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第七十五話「自活能力ゼロ」

「参った」


 もう少しこの世界の事を知っておくべきだった。

 レイスはそう後悔しながら、逃げた先の路地裏の中で自らの肩を抱いた。

 肩を抱いた手の甲や指の上を、炎が蛇のように縦横無尽に這いまわる。やがてあらかた運動を終えた炎の蛇がその場で静止し、赤い粒子となって宙に上がって消えて行く。


「私は、あまり一般人に危害を加えたくはなかったのだがな……」


 自分が戦闘マニアであることは自覚していたが、それでも一般人を無差別に襲うようなことはしたくはなかった。

 自分が戦うのは、自分と同じ戦士とだけだ。それが彼女のモットーであり、彼女の傭兵としての生き様であった。

 それ故に、反射的とはいえあの時自分がしてしまったことに対しては、どうしようもないほどの罪悪感と屈辱を味わっていた。

 いずれはこの痛みも引いていくだろうが、暫くは尾を引くだろう。そう考えながら、薄汚れた壁に身を預けて空を見上げる。

 その路地裏を形成するビルの屋上の縁によって横長に切り取られた空の景色は、未だ薄暗かった。


「……思い出した」


 不意にレイスがそう漏らした。


「奴は、夜にならなければ姿を現さないのだったな」


 この時間帯に人に尋ねても無意味、いや、それ以前に『その存在』について人に尋ねること自体が無意味であると、レイスはまったく何の前触れもなしに、この世界に来る前に読まされた作戦説明書の中に書いてあることを思い出したのだった。


「そうだ。そうだった。確かにそんな風に書いてあったのだ。思い出したぞ」


 そして同時に、『それ』に出会うためには自分から待つ必要があること。そしてそうやって待っていると、いずれの属性が発する物とも異なる特異な魔力の波動を感じることが出来るので、それを目当てにして移動すれば『それ』に会えると書いてあったことも、この時になってはっきりと思い出したのだった。

 自分の落ち度を呪いかけた。


「……いや、別に忘れたわけではない。少し思い出すのに時間が掛かっただけだ」


 それでも自分の落ち度を認めたくなかったのか、強気な語調でレイスが独りごちる。そして壁から背中を離し、腕を組んでレイスが言った。


「となれば、次に奴と会えるのは次の夜か……これは楽しみだ」


 まだ見ぬ強敵との対決を思い、レイスは自分の胸が高鳴るのを感じた。喜びを表すように体中を炎が這いまわり、自然と顔がにやける。

 闘争。それこそがレイスの望むもの。


「待っていろ、ルイ」


 固く握りしめた右拳を空に突き出し、レイスが高々と宣言する。


「そなたの命、このレイス・スランブが貰い受ける。覚悟しているが良い!」


 敵との対決を前に抑えきれなくなった喜びが、五臓六腑を駆け上がって喉元へと迫る。レイスは躊躇うことなく大口を開き、高笑いとしてそれを外部へと放出した。


 彼女の貰った作戦説明書には、次の夜までどうやって時間を過ごせばいいのかについて書かれてあったのだが、レイス・スランブはこの時その事をすっかり忘れていた。





 隼がその報告を受け取ったのは、真弓と会談をした翌日の早朝のことだった。普段ならば何も入らない筈の玄関ドアの郵便入れの中に、ガットの諜報部からの報告を記した書簡が入っていたのだった。

 そこには一人の少女のことについての警官の証言が記されていた。

 その少女は午前二時十七分頃に、岩屋町駅前の交番に現れたと言う。そして中に居た警官――この書簡の語り部とも言うべき存在に、人を探している旨を伝えたらしい。時間が遅すぎる気もするが、そこまでならば普通の話だった。

 問題は、その少女が赤黒く塗装された時代がかった革製の鎧を身に着け、腰に細身の長剣を佩いていた事だった。

 その時代錯誤も甚だしい姿を見た警官は――当然のことながら――大いに面食らった。何かのコスプレかとも思ったらしいが、自身の為すべき仕事を疎かにする事はなかった。


「君の持っている刃物を見せてほしい」


その少女の前に立ち、確認のために警官が言った。少女は「なぜ見せる必要があるのか」と差し出すのを渋った。

 警官は怪しいと思った。非常識な状況下に置かれてなお、彼は警官としての直感と職業意識を失ってはいなかった。

 あの剣は本物かもしれない。そう思った時には、既に少女は外に出ようとしていた。警官の体も反射的に動いていた。

 警官が少女の肩を掴む。

 次の瞬間、その警官の右腕――彼女の肩を掴んだ腕の袖の先が『発火』し、驚き尻餅を突く警官を振り払って少女は何処かへと走り去っていったという。

 それから交番の前を通りすぎようとした通行人に呼びかけられるまで、その警官は口を半開きにしたままで、黒く焦げ上がった自分の袖を呆然と見つめていたという。





「そしてその通行人が言うには、自分が見つけた時その警官はその場にへたり込んで顔を死人のように真っ青にしていたようだ」

「その通行人の証言を出す意味あるんですか?」

「もちろんだ。この通行人がこの書簡を届けたガットの諜報部の人間なんだからな。そいつがその警官を起こして、ここに書かれてある話を聞いて纏め上げたんだ」

「ああ、なるほど」


 大悟とルカは、朝食時に隼からその話を聞いていた。そしてその書簡を床に置き、表情を引き締めて二人に言った。


「さて、この事が一体何を示しているか、もうわかっているな?」


 二人が揃って頷く。それを見届けた後で隼が続けた。


「魔導士とやらだ。恐らくは増援として呼ばれてきたんだろう」

「私達を倒すために?」

「そうだろうな」


 事も無げにそう言ってから味噌汁を啜る。そしてお椀を置き、一息ついてから隼が言った。


「遅かれ早かれ、魔導士とか言う連中とは本格的にぶつかる事になっていたんだ。ならば早いに越したことはない」

「……」

「今夜、変身して屋上で待て。上手く行けば『釣れる』かもしれん」


 緊張した面持ちで二人が頷いた。





 同時刻、『釣り』の対象であったレイス・スランブが郊外の田畑地帯で野垂れ死にかけているという事を、三人は知る由もなかった。





「あーあ、レイスってばどこ行っちゃったのかなあ」


 ゲインに追い出されるようにして二人で岩谷町に降り立ってから数時間後、すっかり朝日が昇り人でごった返し始めた通りの中を、メア・オクトフェストはどこに行くでも無く一人ぶらついていた。

 合意の上でレイスと別れたのではない。岩屋町に降り立ち、一瞬目を離した隙には、傍に立っていたはずのレイスがどこにも見当たらなかったのだ。

 探そうとも思ったが、この町の地理はまるでわからなかったので諦めることにした。

 仕方なくメアは一人でレイスとは別の路地で体を休め、五時間ほど寝た後で目を覚まし、作戦時間である夜までどう時間を潰していこうか歩きながら考えていたのだった。


「まったくさあ、レイスもレイスでそそっかしいんだよねー。よくあんな性格で今まで生きてこられたもんだよねー」


 友人に対する軽口を叩きながら、メアがひっきりなしに首を左右に回して町の中を観察する。

 敵勢力の殲滅以外にも、メア達にはもう一つの任務が課せられていた。侵略の舞台――岩屋町の調査である。

 調査といっても、実際にそこに降り立って見聞きしたものをレポートにまとめて提出するという簡単な物だった。

 メアは当然ながら嫌がった。そんな下らない事などする気はないと突っぱねた。

 だがこの任務がアゼニア帝国の若き皇帝ゼノによる勅命だということを聞いた時、メアは首を縦に振るしか無かった。


「だって仕方ないじゃない。私一人があんな怪物に逆らった所で何のメリットもないんだし、痛いのもキツイのも嫌なんだしさ……ん?」


 そうしてメアがその事に対しての自己弁護をしていると、不意にその視線が一つの物体を捉えた。


「テクノ……ランド……?」


 その場に立ち止まり、目の前にある看板にデカデカと書かれた文字を辿々しく読み上げる。

 視線を下ろす。人一人は入れるガラス製の自動ドアの向こう側に、大小様々な箱のような形をした物が所狭しと並べられていた。中には半球状の物や、分厚いテーブルのような物も置かれていた。中に人がいるために開いてはいるようだが、その数はまばらだった。

 二階建てのゲームセンターを前にして、メアの心臓が鼓動を早めた。彼女の直感が、その場所を『面白い場所』と認識した。

 享楽主義者の血が騒ぐ。


「……面白そう」


 顔を綻ばせ、涎を舐めとるように舌なめずりをする。

 何も意識しない内に、足が自然と前に進みだす。数歩進んで、ガラス戸が左右に割れる。

 そして何の抵抗もなく、メアの体がその中へと吸い込まれていった。





 店内は筐体が壁沿いに所狭しと並んでいたが、道幅はそれほど狭くはなかった。中央には表面を水色に塗られ、凸状の物体が両端に二個ずつ置かれた例のテーブル状の何かが占めていた。開店したばかりだからか、そこに座って実際にゲームをプレイしている人間は数えるほどしかいなかった

 興味深そうに周囲を見回しながら、適当な筐体の前にある椅子に腰を下ろす。白い文字が横に羅列されている液晶画面を舐めるように見回し、目の前の台の上に配置されたスティックと四つ箱状に配置されていたボタンを注意深く倒してみたり、押してみたりする。

 片方の手でスティックを握り、片方の手でボタンを押すのか。メアはぼんやりとそう思った。

 そしてコインの投入口の横に書いてある『100』の数字を見て、メアが眉をひそめる。


「百って……これのこと?」


 腰のポケットの中に手を突っ込み、中から一枚のコインを取り出す。

 こちらの世界に来る前に『夜を迎えるまでの軍資金』として手渡されていた百円玉をまじまじと見つめ、恐る恐る投入口の中に落とし入れる。

 軽い音が鳴り、いきなり目の前の画面が切り替わる。そこには下半分に、縦二列横四列の正方形に八つに分けられた白枠のフレームがあり、その八つに区切られた正方形の中に、それぞれ違うキャラクターの横向きの顔が納められていた。

 その正方形のうち、右上の部分だけがゆっくりと明滅していた。スティックを右に倒すと、明滅がそれまで起きていた場所の右隣にある正方形で発生した。右上の部分の明滅は無くなり、そこはただの白枠と化していた。

 上半分には、その明滅している枠の中にいる顔と同じ顔をしたキャラクターの全体像が、わずかに体を上下に揺らしながら立っていた。

 白味がかった短髪。ベージュのコートに白いズボン。背中をまっすぐに伸ばし、右手を腰に当てて左手をだらりと下げ、頬張った顔は真横を向いている。

 その画面の中央上部では、『09』と表示された数字が赤く点滅していた。


「へえ……」


 メアはその画面で何が起きているのか、ゆっくりとだが認識し始めていた。

 軽くボタンを押す。決定を告げる快い音がなる。

 画面が暗転する。

 次の瞬間、そこには自分の選んだキャラクターと、もう一人の別のキャラクターが向かい合うようにして立っていた。

 左手でスティックを握り、右手の指が全てボタンに重なるように置く。


「さてさて、何が始まるのかなー?」


 未知の遊具を前に、メアは期待に胸を膨らませていた。





 数分後、メアは自分の座った筐体に入っていたゲーム――『格闘ゲーム』と呼ばれるジャンルのゲームにすっかり取り憑かれてしまった。

 数時間後、メアは軍資金として渡されていた千五百円相当の百円玉の山をすっかり使い果たしてしまっていた。


今回は戦闘の回と言ったな。あれは嘘だ。


本当ごめんなさい。うっかりしてました。


次回、ついに激突。

次はレイスメイン回です。

レイスがどうやって糊口を凌いだかも説明されます。


次回「人間マッチ」


撃ちます撃ちます

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