑する。一方で燃え盛る心を抑えつけながら、信吾が思い切って言った。
「――どうしてあんたは、俺にここまでしてくれるんだ?」
「放っておけないからですよ」
即答。戸惑いながら信吾が言った。
「……それだけ?」
「それだけで十分です――じゃあ改めて、これからよろしくお願いしますね」
そしてそう言って、シェリルは再び信吾に背を向けて松葉杖と共に歩き出した。
「あれが……シェリル・ヴェーノ……」
信吾はその背中を見つめながら、呆然としてその名前を呟いた。
その日から日を跨いだ深夜。
高層ビルの屋上で、一人の人間が携帯電話を耳に当てていた。
「……ああ。今日出せる情報はそれで精一杯だ……悪いな。流石に機密情報の類はガードが厳しくて、容易に覗くことは出来ないんだ……」
感情の無い、淡々とした語り口。それはただ主に結果だけを伝える、無機質な人形にも見えた。
「……わかっている。後のデータもちゃんと渡す。ああ、抜かりはない……それじゃ」
そこで携帯電話を耳から離しかけて、慌てて再び耳元に押し戻しながらその人間が言った。
「ああ、待て、待ってくれ。大事なことを言うのを忘れていた」
その狼狽が、この時その人間が見せた唯一の『人間らしさ』だった。だがすぐにいつもの無感情な言葉遣いに戻り、淡々と話を進めていった。
「……ああ、そうだ。重要な事だ。とても重要な事だ。多分、あんたにとっては喉から手が出るほどに欲しい情報だと思うんだ……」
そこで言葉を切り、相手の反応を待つ。
数秒後、予想通りの催促の返事が返ってくる。笑い出しそうになる感情を必死で抑えながら、その人間が言った。
「ああ……一度しか言わないからな。よく聞いとけよ……」
一瞬溜める。そしてその人間が息を吐き出すように言った。
「確定情報だ。シェリル・ヴェーノの居場所がわかった。奴は今怪我をしている」
実はルイはあの後も魔族や他の魔導士の襲撃を受けています。
詳しいことは次から説明します。
次回「使命感の子」
撃ちます撃ちます




