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幕間「メトセリエ・ジーナ」

 四百四十年前。

 ガットの元に未確認生物発見の報が舞い込んだ。

 直ちにそれを調査せよと幕府の命が下った。当時の頭領が命を下し、幹部たちを現場へと向かわせた。

 目的の場所で、幹部たちはその生物と遭遇した。そして自分たちの目を疑った。

 そこにいたのは、全裸で立ち尽くす一人の女性。そしてその傍らで身を伏せていた、巨大な狐のような生物だった。


「もし、そこの方」


 不意に、その女性が面食らっている幹部たちを見つけて言った。幹部の意識が一様に女性に向かう。

 その視線を全身で受け止めながら、満面の笑顔で、ひどく透き通る声で女性が言った。


「ここは、どこですか?」


 一人と一匹は、そのままガットに保護された。





 四百三十九年前。


「申し訳ございません。こちらに置かせて頂いている身だというのに、何度も彼が迷惑を掛けてしまって……」

「構わぬ。お主が気にすることではない。寧ろ地下深くに閉じ込められても、ああして入り口をぶち破って地上に出ようとするあ奴の胆力には感心させられるよ」


 ガット本部内、篝火が焚かれた大広間にて、一年前に保護されたその女性が目の前の一段高い座敷の上に座った男に頭を下げた。今は水色の麻の着物を着ており、細く締まった自身の体と相俟って清楚な優美さを保っていた。

 その頭を下げた女性に向けて、座敷に座った禿頭の男が言った。


「それにあのような暴れ馬が一体ぐらいいた方が、こちらとしても丁度いい緊張感を保っていられるから都合がよい。だから、これ以上悩むのはやめよ」

「しかし」

「やめろと言っているのだ。これは頭領の命令であるぞ」

「……はい。承知しました」

「うむ。それでよい」


 女性の言葉に、男が満足気に頷く。そして口調をフランクな物に変えて、漸く頭を上げた女性に向けて男が言った。


「しかし、話は変わるが……お主らは本当に不思議な存在よな。まるで昔の話に出てくるアヤカシのようだ」

「アヤカシ? そのような――我々のような存在が、こちらの世界にもいるというのですか?」

「あくまで作り話の中での話だ。まあ、我々のこれまでの行動を記した書物の中には、そうしたアヤカシと接触したという内容の物も多々あるから、組織としては今更驚く事でも無い事なのだがな」

「その過去に接触したアヤカシと言うのは、我々のようにレビーノ……こことは異なるもう一つの世界から次元転移して来たのでしょうか?」

「それはわからんな。少なくともその本に書かれている者共の名前は、お主らのように奇天烈な物ではなかったな。確か、お主の名は……」

「ジーナと申します。メトセリエのジーナ」


 女性が恭しく男に言った。そのジーナの言葉に男が顔をしかめる。


「ううむ……『めとせりえ』、『じいな』……やはり呼びにくいな」

「そ、そうでしょうか?」

「うむ。やはりお主は名を変えた方が良いだろうな。郷に入っては郷に従え、と言う言葉もあるからな。こちらのやり方に合わせた方が、お主としても都合が良かろう」

「そうですか……しかし私はまだ、どうにもこちらの作法に慣れておりませんので……」


 そう言って俯くジーナに、カラカラ笑いながら男が言った。


「なに、心配することはない。それについては、儂がもう決めてある」

「そうなのですか?」

「うむ。お主はこれから……『蝶々』と名乗るがいい。『お蝶』でも良いかと思ったが、やはり蝶々が良いな」

「蝶々……」


 自分の名前を反芻する。ジーナ――蝶々が頬を綻ばせる。

 束縛から解放されて体が軽くなったような――自分が新しく生まれ変わったような気がした。


「蝶々、蝶々、蝶々……」


 何度も何度も名前を繰り返す。その度に、自分がこちらの世界に来てからこれまで受けてきた好意の記憶が頭の中に浮かび上がってくる。

 レビーノでは絶対に味わう事の出来なかった喜び。対等に扱ってくれると言う安心感。ただでさえふやけ切っていた自分の中での人間のイメージが、また更に軟化していく。

 男が嬉しそうに尋ねる。


「気に入ったか?」

「――はい。とても」


 蝶々が満面の笑みで返す。そしてすぐにその笑みを消してその場で片膝をつき、男に向けて厳粛な面持ちで言った。


「この蝶々、貴方様のかけてくれた優しさに、一生を懸けて応える所存であります」


 男が面食らったように目を見開く。頭を上げ、笑顔で蝶々が言った。


「どうぞ。よしなに」





 五分前。


「今思えば、あの時から私の人生が始まったような物でした」

「……メトセリエ。魔喰らいの獣……」


 暗い通路の中を目的の場所へと走りながら、蝶々は事のあらまし――この施設内で魔族の気配を感じた理由と、そうなるに至る経緯――を断片的にレイスに話した。そしてあらかた話し終えた辺りで、懐かしそうに目を細めた。

 そしてそれを聞き終えたレイスは静かにそう呟いた後、横で走る蝶々を見つめながら驚きの声で続けた。


「そなたが過去にガットによって保護されたメトセリエの『生き残り』で、その一部がレビーノからこの世界に転移していたとはな……」

「そして、そのもう一体は地下に封じ込められた。人間への憎悪を抑制できないがために」

「それが地上付近にまで現出した。だから魔族の感覚を感知することが出来た。しかし、なぜだ? 確かメトセリエは――」

「メトセリエは、遠い昔に自分たちが絶滅させた筈だ、と思っておられるのですね?」


 レイスに対してにこやかな笑顔を浮かべながら蝶々が返す。沈黙を肯定と受け取った蝶々が言葉を続けた。


「確かに我々『魔獣メトセリエ』は、四百四十年前にあなた方の攻撃を受けてレビーノからその姿を消しました。それは疑いようのない事実です」

「その顛末ならば知っている」


 レイスがその後を引き継ぐように話し始めた。


「魔獣メトセリエ。昔レビーノにいたとされる魔族の一種。その最大の特徴は、魔法を――正確には魔導士の放つ魔力を喰うと言う事……その能力はレビーノに住む人間からしてみれば、悪夢以外の何物でも無かった」


 ――レビーノで人間が魔族の上に立つ事が出来ていたのは、ひとえに魔法によるところが大きかった。

 人間と魔族との間にある戦力的溝を埋め、更に魔族を圧倒する事をも可能にする『魔法』。それを無力化する事の出来る存在が魔族の側に居ると言う事は、人間が魔族に対するアドバンテージを全て失う事に繋がる。


「それ故に当時の人間たちはその存在を酷く恐れた。十二国家はその存在によって魔族が台頭するのを防ぐために、全戦力をメトセリエ討伐に向かわせ根絶やしにせんとした……」


 ――メトセリエとの戦闘は熾烈を極めた。

 魔法が通用しない以上、魔法しか扱えない大多数の魔導士は用無しだった。戦闘に参加したのは武器の扱いをも習熟した魔導士と傭兵だった。魔法が使えないため、戦闘は必然的に近距離戦となった。人間は魔法のない純粋な接近戦を強いられ、そしてそれまで経験したことのない量の出血を強いられた。その惨憺さたるや、主戦場となった草原地帯が飛び散った血と肉で真っ赤に染まる程であったと言う。


「だが、最終的には人間が勝った。何のことはない。単純に数で押し勝ったのだ。そしてその日を以て、メトセリエは絶滅した」


 レイスがあらかた話し終え、口を閉じる。感心したように蝶々が言った。


「そこまで知っているとは、随分とお詳しいのですね」

「傭兵仲間の一人に聞いたのだ……しかし、だからこそ腑に落ちん事がある」

「それは何でしょう?」


 レイスの双眸が蝶々の瞳を捕える。


「そなたらはどうやってここに来た?」

「……知りたいですか?」

「無論だ」


 ケロリとしている蝶々にレイスが詰め寄る。


「教えてもらおう。どうやってここまで来た? それにその姿は何だ? メトセリエは一様に獣の姿を

していると聞いている。だがその形は明らかに人間だ。これはどう説明するのだ?」


 詰問するレイスに対し、足を止めないまま指を顎に押し当てながら蝶々が悩ましげに唸る。


「うーん……教えてあげるのもやぶさかではないんですけれど……それより」

「それより?」


 蝶々が前方を指さす。


「あれ、何とかしませんか?」


 レイスが蝶々の指差す方向に視線を向ける。

 丸みを帯びた巨大な小麦色の物体が見えた。そしてその物体の向こう側から、人間の叫び声と地面を叩きつける激しい音が聞こえてきた。

 レイスの表情が強張る。蝶々がクスクス笑いながらレイスに言った。


「さ、急ぎましょう」





 そして現在。

 レイスと蝶々は、炎の壁を背にしてシェリルたちと対面していた。


「つまり、そういう事だ」

「そんな昔から、魔族がこの世界に……?」

「……吉音さん、隠していてごめんなさい」

「いえ、そんな。誰にだって隠しておきたいことはありますよ。だから私も気にしていません」

「へー、吉音っていい奴だったんだね」

「うるさい」


 そしてその炎の壁で時間を稼ぎながら、レイス達は事のあらましを口早にシェリル達に伝えていた。だがこの段階になっても、自分たちがどうやってレビーノからこちらにやって来たのかについて、蝶々が話すことはなかった。

 そして蝶々達が矢継ぎ早に話していたのは、キツネ――メトセリエによってその壁がすぐに掻き消されることが目に見えていたからだ。

 レイス達の懸念はすぐに現実のものとなった。

 背後でキツネが咆哮を上げる。その直後、轟々と燃え盛っていた炎の壁が金色に輝き、そして光の粒となって周囲に飛び散っていった。


「魔導士め……」


 しきいが無くなり、シェリル達の前にキツネが再び姿を現す。その目は赤く燃え、全身の毛を逆立たせ、歯をガチガチと小刻みに震わせていた。

 見るからにキレていた。


「忌々しい……忌々しい魔導士め……!」

「……うわあ……」


 キツネの方を見やってメアが面倒くさそうに顔をしかめる。


「やばいよ。いくらなんでもキレすぎだよ。なんであんなに怒ってんの?」

「そりゃあ、まあ……人間のせいで自分たち根絶やしにされたんだから、仕方ないんじゃない?」

「じゃあさ、どうしてその人間が居る所にわざわざいるのよ? 嫌なら来なきゃいいのに」

「確かに彼は人間達と馴れ合う事を極端に嫌っています」


 吉音とメアの間に蝶々が入り、二人にその答えを述べ始める。キツネはピクリとも動かずに、歯を食いしばって眉根を寄せて目を細め、その様子をじっと見つめていた。


「なので彼は、いつもはこの施設の地下深くに据え付けられた空間に引き篭もっているのです。しかし時々、こうしてストレスを発散するために地上付近に出てくるんです。いつもは私が一人で相手をしているのですが……」

「なるほど……では私達に隠していたのは、余計な被害を出さないためだったのですね?」

「はい。それと彼を無用に刺激させないためでもありました」


 吉音の言葉に蝶々が答える。そしてどこか安心したような表情を浮かべる吉音の横から、今度はシェリルが蝶々に言った。


「なら、どうしてあの時、蝶々さんは私達にキツネを探してみないかと言ってきたのですか? 人間と接触を避けたかったのなら、あの時に警告なりしておくべきだったはずでは……?」

「はい。それは」

「蝶々」


 シェリルの疑問に蝶々が答えようとしたその時、その言葉を遮ってキツネが言った。


「蝶々……いや、メトセリエ『ジーナ』……なぜ貴様はいつもそうなのだ? なぜいつも人間の側につく? 我々が何をされてきたのか、忘れたというのか?」


 怒りのこもった言葉を蝶々――ジーナにぶつける。一瞬はっとしたが、その後すぐにジーナは小さく笑い、そして刃物のように鋭い光を放つキツネの瞳を真っ直ぐに見つめた。


「好きだからですよ。メトセリエ『マダルマ』」

「なに?」

「こちらの世界が――こちらの世界の人間が気に入ったからですよ。レビーノと違って、ここの人間はとても優しい。理由もなしに石をぶつけてきたり、口を揃えて罵り蔑む事もない。みんな私に優しくしてくれる。向こうに比べれば、ここは天国です」


 ジーナが幸せを隠すこと無く言った。キツネ――マダルマが吐き捨てるように返す。


「馬鹿な。人間に気を許すと言うのか? この世で最も信用ならん生き物に身を委ねるというのか?」

「ええ、そうだと言っているのです。ここはレビーノでは無いのですから……まったく、あなたもそう突っぱねてないで、もう少し心を開いてみればいいのに……って、この問答も何度目でしょうか」


 困ったように眉をひそめてジーナが言った。


「思えば四百年以上もの間、こうしてあなたと話し合っていたのですね。その度に互いの意見は食い違い、常に平行線を辿っていた」

「当然だ。私は貴様の考えが理解できん。人間と迎合する貴様の思惑など理解したくもない。それに何より、魔族の誇りを捨て人間に擦り寄っている貴様の姿を、これ以上見たくはない」

「ですよねえ」


 まあ、あなたも言いたい事もわかりますよ。と至極軽い口調でジーナが苦笑交じりに返す。マダルマの眉間の皺がより一層深くなるが、それを気にする事なくジーナが言った。


「それに私もいい加減、この問題には決着をつけたいと思っていた所なのです。しかしお互いに実力は互角。一対一で戦っても勝ち負けは決まらない――」

「だからメア達を呼んだ。リスクを承知で……そういう事であろう」


 ジーナの後ろでレイスが苦々しく言った。ジーナは何も言わずに首を縦に振った。

 レイスが続ける。


「なぜ素直に頼まなかったのだ?」

「メアさん達は一応は『捕虜』扱いなので、正式な隊員に辞令を下すみたいな事は出来ないのですよ。だからあんな感じで、さり気なーく『誘導』するしか無かったのです」

「あの人今さらりと怖いこと言った」

「は、ははは」


 メアがげんなりした顔で呟き、シェリルが顔を引き攣らせて苦笑いを浮かべる。そんな反応をよそにジーナがマダルマに背を向けてシェリル達の方を向き、顔の前で手を合わせ満面の笑顔で言った。


「そういうわけで、今ここであの人との因縁に決着を付けたいのです。皆さん協力してくれますね?」

「……どうする、シェリル?」

「え、ええ。私は――」


 言いかけてシェリルが言葉を飲み込む。

 シェリル達の眼前で、ジーナの頭上にマダルマの前足が振り下ろされんとしていた。

 異口同音に四人が叫ぶ。


「蝶々さん!」


 シェリルの体が光る。

 『間に合わない』。


「蝶々――」

「はーい」


 ジーナは笑っていた。

 笑ったまま、シェリルの言葉に答えるように右手を真上に伸ばして掌を開く。

 マダルマの前脚とジーナの手が激突する。

 衝撃。轟音。

 ジーナの足元がヒビ割れ、足の形に陥没する。

 風圧を伴った衝撃波が四人を襲う。四人が同時に顔を腕で覆う。


「……ッ!」


 衝撃波は一瞬で彼女達を通過し、背後の壁に激突した。すぐに腕を払ってジーナを見やる。


「蝶――」


 言いかけてシェリルが再び言葉を飲み込む。

 前方の光景に釘付けになる。


「シェリルさん、どうかしましたか?」


 ジーナは笑っていた。

 マダルマの前脚を片手で受け止め、両足を足首の辺りまで地面に陥没させながら、傷ひとつ――汗ひとつかくこと無くにこやかに笑っていた。


「……なんなの、あの人?」

「……知らん」


 メアとレイスがげんなりした顔で言い合う。そして同時に、ガットがなぜ捕虜をこうも自由に行動させていたのか、その理由を二人はほんの少しばかり知った。


「さて、シェリルさん。何か質問でもあるのですか?」


 何事も無くジーナが聞き返す。圧倒されながらも、何とかシェリルが言った。


「あ、あの、その――こちらも戦闘を初めていいでしょうか?」


 圧倒されるあまり、言いたい事とはまるで違う言葉が口から飛び出した。だが蝶々はそれを知る由もなく、そのままの笑顔で返した。


「もちろん。お願いしますね」


 そしてそう言いながら、それまで支えていたマダルマの前脚を横にずらすように放り投げる。

 手榴弾が爆発したかのような音が周囲に轟き、マダルマが声高に咆哮する。


「私、ここにいていいのかしら……?」


 一発も撃たれていないP90を抱えながら、吉音が力なく呟く。

 何も言わずに、メアがその肩を叩いた。


 


多分、次で完結します。

なのでもうしばらくお付き合い下さい。

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