第八十五話「シン・デステロスの友達」
空の一点が光る。
やがて空を切る音と共に、屋上に大量の雷の槍が降り注いだ。
「――!」
百本、千本では足りない。何万本もの槍からなる雨が容赦無く地面を穿ち、『敵』の体を抉っていく。それまでベリー達を取り囲んでいた群衆はあっという間にその輪を崩し、悲鳴をあげながら蟻の子を散らすように逃げていった。
「逃げても無駄」
だが降り注ぐ槍は、屋上全てを覆い尽くす程の量だった。
「イカズチよ! 唸れ!」
逃げようにも避けるスペースもない。守ろうにも呪文を唱える暇もない。
「ち、ちくしょう!」
「駄目だ、よけきれ――」
「助けて! 助けて!」
方々から泣き叫ぶ声が上がる。だが絶望と恐怖に満ちたその声達もまた、一秒経るごとに断末魔と化し次々と途絶えていく。
ベリーはすまし顔でそれを全部無視した。仕掛けてきたのは奴らのほうだ。攻撃を止める義理など毛頭ない。
そして防御も回避もできないままに繰り広げられた一方的な雷の蹂躙は、わずか七秒で終了した。七秒後、そこにはベリーとキール、そして熊男だけが立っていた。他は全て体を槍で撃ちぬかれ、体を小刻みに痙攣させながら気絶していた。
熊男がよろめいて尻餅をつき、血の気の失せた顔で口をあんぐりと開ける。あまりのショックに言葉も出ないようだった。そんな熊男を冷たく見下ろしながら、髪の毛をかき上げてベリーが言った。
「……もっと骨があるのかと思っていたのですけれど、期待はずれですわね」
注意を払わなかった二つ目の理由。ベリーが強すぎて話にならないからだ。
「ま、待て」
それまでの威勢が嘘のように縮こまった熊男が、怯えきった表情で尻餅をついたまま後ずさりながらこちらに近づいてくるベリーに言った。
「も、もう気は済んだだろ? だからもう、いいだろ? な? 俺だけを開放したってバチは当たらないだろう?」
「何を言っているのかわかりませんわね――雷よ。イカズチよ。斧となりて我が爪と化せ」
命乞いを冷徹に切り捨てる。そして静かに呪文を唱え、全身から噴き出してくる雷を収束させて自分の身長ほどもある青白い両手斧を形成する。それを右手で持ち、先端を熊男の首筋に押し当てる。
「最初に発破をかけてきたのはそちら。ならば何をされても、文句は言えないのではなくて?」
「ひ――」
「そう、本来ならばあなたは潰されてもおかしくなかった。しかし実際はあなた一人だけが生かされている。その理由がわかりまして?」
「そ、それは、どうして」
「約束をして欲しいからですわ。二度とこんな愚かな真似をしないと、誓っていただけます?」
斧を押し当て、ベリーが豚を見る目で見下ろしながら熊男を脅迫する。するとそれまで懇願するような態度を取っていた熊男が、目に力を宿らせベリーを睨みつけながら、最初の頃に戻ったかのような強い口調で言った。
「……ふ、ふん、せいぜいそうやって粋がっているがいいわ! どうせお前に味方なんぞいない! どれだけ強がっても、どこまで行ってもお前は一人なんだからな!」
「な、なにを……」
「この捨て子がッ!」
「……ッ!」
熊男がベリーの禁忌に触れる。封じ込めていた感情が一気に噴き出し、ベリーの頭の中を真っ白にしていく。
斧を持った手がガタガタ震え、固く結んだ唇の裏で歯を食いしばり、眉間に皺を寄せ、目を大きく見開く。
誰であろうと、トラウマを完全に払拭する事など不可能だ。かつてキリカや事情を知る他の人間に幾度と無く言われた言葉を浴びせられ、その心に深い絶望を刻みつけていく。
辛うじて脅迫の姿勢を保ってはいたが、心理上の立場は逆転していた。強気の視線を向けてくる熊男に、ベリーが弱り切った声で言った。
「や――やめ、やめなさい、そのような事を言うのは……!」
「ふん、誰がやめるか。そうとも――」
しかし熊男は彼ら以上に愚鈍だった。それに気づくこと無く、熊男が火に油を注ぎ続けるかのように罵声を浴びせ続ける。
「そうとも、お前は生まれた時から一人なんだよ! この捨て子め! そうやって一生一人で強がってろ、捨て子め!」
「いや、やめて――」
「その上、あんな『出来損ない』と一緒につるんでいると来た。お前たちは纏めて目障りなんだよ。見ているだけで邪魔なんだよ!」
「い」
その瞬間、ベリーの中で何かが音を立てて『キレた』。
心の傷を抉られ、その痛みが臨界を超えて怒りへと昇華する。その心の奥底に眠っていた殺意をその傷跡から滲み出させ、心を真っ黒に染め上げていく。
ベリーの抱える絶望が一気に憎悪へとシフトしていく。
「お前の味方なんて誰も居ないんだよ! 後ろの奴だって、どうせお情けでお前の隣にいるだけなんだよ! いい加減目ぇ覚まして自分の置かれた現実って奴を」
「黙れよ」
『シン』が顔を覗かせる。
ドスの利いた声で制し、ゆっくりと斧を振り上げる。熊男はこの時になって初めて自分が地雷を踏んだことを自覚したが、手遅れだった。
ベリーの目から輝きが消える。理性の消えた空洞のような瞳が、真っ直ぐに男を見下ろす。
「あ……いや、違う。違うんだ。今のは、その」
「死ね」
呪文を唱えてもいないのに魔力が電撃の形を取って全身から漏れ出ていく。その電撃は蛇のように全身を這いまわり、時折体を離れては周囲の地面に激突して穴を穿っていく。
「死ね」
呪詛のようにそれを唱え続ける。
「死ね」
「ま、待って」
「死ね……!」
「待って!」
そのベリーを、キールが後ろから羽交い絞めにする。接触面が青白くスパークしたが、キールは歯を食いしばってそれに耐えた。
そして斧を振り上げたまま驚いて後ろを向いたベリーを見つめ返しながら、キールが力強い口調で言った。
「駄目だ」
「キ……」
「それ以上やっちゃ駄目だ」
「……キール……」
ベリーの体から、力が憎悪と共に抜け落ちる。
糸の切れた人形のように、キールの元へとベリーが倒れこむ。天高く掲げられた斧が手から零れ落ち、地面へ落下する中でその姿を黄色い粒子へと変じさせ、結びつきが解かれていくように雲散霧消する。
そして目を閉じ、憑き物の落ちたように穏やかな表情で背中からぐったりと身を預けるベリーを抱きかかえながら、キールが熊男に向けて冷ややかに言った。
「もう消えて下さい」
「な……」
「こっちから手を出したりはもうしないんで、邪魔だから消えてくれって言ってるんですよ」
「……」
やがて熊男がバツの悪い顔を浮かべながらおもむろに立ち上がり、そそくさと出入口まで走ってそのドアを開け、屋上から姿を消す。
「ふう……さて……」
そして屋上には、後には精神への過負荷でぐったりと眠っているベリーとそれを抱きかかえる無傷のキール、そして満身創痍で倒れこむ大勢の学園の生徒だけが残った。
「この状況、どうしようか……」
「う……ん……」
「あ、気がついた?」
ベリーが目を覚ました時、彼女は学園から遠く離れた噴水公園のベンチ――噴水を中央に据えて円形に並べられたベンチの一つ――の上に座っていた。そしてその横に腰掛けていたキールが、安心したように目覚めたベリーに声をかけてきた。
「よかった、ちゃんと目を覚ましてくれて。このまま眠ったままだったらどうしようかと思ってたんだよ」
「あの噴水……ここは、公園……? キール、どうしてここに……?」
「あのまま学校にいたんじゃ色々面倒になりそうだと思ったから、適当に理由つけて早退した」
「なるほど、そういう事……とんだ迷惑をかけてしまいましたわね」
大体の事を思い出したベリーはそう言った後で大きく背伸びをし、背を丸めて腿の上に腕を置く。そんなベリーに対して「気にしてない」と言う風に首を左右に振ってから、キールがベリーに言った。
「それより、体の方は大丈夫? どこかだるいとか、問題とか無い?」
「体の方は問題ありませんわ。ただ、少し心の方が……」
「……大丈夫?」
「流石にあそこまで突っ込まれたのは初めてでしたから……思えば、他の人達は私がああなることを恐れて、必要以上に踏み込むことをしなかったのでしょうね。私を必要以上に怒らせるとロクな目に合わないと、彼らは悟っていたのでしょう」
そう行ってベリーが顔を伏せる。足元の地面が視界に入る。
「あの時は、怒りにかまけて魔法の根本的な原理を忘れてしまっていました……不覚の至りですわ」
魔力を支配するのに必要な要素は術者の精神であり、心だ。心の均衡が崩れれば魔力は暴発し、そうしてコントロールを失った魔力は無差別に周囲に影響を与え始める。
「魔導士たるもの、精神の均衡を崩してはならない……それを忘れて、私はあのような愚行に走ってしまった……恥ずかしい事ですわ」
「あれは、あれは仕方ないよ! 誰だって自分の嫌がってる事ネチネチ突かれたら、マジ切れしたくもなるって!」
「キール……」
力強くそう言い切ったキールの顔を、ベリーが頭を上げてじっと見つめる。その縋りつくような涙で濡れた瞳を直視して、真っ赤にした顔を背けながらキールが言った。
「と、とにかく、誰にだって嫌なこととか、そういうのはあるからさ。あんまり気にしなくていいよ。それに、僕にだってそういうのあるし……」
「そうなんですの?」
「もちろん」
予想外の事を目の当たりにして目を白黒させるベリーに、キールが頬をかきながら言った。
「……普通なのがさ、嫌なんだよ」
潮時か。話を切り出しながらキールはそう考えた。
早朝に脳内で繰り広げられていた二律背反に決着をつけることにした。洗いざらい話してしまえ。
「僕って、ベリーやルカと違って、嫌なこととか何も経験してないからさ。みんなの気持ちとかよく理解できないっていうか、わかったつもりでいるって言うか……」
一度口に出すと後は楽だった。それまで溜め込んでいたものを一気に吐き出していく。
「でも、僕はみんなと友達でいる。そんな感じでみんなと付き合っていて本当に良いのかって、時々思ったりするんだよ」
「……なるほど。つまり同じ痛みを感じた事がないから、他人の痛みを理解出来ない自分が嫌になる、わかったつもりで友達付き合いをしているのが個人的に不愉快と、そう言う訳ですわね?」
「そういう事」
非常に深刻な問題だと言うのに、言葉にすると案外短いものだった。ベリーが簡潔に纏めてくれた事もあって、キールの告白は非常に速く終わったのだった。そして告白を終えたキールの顔はどこか清々しかった。
「そんな事で悩んでいたのですか……」
一方でキールの話を聴き終えたベリーはその表情を曇らせていた。そして一つ溜息を漏らし、首を左右に振りながら彼に言った。
「どうでもいいですわね」
「どうでもって……!」
思わずキールが立ち上がる。それを意に介することなくベリーが続ける。
「取るに足らない下らない事ですわ。寧ろ、私の気持ちは誰にもわかって欲しくはありませんわね」
気丈な言葉でバッサリと切り捨てる。ここまで否定されると、逆に苦笑いしか浮かんでこなくなる。
「他人と百パーセント同じ痛みというのは、絶対に経験できる物ではありませんわ。基本的に自分の痛みは自分にしかわからないのです。それを『わかった気でいる』だの『自分はわかっていない』だの、片腹痛いですわね」
「……」
辛辣だが、ベリーの言葉は正論だった。
他人の事は所詮他人にしかわからない。キールの悩みは、結局は自分が他人を信じきれずにいた事に対する言い訳だったのだ。
そこまで来て、立ち尽くしながら諦めたように苦笑しているキールに向けて、それまでとは違う穏やかな口調でベリーが言葉を放った。
「あなたは普通に優しいのですから、そのような事を考える必要はないのですわよ」
「……どういうこと?」
「悩むだけ無駄と言う事ですわ」
ベリーが立ち上がり、キールの正面に位置づける。そしてそのキールの胸元に自分の右手を置き、柔らかい口調で言った。
「例えどのような事情があるにせよ、あなたは真剣に私達を支えてくれた。自尊心も裏切りも無く、私達と友達でいてくれた。大切なのはそこなのですわ」
「でも、僕はみんなの」
「しつこい人ね。とにかく理解だの何だのは私達は気にしてないから、あんたも頭真っ白にしてそういう事考えるの止めて、普通に友達になってって言ってるのよ!」
「……いきなり変わらないでよ」
「ふん。あんたが物分かり悪いのがいけないのよ」
いつの間にか『シン』になって詰め寄るベリーの迫力に圧倒されながら弱々しく反論するキールに、反省の色を見せること無く『シン』が言ってのける。そしてその場で一回転して『ベリー』に戻り、尚も鼻白んでいるキールにいつも通りの口調で言った。
「そう言う訳ですわ。だからあなたも、そんな事で一々悩むのは終わりになさい?」
「……ああ、わかった。わかったよ」
ベリーの催促に、どこか投げやり気味にキールが返す。
「もう悩まないよ。約束する。明日からは平常運転だ」
「さて、本当かどうか怪しい物ですわね」
「だから大丈夫だって。いつも思うんだけど、なんでそんな疑い深いんだよ」
「そう言う性ですから」
「ベリーも本当そう言う所治した方がいいって。モテないよ?」
「な――失礼な! そんな事はあなたが気にする事でも無いでしょう!?」
「あれ、気にしてた?」
「黙りなさい! あなたは全くもう……!」
正午に差し掛かろうとしていた公園の中を、二人してギャーギャー言い合いながら後にしていく。
だがこの時、キールの、そしてベリーの心は、空に浮かぶ雲よりも軽くなっていた。
とりあえず、異世界組の話はこれで一段落といったところです。
この後にも彼らの出番はありますが、次回は現実世界での番外編を挟もうと思っております。
次回「蝶々の謎」
撃ちます撃ちます




