第八十七話「魔導士のレポート・甲」
サイド B・R
レビーノの魔導士ベルク・ルーベンスは、とある使命を帯びて『こちら側』の世界に来ていた。水色のズボンにシャツというラフな格好をし、後頭部から二束の三つ編みを垂らし、瞳は大きく、頬にはそばかすを残した子供っぽい顔立ちをした少女だった。
だがその幼げな外見とは裏腹に、彼女はある種の強かさ、狡猾さを持ちあわせてもいた。そしてその性格ゆえに、彼女が自分の受けた任務の詳細を口にする事は、それを受領してから今に至るまで一度として無かった。
いつ、どこで、誰が自分の事を監視しているかわからないからだ。
そしてその狡猾さ故に、彼女は敢えて肩の力を抜いて異世界での生活を満喫していた。下手に神経を張り詰めて終始目を光らせていると、却って怪しまれてしまうからだ。
だから彼女は今、昼時と言うこともあって腹を満たすために堂々とファーストフード店に入り、そこで嬉々としてハンバーガーにかぶりついていたのだった。
「うん……これは向こうでは見ない味ね……うん、美味しいじゃない」
カウンター席に座って未知の食べ物にかぶりつき、未知の味に舌鼓をうつ。そのようにしてランチタイムを満喫していたベルクの前には、自身が集めた情報を書き留めるためのノートとペンが置かれていた。『携帯電話』で送信すると言う手もあったのだが、ベルクはあの手の物にはどうにも馴染むことが出来なかった。
そして半分残ったハンバーガーを脇に置き、ベルクがペンを手に取ってノートに情報を書き込んでいく。朝に見聞きした情報は早い内に書き留めておかないと、簡単に脳裏から消え去ってしまうからだ。
のんびり食べたいのに。心の中で恨み言を吐きながらベルクがノートに意識を集中させる。
――人口多し。人口密度高し。建築物の材質は『鉄筋コンクリート』なる未知の材質を利用している模様。レビーノの物より何倍も頑丈――
そこでペンを置き、一度首を回した後に再びペンを取る。
――人間、建物共に数が多く、肉体的構造的な質も良好。纏めて抹消するのは不適と判断。計画の練り直しを要求――
そこまで書いた所で、ベルクがその部分をペンで塗りつぶす。自分の仕事はあくまでも情報収集。自分の意見は聞かれてはいない。
余計なことをすれば首が飛ぶ。そう思いながら、改めてペンを走らせる。
――町の中央部は密度が高い一方、外周部は酷い過疎状態。場所によって雰囲気がまるで違う。外周部の方が比較的レビーノの世界に雰囲気が似ている模様。この町の人間に魔力の気配は無し――
ペンを置き、代わりにハンバーガーを手に取る。キリカ派に肩入れするつもりは無いが、こんな美味い物を食べられるだけの金を全て用意してくれた部分については、ベルクは彼女ら一派にとても感謝していた。
「うん。美味い美味い。もう一個買っていこうかしら」
出来る事なら毟り取れるだけ毟り取ってやろう。そう考えながら、ベルクはハンバーガーを綺麗に平らげた。
「おおっ、ベルクじゃん。奇遇だな!」
店から出た時、そうベルクを呼び止める声が彼女にかけられた。そしてその声を聞いたベルクは瞬時に顔を強ばらせ眉間に皺を寄せた。
そんなベルクの元へ、声をかけてきたその男が手を振りながら近づいてきた。灰色のスーツをカッチリと着こなし、黒みがかった赤い髪を持ち、顔の左目のあたりをその前髪で隠したノリの軽そうな優男だった。
「なんだよ、なんだよ。昼飯食ってたのかよ。一人で食わないで、俺を誘おうとか考えなかったのかよ?」
「どうしてあなたと一緒に食べなきゃいけないの? それに私は忙しいの、あなたと違って」
「つれないねえ。それにそんなに顔を怖くして。せっかくの美人が台無しだ」
「……ジョシュア?」
ベルクが低く呟きながら横目で男を睨みつける。だが睨まれた男――ジョシュア・スタンリーはその迫力に怯む事無く、寧ろ苦笑さえ浮かべてベルクに言った。
「おいおい。そんなに睨むなって。俺とお前の仲じゃねえかよ」
「別にあなたと仲良くしたつもりはないんだけど?」
「相変わらずストレートだな……」
そう言って困ったように頭を掻くジョシュアに、体を彼の正面に向けてベルクが強く言い切った。
「とにかく、これ以上私に付きまとわないで。邪魔なのよ、あなた」
「何言ってんだ、照れ隠しか? お前だって本当は俺と会えて嬉しいくせに――」
「黙って」
ニヤケ顔で迫るジョシュアに容赦なく釘を刺す。
「それよりあなたも、しっかり仕事なさい?」
そしてその場に硬直しているジョシュアにそう告げてから、大股でベルクがその脇を通り過ぎる。
「俺だって仕事くらいこなすさ! 絶対にルイをギャフンと言わせてやる!」
ベルクの背後から声が轟いた。周囲の人間たちと同じようにぎょっとして、ベルクが後ろを振り向く
。
ドヤ顔のジョシュアが視界に入る。
「そして、ルイを倒したその暁には、ぜひ俺と結婚」
そしてジョシュアがそこまで言いかけた刹那、その顔面にベルクのドロップキックが炸裂した。
「バイバイ!」
「なんじゃそりゃあああああ!」
その日の深夜。
ビルの屋上に陣取ったベルクは、双眼鏡を通して遠方にある別のビルの屋上で繰り広げられていた光景――ジョシュアの絶叫と轟音、同時に発生した爆風――を見てため息を吐いた。
「まあ……ある程度わかっていた事だけどね」
そしてそう呟いて双眼鏡を地面に置き、ノートを手に取ってペンを走らせる。
――弾丸魔法少女ルイの戦力は未知数。あらゆる敵、あらゆる戦法に柔軟かつ臨機応変に対応し、実質的な戦闘能力の測定は不可能。危険度極大――
そこまで書いて、ベルクは顔をしかめた。ジョシュアの不甲斐なさに憤っていたのではない。彼を一蹴できてしまうルイの底なしのポテンシャルに不快感を露わにしていたのだ。
ベルクはストーカー寸前のジョシュアの行動や性格に辟易しきっていたが、その実力までを否定する気は無かった。彼は決して口だけの男ではない。やる時はやる男だし、それが出来るだけの力も持っていた。
そんなそこそこに強いジョシュアを――『そこそこに強い』(ここ重要)ジョシュアを、ルイは軽く蹴散らしてしまった。戦闘が始まってから二分も経っていない。そう考えながらベルクは、いつの間にかジョシュアが負けた事に対して言い様のない怒りを覚えていたのだ。
――負けたジョシュアに対して?
――『ジョシュアに勝った』ルイに対して?
「馬鹿馬鹿しい」
ベルクが吐き捨てて自分の考えを打ち切る。そしてノートを閉じ、双眼鏡とペンを横に置いたバッグにしまう。
不意にベルクが呟く。
「……ジョシュアは私のヒーローなのに」
――子供の頃、いつも私を守ってくれた私のヒーロー。
直後、自分の失言に気づいて顔をしかめる。
「と、とにかく、ジョシュアもまだまだって事ね。あんなぽっと出の奴に簡単に負けるなんて、あいつも落ちたものね」
そしてそう口早に言ってからバッグを担ぎ、小声で呪文を唱え始める。
数秒後、ベルクの体が宙に浮かび上がる。そして風を味方につけながら、ベルクは天に浮かぶ黒い球体めがけ、夜の岩屋町の空を滑空していった。
「……馬鹿」
その呟きが誰に対して向けられた物なのかは誰にもわからなかった。
サイドJ・S
ジョシュア・スタンリーはベルク・ルーベンスに惚れていた。
心底惚れていた。きみのためなら死ねるくらいに惚れ込んでいた。
だがジョシュアは同時に不器用だった。アガリ症で興奮すると極端に視界が狭まり、自分の感情をストレートに伝えすぎると言う欠点があった。
そして彼は今日もその調子でベルクの機嫌を損ね、顔面にドロップキックを貰う羽目になってしまった。その後彼は、片思いの相手によってボロボロになってしまった心を修復させるために、こちらの世界で懇意になった相手の住むアパートにトボトボ向かっていったのだった。
「でね、でね、俺言ったんですよ。大声で『結婚してくれ』って。そしたらそれ言い終わらない内にベルクが俺の顔蹴っ飛ばして来ましてね……?」
「いや、それは君が悪いよ」
三階建ての木造アパートの一階右端にある部屋。テレビはなく中央にちゃぶ台が置かれ、その周囲を取り囲むようにして何かの紙束が大量に積まれた畳張りの部屋。
その部屋の中で、ちゃぶ台を挟んで愚痴をこぼすジョシュアに家主の女性――黒髪のショートボブが特徴の大人びた雰囲気を持つ女性――がそう突っ込んだ。
「人の往来が激しい中で大声でそんな事叫んだら、誰でも蹴り飛ばしたくはなるって」
「そうっすか?」
「そうっすかって……普通はそうでしょうよ……」
彼女は『こちら側』に来たばかりで右も左も分からず、駅前で不安気に首を振っていたジョシュアを見兼ねて声を掛け、それから何も知らない彼に町を案内していった女性であり、それ以来、ジョシュアは彼女をすっかり友人として気に入り、こうして時々遊びに来ていたのだった。
そして彼女もまた、純真だがどこか間の抜けたジョシュアの事を放っておけずにいた。彼女は彼の事を可愛くも世話の焼ける弟分として見ており、そんな放っておけない彼に色々と助言をするようになっていたのだった。
「君の一途な気持ちもわかるけどさ。もう少し相手の事も考えないと。本当に嫌われるよ?」
「そうっすよね。そうなんすよね。でもどうしても、彼女と会うと地が出るというか何と言うか……」
「はあ……」
目元に涙を溜めて俯くジョシュアを見て、その女性がため息を漏らす。ジョシュアの体つきや顔立ちは古代ギリシャの彫像もかくやと言わんばかりの完璧なまでに均整の取れた物であり、その容姿は文字通りの『欧米風のイケメン』であった。だがその彼の言動から容赦なく溢れてくる残念さが、その美点を完璧なまでに台無しにしているのだった。
が、流石にこのまま放置しておくのも偲びなかった。女性はジョシュアに助け舟を出すことにした。
「まあ、過ぎたことは仕方ないし。失敗を次に活かせばいいじゃない」
「……そうっすよね」
「そうよ。それに落ち込んでるより明るく振舞ってる方が、君らしくて私は好きなんだけどな」
「そうっすよねえ!」
一瞬でアンニュイさを吹き飛ばし、顔を上げて鬱陶しいほどの明るい表情を女性に向ける。
「いやー、やっぱり人間は前を向いて歩くのが一番ですよねえ! いつまでもくよくよしてないで、笑って過ごした方がいいっすよねえ!」
「え、ええ……まあね……」
「よし、笑おう! 笑って気分を変えよう! わはははははははは!」
「は、ははは……」
うぜえ。
自分で焚き付けておきながら、女性は引きつった笑みを浮かべて目の前の青年を心底うざったく感じていた。
「ようし、明日から頑張るぞー! ……ん?」
そしてジョシュアが立ち上がりそう宣言したその時、彼の懐から携帯電話の着信音が鳴り響いた。
「誰からだ? ……ちょっと失礼」
そう言って女性に背を向け、携帯電話を取り出して液晶画面を見つめる。そして暫くして携帯電話をポケットに収めて女性の方に向き直った時、ジョシュアからおちゃらけた雰囲気は消え去っていた。
「すいません、仕事入っちまったみたいっす」
「あら、そう……今日も夜遅くまで?」
「ええ、まあ」
「あなたも大変ね」
「いえ、これでも楽しくやれてますから。何の問題もありませんよ」
「――しっかりね」
「任せてください」
そう笑いながらジョシュアが真っ直ぐ玄関まで向かう。そして靴を履いてドアノブに手をかけたその時、背後から女性の声がした。
「ねえ、ジョシュア君」
「なんです?」
「今日の夕飯、天ぷら作っておくからさ。良かったら仕事終わった後で食べにおいでよ」
「――マジすか!?」
ジョシュアが心底嬉しそうな笑みを浮かべて振り向く。その子供のような顔を見て苦笑しながら女性が言った。
「ええ。だから早く仕事済ませて帰ってらっしゃい」
「そりゃもう! クジョウさん特製の天ぷらが食えるんなら、例え地獄の底からでも帰ってきてやりますよ!」
「はいはい。相変わらず例えがオーバーなんだから……行ってらっしゃい」
「はい! このジョシュア・スタンリー、戦場へ行ってまいりますッ!」
その場でジョシュアが背を伸ばして敬礼をし、嬉しそうに奇声を上げながらドアを開けて外に飛び出していく。
「まったく、大袈裟なんだから……」
その姿を見届けながら女性が苦笑を漏らす。そして重々しく立ち上がり、部屋の隅に安置されていたバッグを手に取る。
バッグの手提げ部分には、彼女の身分証明書がケースに入れられた状態で括りつけられてあった。
「さて、響子ちゃんも買い出し行きますか……」
フジヤマ出版。記者。倶定響子。
身分証明書には大文字でそう書かれていた。
深夜。
栄養ドリンクの一気飲みと準備体操を済ませ、自身のコンディションを万全にしたジョシュアが、意気揚々とした顔でビルの屋上の角の上に立っていた。
魔族がルイを釣りだし、そのルイをジョシュアが叩く。そう言う算段になっていた。
「結婚のため、そして美味い天ぷらのため……」
欲望に目をギラつかせながらジョシュア言葉を紡ぐ。そして顔を上げ、白い月を睨みつけながら夜空に向けて咆哮を上げる。
「弾丸魔法少女ルイ! このジョシュア・スタンリーが、貴様に天誅を下す! 待っていやがれええええッ!」
ルイにぶっ飛ばされる五分前の事である。
次回は同じ時間軸上のルカと大悟達の視点からの話になります。
次回「遊びたい」
撃ちます撃ちます




