第八十三話「親子:後編」
「眠れない?」
ルカが手すりに寄りかかってベランダに一人佇んでいた大悟にそう尋ねたのは、隼が告白を終えたその日の深夜の事だった。星ひとつ見えない暗闇の空には白い月が浮かび、日中よりもずっと静かになった町をその光で以て優しく照らし出していた。
その暖かな光に身を晒しながら、ルカの言葉を背中で受けた大悟が小さく頷く。そして自分の隣にルカが来たのを皮切りに大悟が口を開いた。
「隼さんは?」
「もう寝てる。夜中の三時だから無理もないけど」
「そっか……ルカは寝られないって感じ?」
「そ。そんな感じ」
そう答えて、ルカが小さく笑う。寝られない理由は同じかと大悟は思ったが、口にすることはなかった。
「やっぱり、隼さん疲れてるのかな」
そう考えていた大悟の横で、真顔に戻ったルカが月を見ながら言った。
「私が抜けだした事にも気づいてないみたいだったし」
「そうなんだ……疲れてるのって、やっぱりあの時のあれが原因……だよね?」
「うん……どこか私達に引け目って言うか、負い目みたいなの感じてたんじゃないかな……?」
そのルカの言葉に導かれるままに、大悟があの時聞いた隼の言葉を思い出した。
――だから、お前たちに近づいた。
――憧れてたんだよ。家族に。
――母親に。
「隼さんは、俺たちを利用しようとした」
隼が『家族』を失ったこと。そしてルカと大悟を身代わりとして、自分がなるつもりだった『親』になりきろうと――親を演じようとしていたこと。
そう頭の中で結論付けながら、大悟が淡々とした口調で言った。
「俺たちを使って、家族の感覚に浸ろうとした」
「うん。でも、そうやって私達を利用していたことを、あの人は心のどこかで悔やんでた。そしてそう言った物を今まで溜め込んで来た反動が、ここに来て一気に吹き出した」
大悟の言葉にルカが合わせる。それを受けて大悟が返す。
「……切欠は、昔の話を自分から話し始めた事かな」
「たぶん」
大悟の言葉にルカが頷く。視線を下方に移し、道路をまばらに走る車の姿を目で追いながら大悟が言った。
「でもそれって、俺達も同じだよな」
「……うん」
「……一人は、嫌だよな」
「一人は、誰だって嫌だよ」
一人ぼっちがどれだけ辛い事かは、ルカも大悟も痛いほど知っていた。
心の中で誰か頼れる存在を――家族のような存在を求めていたのは、彼らも一緒だったのだ。
「ぶっちゃけると、俺たちも隼さんの事を利用してたんだよな」
「家族の感覚に浸ってたのは私たちも一緒……か。言われてみればそうだよね」
隼と初めて会った時の事を思い出しながら、大悟が言った。
「最初に同棲するって言われた時は面食らったけど、気づいたら隼さんに凄い依存してたんだよな、俺たち」
「どっちもどっち、って事だね」
隼を責める気にはなれなかった。二人には責める理由も、権利も存在しなかったのだ。
でも、と、そこで大悟がそう言葉を切り出した。
「でも、俺達が『そういう理由の訳だから気にしてない』って言っても、あの人は納得しないと思うんだよなあ……」
「ああ、それはわかる。たぶん、隼さんは言葉だけじゃ納得……というか、信用してくれないと思う」
「『気休め言うんじゃない』って言って、自分の殻に閉じこもりそうなんだよな。あの人って頑固そうだから」
「それは言えてる」
そこで小さく笑ってから、ルカが大悟に言った。
「で、そんな頑固な人にどうやって自分の気持ちを伝えればいいのかわからなくって、ダイゴはここで頭を抱えていると」
「そう言うルカだって、どうすればいいかわからないから今まで寝つけなかったんだろ?」
「そういう事。なんか無いかなあ……」
そう言いながら手すりから手を離し、ルカが大きく背伸びをする。するとその横で欠伸を噛み殺していた大悟が、不意にポツリと呟いた。
「無いこともないんだけどなあ……」
「え? あるの?」
「うん。一応は考えてあるんだけどさ」
そこで両手で顔を拭くように擦り、その後で大悟が続けた。
「何というか、ベタというか、あんまり効果無いんじゃないかと思ったりとか……」
「ベタでも効果なくてもいいからさ、ちょっと教えてよ。何する気だったの?」
「ああ、それはね……」
大悟がルカのすぐ傍まで体を寄せ、その耳元に何事かを告げる。
そんな二人を、月はただ静かに見下ろしていた。
隼が目を覚ました時、頭の上にあった時計は午前六時を指していた。
「……」
顔だけを動かし、時計の針をじっと眺める。
正直、布団から出たくなかった。
あの二人の顔も見たくなかった。
「……酷いな」
無表情で呟く。自分勝手にも程がある。
とにかく、起きなければ。
未だ拒絶反応を示す心を強引に抑えつけながら、毛布を剥いで上体を起こす。ぐっすり眠ったというのに、体は――心は鉛のように重かった。
そして上体だけを起こしたまま、死んだ魚のような目を見せたままで隼が思案する。
――これから、どんな顔をして会えばいいのだろう?
「さて、どうするか……」
考えを巡らせながら、そっけない風に独り言を漏らす。表面上は冷静さを決め込んでいても、心の中は大荒れだった。
と、そこで思い出したように、自分の横にあるもう一つの布団に目をやった。
そこにルカの姿はなかった。朝一番に顔を合わせる必要がなくなったので、ひとまず安堵する。が、すぐに不審な点に気づく。
「……どういうことだ?」
休日にしろ平日にしろ、いつもなら一番早く起きた隼が横で寝息を立てているルカを起こす流れになっていた。それが今日に限って、ルカが自分より早く起きている。
「何かあったのか? それともただの気まぐれ……?」
「あ、起きましたー!?」
「――!」
不意に轟いた明朗な声が、寝ぼけ頭を一気に覚醒へと導いた。
突然の事に背筋を伸ばし、反射的に声のする方へ顔を向ける。そして次の瞬間、隼は今一番目を合わせたくない人物の一人と目を合わせてしまう事になった。
「ル、ルカ……」
「おはようございます、隼さん! 今日もいい天気ですよ!」
「ああ、お、おはよう……」
やけに明るい――明るすぎるルカの声に、隼が警戒心と気まずさを最大値にまで引き上げる。自分に対して向けられてくる全く隙のない笑顔も、その心の働きを助長した。
その顔をなるだけ見ないように顔を背けながら、昨日のことについて弁解しておこうと隼が口を開いた。
「その、だな……昨日は」
「それより隼さん、早く着替えてください!」
そんな隼の言葉をルカの大音声が掻き消す。そして隼の二の句を許さないかのように、矢継ぎ早にルカが続けた。
「着替えたらリビングに来てくださいね? 絶対来てくださいよ? すぐ来てくださいよ? 約束ですからね! それでは!」
「あ、あ」
「じゃ!」
そして言うだけ言って、ルカが素早く襖を閉める。完全に狐につままれた格好となった隼だったが、やがて覚悟を決めたように布団の上に立ち上がった。そして隅に置いてあった自分の着替えの服の所まで歩み寄り、パジャマを脱ぎ始める。
あの態度は絶対に怒っているな。そう考えながらも、隼はその手の動きを止めなかった。全て自分で蒔いた種だからだ。
「……ここで逃げるのは無しだよな……」
たとえ絶交されても構わない。
ケジメは自分でつける。
隼はそう固く心に誓っていた。
パジャマから私服――白いシャツに青いジャケット、そして濃い青のジーンズ――へ完全に着替えを済ませ、諦めの色を帯びた表情で隼が言った。
「……行くか」
襖の元まで行き、それを左右に開いた。
襖を開け、視界の中に入ったリビングの――そのテーブルの上にある物を見て、隼は言葉をなくした。
「な……」
碗に盛られた湯気のたつ白米。
大根と油揚げの味噌汁。
鯖の塩焼き。
お新香。
「……」
そこにあったのは、いつもは自分が作っていた筈の朝食の光景。
いつも通りの――『三人分の』朝食の光景だった。
「ああ、隼さんおはようございます」
そしてその光景に隼が目を奪われていると、台所から大悟がそう言いながら現れてきた。その顔は昨日のことなど無かったかのように晴れやかな物だった。
その表情に隼が一瞬怯む。
「お」
「ちょっと待っててくださいね。今お箸持ってきますから。それまでそこに座っててください」
そしてその一瞬の虚を突くようにして隼の返答を待たないままに大悟がそう続け、言い終えるやいなや再び台所の方へと身を翻して行ってしまった。
「なんだ、おい、これはいったい……」
「まあまあ、ここはダイゴの言う通りにしておきましょうよ」
状況が理解できず棒立ちしていた隼の両肩を、そう言いながら後ろからからルカが掴む。そして隼の体をそのまま前へと押しやっていく。
「さ、おとなしく座って座って」
「くそ、おい、だから――」
抵抗する暇もなく、されるがままに隼がテーブルの前へ押し出されていく。
テーブルの前に着いた後、間髪入れずにルカが両手を真下に押しこみ、強引に隼を座らせる。拘束が解けないよう、ルカも同時に腰を下ろす。
そのルカの顔を後ろを振り向いて睨みつけながら、脅しの色を隠すこと無く隼が言った。
「おい、これはどういう事だ――」
「まあまあまあまあ」
だがルカは動じなかった。なだめるようにそう返しながら、強張っていた隼の肩を軽く叩く。その顔は嫌に明るかった。
そして隼が次の言葉を放つよりも速くルカが立ち上がり、自分の分の食事が置かれた位置にまでそそくさと向かっていく。そんな喋るタイミングを逸して口を半開きにして固まっていた隼に、箸を持ちながら自分の持ち場に座り込んだ大悟が言った。
「さ、ちょっと早いですけど、ご飯食べちゃいましょうか。隼さんも、今のうちに食べちゃってくださいね?」
「いや、だからこれは――」
「わーい! ダイゴの料理って初めてー! ちょっとワクワクするなー! ねえ、隼さんもダイゴの料理とか――」
「待てッ!」
そこで漸くと言った風に、ルカの言葉を断ち切って隼がそれまで溜め込んでいた物をぶち上げるように声を荒げた。
それは恐怖と疑念、そしてそれらから来る怒りとが複雑に渦巻きあった心の叫び。悲痛とも取れる隼の感情の発露。
「待て」
それまでにこやかだった――どこか不自然にも見えた――大悟とルカの顔が瞬時に凍りつく。和気あいあいとしていた部屋の空気さえも凍りついていく。
「……」
暫しの間、三人は何も言わなかった。気まずい沈黙が三人の間を取り囲んでいた。
「……さて」
やがて張り詰めていた場の空気が落ち着いてきたのを肌で感じ取った隼が、努めて落ち着いた声を出して二人に尋ねた。
「これは、なんだ?」
「……これって?」
「これのことだ」
不機嫌そうに、そして若干気まずそうに顔を歪ませながら、隼が目の前にある食事の光景を指さす。するとそれまで強張っていた表情をしていた大悟とルカがその頬を緩ませ、そして尚も顔をしかめている隼に向けて大悟が言った。
「恩返しですよ」
「なに?」
「いや、ちょっと違うかな。なんて言うか……これからもよろしく、的な?」
そう言って大悟が顔を赤くして隼から目をそらす。意図を理解できずにきょとんとしている隼に向けて、今度は大悟に変わってルカが口を開いた。
「まあ簡単に言うと、昨日の事は気にしてませんって事です」
「――」
「そりゃあ最初は、隼さんが私たちに近づいた理由とか聞いた時はちょっと驚きましたよ。だけどその後でダイゴと話しあって、その……隼さんを『利用していた』のは自分たちも同じだねって、結論になって」
「……どういう事だ?」
「俺たちも母親が欲しかったって事です」
怪訝そうに眉をひそめる隼に、小さく大悟が言った。
「誰かに甘えたかった。誰か頼れる人が、家族が欲しかった……おあいこって事ですよ」
「それで、私たちは昨日のことは気にしてないって言うのをどうしたら伝えればいいのかって話になって、それで――」
「こうなったと言う訳か」
「まあ、そういう訳です」
「ええっと、その、口だけじゃ伝わらないよねと思って……」
そう言ってルカが恥ずかしげに頬を掻く。そしてそのすぐ後にルカと大悟が見つめ合って小さく頷き、居住まいを正す。
そして顔を赤らめてどこか恥ずかしげに、しかしまっすぐに隼を見つめながら言った。
「隼さん」
「今までありがとう」
「これからもよろしくお願いします」
優しく、力強く、二人同時に感謝の意を述べる。
「……」
隼は言葉も出なかった。
目が滲んでいた。
そして何の反応も返せないままに隼が硬直していると、大悟が両手を叩きながら明るい口調に切り替えて言った。
「はい、辛気臭いのはこれで終わり。冷めない内に速く食べちゃおう」
「さんせーい! ほら、隼さんも食べて食べて!」
「……あ、ああ」
ルカの勢いに流されるままに、隼が箸を取って目の前の料理に手をつけ始める。そしてその後に続くようにして、大悟とルカも揃って食事をはじめる。
食事をする三人の所作はどこか緊張でぎこちない所があったが、その場に流れる空気は穏やかでゆったりとした物だった。
三人が三人とも、その心は暖かいもので満たされていた。
「……まいったな」
そんな折、味噌汁の入ったお椀を持ちながら、不意に隼が呟いた。
「ちょっとしょっぱいな、これ」
手にしたお椀が揺れていた。
前髪で目元を隠し体を震わせながら、隼がかすれた声で言った。
「……ありがとうな」
そしてすすり泣きの声をごまかすように、味噌汁を一気に飲み始めた。
どうでしょうか。これでこちら側の話は終了です。
次はベリーのフォローに入りたいと思います。
こっちもこっちで難産になりそうで怖いです。
でもどうにか書き終えたいです。
次回「友達」
撃ちます撃ちます




