第五十八話「塵も積もればなんとやら」
「時間だ」
夜闇に浮かぶ漆黒の球体。その闇の中で、朗々と声が響く。
壁と床と天井の境目を塗り潰すほどの黒の中で、魔族の軍勢が整然と列を組んでいた。列を組んだその魔物達は、剣や槌や弓など、皆それぞれ異なる武器を手にしていた。
そしてそんな彼らを前にして、二人の人影が立っていた。一人は人間の誇る『最高戦力』シェリル・ヴェーノ。もう一人はディンガの『切り札』と称されていた件の魔族だった。
先に声を上げた『切り札』が続けて叫ぶ。
「これより我らは、総力を以てこの世界への侵攻を開始する。恐らく、件の弾丸魔法少女と言う存在も現れるだろう。激戦は必至となる。皆、気を引き締めてかかるのだ!」
『切り札』が右手を高々と掲げ、それに呼応するように魔族達が鬨の声を上げ、武器を持った手を一様に天に向けて突き出す。
まさに意気軒昂。ただ単に強い奴と戦いたいだけだったのかもしれなかったが、それでもその様を見たシェリルはその迫力に圧倒され、目を見開き息を呑んでしまっていた。
「シェリル殿」
そんなシェリルに、不意に『切り札』が声を掛ける。はっとして声のする方に顔を向けたシェリルに、
『切り札』が力強い声で言った。
「今回の戦闘、我らの力を合わせ必ず勝利しましょうぞ」
「――はい。勝利のために、共に頑張りましょう!」
そして今度は、二人で同時に手を掲げる。それを見た魔族達は、ますますその勢いを燃え上がらせていった。
「勝利を!勝利を!」
皮肉にも、それまでのレビーノの歴史の中で、この時が最も魔族と人間の心が近づいた瞬間であった。
「ええ。万事順調です」
その様子を遠目で見つめながら、ゲインが一人、水晶玉を介して何者かと会話を行っていた。
「魔族連中には、全員にガナリを携行させておきました――もちろん、シェリル嬢も承知済みの事です」
暗い笑みをこぼしながらゲインが続けた。
「――ええ、それはもう。父親の名前を出したらあっさりと折れてくれましたよ。あとは、連中が勝つのを祈るのみです……ああ、それと」
思い出したように顔を上げ、ゲインが言った。
「例の『魔女狩り』の件、それも並行して行っておりますよ。ルイとか言う女を誰が手引きしたのか……まあ、こちらの方はまだまだ手がかりが掴めておりませんが……ご安心を。サボったりはしませんよ。そちらの方でも、調査はしっかりと行ってくださいよ」
そう言って小さく笑った後、水晶玉に映る相手に向けてゲインが言った。
「それでは、ギギア卿。バス卿によろしく」
足元では建物や車のライトがまばらに光り輝き、頭上では真っ白い月がその存在を誇示するようにぷっかりと浮かぶ。そして天の光と地の光に挟まれるようにして、上空にある物とはまるっきり正反対な黒い月が我が物顔で町の上で鎮座する。
それが今の、この町の夜の姿であった。町の外の人間からすればそれは非常識極まりない光景であったが、この町の人間は既にその街の姿に慣れつつあった。
町の住人が特別凄いのではない。それは人間の環境への順応性が高いがために起きた、ある意味必然とも言うべき現象なのだ。故に数か月ほどこの町に住めば、どんな人間であろうと最初に抱いていた違和感を『いつも通りの物』として受け止めるようになるだろう。だがしかし、外の人間からすればそれは、矢張り非常識な光景であった。
そしてそんな非常識極まりない光景の中に、世の理から外れたもう一つの存在があった。
「……」
弾丸魔法少女ルイ。
真弓の店から帰り自宅で夕飯を食べ終えた後、二人はいつも通りルイへと変身して夜闇の中へと躍り出て行ったのだった。
そして彼女はいつも通り、町中のとあるビルの屋上にいた。
いつも通り黒いボディースーツを纏い、黒いサングラスをかけ、黒いコートを羽織る。そして腕を組んで仁王立ちし、何を見るでもなく視線を正面に固定する。
そしていつも通りならば、このまま魔族が攻撃を仕掛けてくるのを待つのであった。そしていつも通りに魔族を返り討ちにして家へと帰る。
それが彼女たちの今の日常。いつも通りの一日の流れ。
だが今回はいつも通りとはいかなかった。
《……今わかっているのだけでも、それぐらいの数の魔族が確認されている。ガット総出で対処に当たっているが、いかんせん数が多すぎる》
ルイの耳にかけられたヘッドセットから隼の声が響く。その声色は、いつになく逼迫した物だった。
《それと、当然と言うか何と言うか、魔族の中に周囲の者よりも数倍の体躯を持った個体も何体も確認されている。恐らくガナリだろうな》
そしてその報告を受けたルイもまた、さも嫌そうに顔を引きつらせて言葉を返した。
「まさか、そんなに……?」
《諜報班は嘘はつかん。恐らく事実だろう》
「いやいやいやいや」
《嫌と言った所で状況は変わらん。覚悟を決めろ》
返答を遮るかのように隼がぴしゃりと言い切る。それを受けてルイは口を噤んだが、それでもその苦々しい表情は顔に貼り付いたままだった。
「はあ……いきなりどうしたって言うのよ……」
『魔族の考えが変わって、侵攻を本格的に再開した、とか?』
「もしくは業を煮やして、全員私を狙いに来たか。どっちにしても全然良くないんだけどね」
《お前も愛されているな》
「そんな愛はいりません」
肩の力を抜き、茶化すように言ってきた隼にルカがはっきりと返す。そしてヘッドセットの向こうで隼が愉快そうに高笑いを上げた後、再び仕事モードに切り替えてルイに言った。
《時間だ。奴らが我々のエリアに侵入してきた》
「数は?」
《二。だがこれからもっと増えるぞ》
町中で確認された魔族の数は二十五体。最初に隼が告げてきた言葉を脳内で反芻させながら、ルイがゆっくりと頷く。
《今回は長期戦となる。時間を掛ければ掛けるだけこちらが不利になる》
「はい」
《小技に頼りすぎるな。最大火力で一気に押して行け。ぬかるなよ》
「――はい!」
《いい返事だ。行ってこい!》
隼の言葉に背を押されるようにして、ルイが屋上の縁から一息に飛び出していく。
町の彼方で音が響く。事情を知らない町の人からすれば、それは車が窓ガラスに突っ込んだような音に聞こえただろう。だがルイは、それが開戦の狼煙であるとはっきり聞こえた。
もう後戻りはできない。
戦闘開始だ。
「ダイゴ」
『うん?』
「倶定貴音の事は、今は後回し。大丈夫だよね?」
『ああ。わかってる』
――クジョウタカネだと?
何処からその名前を知ったのか、隼は今は聞かない事にした。
その顔は若干気まずそうな表情を浮かべていた。




