第六十一話「友達思いな彼女」
「戦況は――人間側の優勢か」
岩屋町で最も高い建築物、山の井ビルの屋上の角に立ちながら、ツェッペリンが腕を組んで呟いた。眼下に見える魔族とルイたちの戦闘を見据えながら言葉を続ける。
「あのルイという少女、中々にやる。そして例の組織の者達もまた有能だ。私の期待していた以上だな」
ツェッペリンがそう満足げに呟く。だがそこには、幾許かの不満と寂しさが含まれていた。
「私の手助けは不要か……一度、この姿で格好よく暴れてみたかったんだがな」
長く伸びた指。鋭利にとがった爪。骨と皮だけになったとも言うべき程に節くれ立ち、異形と化した白い腕。ツェッペリンがそう漏らしながら、その自らの腕をまじまじと見つめた。
「しゃしゃり出て戦況を混乱させたくもないし、今日も戦いはお預けか」
彼女は純粋な魔族ではなかった。だが同時に、彼女は大抵の魔族が胸に秘める――長きに渡る侮蔑の果てに、人間によって植え付けられたと言ってもいい――戦闘本能をしっかりと具えていた。
敵を引き裂きたい。己の力を見せつけてやりたい。そんな欲望が黒い炎となって燃え上がり、胸の中を灼熱でかき回す。
だが彼女は『純粋な魔族』ではないために、それを抑え付けられるだけの理性をも具えていた。そして彼女自身、気の長い性格であったので、本能が理性を上回る事は殆どなく、それどころか、それをほぼ完璧にコントロールする事も出来た。押さえつける事も、自ら解放する事も、思いのままであった。
今の彼女は抑圧を選択した。
そうして体の内で燻るドス黒い炎に自重の冷水をぶっかけて神経を落ちつかせていたその時、
「――なに?」
不意にツェッペリンが眉根を寄せる。視線は空の彼方を捉えていたが、その意識は自身の体の奥深く――心とも魂ともいうべき所に向けられていた。彼女はそのまま微動だにせず、何処からか送られてくる言葉を、耳ではなく直接意識で受け取っていく。
「……そうか、そうか。とうとう来るか」
まるで誰かと話をしているかのように言葉を紡ぎながら、ツェッペリンが小さく何度も頷く。この時彼女の受け取った情報は、消えかけた身内の炎を再び燃え上がらせる物であった。
私にも出番が出来た。
ツェッペリンの眼は燃えていた。
「そうか、奴が……ならば行くしかあるまい。倒すべき目標が目の前にいるのだからな」
はやる気持ちを強引に抑えつけるようにツェッペリンが早口で言った。そして躊躇うことなく片足を一歩前に踏み出し、もう片方の足で軽く宙に躍り出る。
体が軽くなったような浮遊感を全身で感じる。その直後、無慈悲な重力の枷が彼女を地べたへと引きずりおろす。恐怖は無かった。
「ふ……たまらない。上げて落とすこの感覚は、やはりたまらないな!」
頭を下にしてビルから落下する。一秒単位で体に当たる風が勢いを増す。そんな全身を風に嬲られるその感覚に、彼女は病み付きになっていた。
人間の頃には到底感じることの出来ない感覚。バンジージャンプを好んで行う人間の真理が、ちょっとだけ理解できたような気がした。
存分に風の壁に体をぶち当てる感覚を堪能した後、背中から翼を生やして上体を反らし、地面と体を水平にさせてグライダーのように滑空する。
「さあ本番だ。魔導士よ、首を洗って待っているが良い!」
時おり翼をはためかせながら、さも嬉しそうにツェッペリンが叫ぶ。
本能を抑えることはもうやめていた。
ツェッペリンが嬉しそうに空を飛んでいた頃、彼女の捕捉したその魔術師は全身から黄色いオーラを膜のように垂れ流し、当たり前のように空を浮遊しながらルイを見下ろすような形で彼女と対峙していた。
七つ目を潰した後でその魔導士の姿を見上げていたルイは、信じられないと言った体で頬を引きつらせていた。
「うそ……そんな……」
《おい、どうした?》
『ルカ、知り合いなの?』
「……」
銃を構えることも忘れ呆然とするルイに対して、大悟と隼が同時に声を掛ける。やがて我を取り戻したルイが、言葉を切れ切れに砕いて吐き出すようにして彼らに答えた。
「……シェリル・ヴェーノ」
『シェリル?』
「私をこの世界に行くよう提案してくれた人」
《……なんだと?》
「あの人がいなかったら、今頃私はここにいなかった」
『な――』
隼と大悟が同時に息を呑む。そうして驚きの色を隠せないでいる彼らを尻目に、ルイが宙に浮くシェリルの元へと一歩前に踏み出す。
話せばわかってくれる。敵対を避けられる。などという打算からの行動ではなかった。それはただ純粋に懐かしさから来る行動であった。
恩人と話がしたかった、言葉を交わしたかったのだ。
「ねえ、シェリルさん。私です。わかるでしょう?」
「……?」
突然のルイの言葉に、シェリルが不審そうに眉を顰めて首を捻る。だがそんな彼女の表情の変化はお構いなしに、一歩一歩踏みしめるように、小股歩きで前へと進みながらルイが続けた。
「ほら、私ですよ。覚えてないですか?」
「覚えて……?」
「はい。それなりに前になるんですけど、あの時――」
「あなた、ルイと言いましたね」
懇願するかのようなルイの言葉をシェリルが遮る。
ルイの歩みが止まる。
「……残念ながら、私はあなたの事を知らないのですが」
「――!」
あなたなんて知らない。
頭から雷に貫かれたような気分だった。
失意と絶望が全身を支配する。
「そんな、シェリルさん、そんな……」
そうして悲嘆にくれるルイの姿を、シェリルは悪気を感じるでもなく不思議そうに眺めていた。
「……何を悲しんでいるのですか?私はルイと言う名前の人と――あなたのような格好をした人と、私は知り合いになった覚えは無いのですが……それとも、本当に私が忘れているだけなのかしら……」
「あ」
そして今になって気づく。
今の自分は『弾丸魔法少女ルイ』なのだ。
シェリルは『ルカ・ベルトリオ』の事しか知らないのだ。
そしてルカは魔法を使えないのだから、魔法のパターンから本人だと言うことを判断する事も出来ない。
「……その反応からして、やはり私の勘違いではなかったようですね」
「ま、待って!」
そしてそんなルイの反応を見て臨戦態勢に入らんとするシェリルに対してルイが叫ぶ。叫ばずにはいられなかった。
「シェリルさん。私は確かにルイだけど、本当はルイじゃなくて中身はルカなんです!私、ルカ・ベルトリオなんです!」
「……ルカ・ベルトリオ?彼女?」
変身を解くと言う選択肢は無かった。魔族は他にもいたのだから。
「あなたが……あのルカだというのですか?」
「は、はい。だから戦うのは止めにしましょう?私たちで争うなんて、嫌すぎます!」
それでもなお自分が本当はルカであると、必死になってルイがアピールする。それは無意識の内に出た行動であり、どうしても自分がルカであると伝えたかった彼女の思いの表れであった。
だが。
「……」
「……え?」
「……よりにもよって……」
「……ええ?」
周囲の空気が一瞬で変わる。
「……よりにもよってッ!」
「ひい!?」
鬼の如き形相でシェリルが吼える。
「――私を騙そうと言うのですか!?よりにもよってッ!彼女の!ルカ・ベルトリオの名前を使ってッ!」
火に油を注ぐだけに終わった。
「い、いや、違う!違うんです!私は本当に!」
本気で怯えながらそう言いかけたルイの真横を、彼女の周囲から飛び出しレーザー光と化した黄色いオーラがまっすぐに走り抜ける。そして綺麗に地面を抉り取ったかのような細い溝を後に残す。
「黙りなさい!」
「いや、だから」
「一丁前に魔法を使える身でありながら!私を騙すためだけにその名前を使う!彼女が!あなたが平然と使っている魔法の事で!どれだけ苦しんでいたのか知りもしないで!」
「……!」
泣きながら――目から無念の涙を本気で流しながら、シェリルが己の友を良いように利用しようとした眼前の不届き者を痛罵する。
その眼は怒りに揺れていた。
「弾丸魔法少女ルイ!私は、あなたを決して許しはしない!覚悟!」
「だから、シェリルさん!」
『ルカ、来るよ!』
《戦闘態勢を取れ!今の奴に何を言っても無駄だ!》
隼の怒号が耳元に響き渡り、それと同時にシェリルの纏うオーラがより一段と拡大していく。
「……ああ、もう!バカ!」
そしてこの状況を生み出してしまった原因――自分自身に罵声を浴びせながら、ルイがシェリルに向けて銃を構える。
撃ちたくはない。
《とりあえず奴を黙らせろ!正体をばらすのは、奴の頭を冷やさせた後だ!》
だが誤解を解くためには撃つしかない。
ジレンマに胸を痛めながら、シェリルがまっすぐに照準を合わせる。
「――ッ!」
引き金を引く。
戦闘の始まりである。




