第六十三話「善人/シェリル・ヴェーノ」
十二国家の一つ『セクセント』を統べるユビキス・ヴェーノは、シェリル・ヴェーノが世界で最も尊敬し敬愛する男性であった。
それは彼が自国民及び領民に対して善政を敷く心優しい『仁君』だからであり、同時にシェリルを産んだと同時に世を去った母親に変わって、男手ひとつで自分を育ててくれた偉大な父親であったからだった。
ユビキスは国民や家臣、そして何よりシェリルに対して暖かく穏やかな心で接した。困っている者には手を差し伸べ、慈愛の心を忘れなかった。
そして彼は相手をただ甘やかすだけでなく、相手の犯した罪を臆することなく糾弾する事が出来る芯の強さをも持ち合わせていた。童心のままに悪質な悪戯をした幼いシェリルを、家臣たちの前で当然のように叱り飛ばしたことも一度や二度ではなかった。
公私混同をせず、厳として信賞必罰で臨む。まさに仁君であった。
「困っている者には手を差し伸べよ。ただしつけあがらせてはいけない」
それがユビキスの持論であり、彼はシェリルに対して事あるごとにその持論を言い聞かせていた。そして愛する父を通して、幼いころからそれを当たり前のように聞かされ続けていたシェリルは、成長しはっきりと自意識を持つ頃には若干主観交じりとはいえ、そのユビキスの持論を己の価値観の主柱に据えていたのだった。
困っている人を見捨ててはいけない。しかし甘やかしてもいけない。支え、陰の力となり、その者を導くのだ。
やがて学園に入学したシェリルは、その確固たる信念の下に積極的に活動を開始した。陳腐な言い回しをすれば、人助けである。
その正義感溢れすぎる行動は、当然ながら多くの生徒から顰蹙を買い、『偽善』として疎まれ憎まれた。入学後の適性試験で、彼女が常軌を逸した魔力を有しているという結果が出た事もまた、彼女が蔑まれる理由の一つであった。
しかし彼女は行動を止めなかった。私は正しいことをしている。その信念が彼女を突き動かした。
そして大なり小なりの厄介事に自分から首を突っ込み続けるうちに、気づけば彼女は生徒会長と言う重責ある立場に就いていた。その頃には敵よりも味方の方が圧倒的に多くなっていた。
当然ながら、それは彼女がこれまで助けてきた人たちが彼女の側についたからであるのが大きな理由であった。だが同時に、彼女がその子供が持つには莫大すぎる魔力を見込まれ、レビーノ各地で発生する戦闘行動――魔族の撃退作戦――に駆り出されその度に圧倒的な戦果を挙げていた事も、味方が増えた理由の一つに含まれていた。
多くの人間が、彼女の心意気、そしてその破壊神の如き力に平伏した。だがどれだけ周りから賞賛の拍手を浴びせられ、畏怖の視線を投げかけられようと、シェリルの表情が真に晴れる事は無かった。どんなに高いポストに就こうとも、どんなに戦果を挙げようとも、彼女の周りにはまだまだ『解決すべき問題』が山積みであったからだ。
ルカ・ベルトリオもその一つであった。
彼女の問題は深刻だった。
どうすれば解決できるのか。前代未聞の難題を前に、シェリルは頭を抱えた。
そうしてどうすればいいのか悩みあぐねていた時、彼女は一つの本を発見した。それは大昔の文献、時空跳躍魔法について記された本であった。
シェリル・ヴェーノは常に真剣だった。
だからルカの問題にも真剣に取り組んだ。彼女の存在をネタにして茶化し、平然と侮辱する相手には、誰であろうと厳格な態度で臨んだ。
そんな彼女だからこそ、ルカの名を騙り自分を騙そうとする目の前の魔法使いの女――ルイの事が、シェリルはどうしても許せなかったのだ。
ルイが小動物のように姿勢を低めて休むことなく屋上を走り回り、頭上から雨のように降り注ぐレーザー光を掻い潜る。既にルイのいた屋上は、シェリルの放った黄色いレーザーによって細い溝が無秩序に何十と刻み込まれていた。彼女の力を以てすれば建物そのものを切り刻む事も容易だったが、あえてそれをしなかったのはルイと同じ、彼女の無意識下の良心が発露した結果だった。
しかし、当たれば痛いのは確実であった。だが当たったとして、それが本当に『痛い』程度で済むのかは、食らった事のないルイにもわからなかった。
「ひいい!」
レーザーの一つが頭をかする。頭頂部をヤスリで軽く擦られる感覚を覚え、ルイの口から短い悲鳴が漏れる。そして狙いの外れたレーザーの先端が地面を走り、屋上に新たな溝を生み出す。
「猪口才な」
「黙って当たる気とか無いですから!」
そしてそうやって逃げ回りながら、隙を見てはスティンガーのミサイルをノーロックで発射する。シェリル本人はその場から全く動かなかったので、当てること自体は容易であった。だがどれだけミサイルの直撃を貰っても、なぜかシェリルがダメージを受けたようには見えなかった。そして何事も無かったかのように、前と同じようにオーラに身を包み、腕を組みながらレーザーを乱射する。
「やっぱり、シェリルさんはあの力を――うひゃああ!」
そんな無傷のシェリル――全身からオーラを垂れ流し宙に浮くシェリルの姿を伺っていたルイは顔面蒼白になっていた。こちらの攻撃が効かないからでもあったが、一番の理由はそれではなかった。
「キレてる……」
冗談抜きで怖いからだ。
額から流れる汗が止まらない。シェリルが全身から発する怒気が空気を震わせ、振動となってルイの体に容赦なく叩きつけられる。
『……なんであんなに怒ってるの?』
その波をまともに食らう大悟の声も震えていた。動きを止めることなくルカが息を呑みながらそれに答える。
「シェリルさんは――」
『伏せて!』
「ひゃあ!」
顔面直撃コースにあったレーザーを間一髪で匍匐姿勢を取って回避する。頭髪が何本も引き抜かれ蒸発する感覚を間近で覚え、戦慄に身を震わせながらルイが言った。
「……ああ言う人なんだよ」
『そ、そうなの?』
「生真面目で正義感が強い人なの。だから私がルカの名前を使って自分を騙したことに腹を立ててる、って考えてるのよ、多分」
『濡れ衣じゃん』
「いい人なんだけど、思い込みが激しい所あるのよ。あの時はそれがとても頼もしかったのに……」
『ルカ、危ない!』
「ひええ!」
大悟の叫びに弾かれるようにルイがその場から大きく飛び退く。ルイのいた所を薙ぐようにして、黄色いレーザーが横一線に走る。
「避けましたか。生意気な」
容赦なく、間断なくレーザーの雨を降らせながらシェリルが嘯く。その顔は酷く冷たく、しかしその瞳の底に、己を焼く程に燃え盛る怒りの炎を溜め込んでいた。
レビーノの誇る最大戦力。破壊神の顔だった。
そのシェリルの顔を十字サイトの中央に据えながら、ルイがスティンガーを構える。
「まさか、本当に……!」
狙われて尚シェリルは動かない。それどころか、臆する事無くサイト越しにこちらをじっと見つめてくる。
「またそれですか、まあいいですが。何度でもどうぞ」
挑発するのでなく、ただ単純に呆れるようにシェリルが呟く。
「――ッ!」
それが引き金となるかのようにルイがその姿をサイトに収めたままミサイルを発射する。
軽い音を立ててミサイルが一直線に飛んでいく。
直撃。




