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第五十五話「まったくもって面白くない」

 『ガズラ』という名前の魔族は、正確にはレビーノにも現実の世界にも存在しなかった。そもそも魔族が名前を持つことは人間の法で固く禁じられていた。

 ガズラとは個人の名前ではない。古代語の一つであり、『ゴミ』という意味を持つ名詞なのだ。そしてそれを魔族の長に充てたのは当の人間たちであり、それは長たる彼とその他大勢を区別するために便宜的につけられた物であった。侮蔑の意味が込められていたのは言うまでも無かった。





 魔族達の本拠はレビーノ北部に位置する雪原地帯の地下にある大空洞の中に存在し、名を『ディンガ』と言った。

 一年中雪と寒風が吹き荒れる極寒の地の下に存在する大空洞を利用していたために、ディンガもまた雪こそ降らないが、一年を通して常に氷点下付近の温度を保っていると言う極端な環境下にあった。また彼らの国に陽の光が差すことなど当然無く、ディンガを照らすのは元から地下に存在していた『発光する苔』と、それを使って作られた照明類だけであった。そしてその苔や照明類が放つ青白い光が、ディンガの持つ寒さを視覚的な面から増幅してさえもいた。

 だが、先に示したようにそこがどんなに寒い場所であろうと、そこに住む魔族達が厚着をすることは全く無かった。それどころか空洞内にある岩石を加工して円状に作られた城下町とそれの中央に建てられた王城にも、おおよそ防寒と呼ぶべき設備はまるで存在していなかった。

 これは魔族自体が寒さを寄せ付けない程の頑丈さを有しているからであり、そして何十年もの間その地で暮らしてきたために寒さ自体に耐性がついていたからでもあった。どれだけ建物の建築材たる岩石が外部から寒さを吸収し内部へそれを伝播しようと、魔族達は顔色一つ変えずに素手でその壁を触り、裸足で床を闊歩するのだった。





 そのディンガの中央に位置する、黒ずんだ岩によって箱状に構成された王城に、人間から『ガズラ』と呼ばれていた魔族の長が住んでいた。そして今、彼は城最奥部の『玉座の間』と呼ばれる細長い構造の部屋の奥にある玉座に座り、眼前で傅く一人の魔族をじっと見据えていた。

 そこには、その二人以外に誰も居なかった。


「では、出向の件、よろしく頼む」

「お任せを」


 その魔族は紫色の肌を持ち、背中に蝙蝠の如き翼を具え、腰には両刃の長剣を佩いていた。彼は今から球体に赴き、攻撃部隊に参加する事になっていたのだ。

 彼は魔族の中でも指折りの実力者であり、彼らの中では所謂『切り札』とされる存在であった。そしてただ本能のままに暴れ回るような他の魔族と違い、彼は本能を抑えられるだけの理性を兼ね備えてもいた。そこからくる真面目さと冷静さが、彼の強さと人望の一つでもあった。

 だが懐が深く、誇れるだけの実力を持つ彼もレビーノでは名前を持つことは許されず、人間からは個性を否定され、只の駒の一つとしてカウントされていたに過ぎなかった。

 ガズラは、それは酷く不公平な事だと常から考えていた。それは目の前の彼や同朋が、人間や妖精族からまるで『物』を見るかのような目で見られ不当に貶される事が許せなかったからであり、純粋に同朋を思っての感情の発露であった。

 だがどれだけ心中で異を唱えようとも、今はどう動くことも出来なかった。下手に騒げば墓穴を掘るだけだ。

 だから今は耐えるしかない。黙って同胞を戦地へ送り出し、ただ無事を祈るしかなかった。


「……」

「長よ、どうされました?」


 そんな事を考えて顔をしかめていたガズラに、それまで傅いていた魔族が顔を上げて心配そうに彼に問いかける。その姿を認めたガズラが強張った笑みを作り、なだめるように彼に言った。


「いや、なんでもない。心配は無用だ」

「左様でございますか」

「ああ。気を遣わせてしまって済まない」

「いえ、そのような事はございません」


 申し訳なさそうにそう言うガズラに、その魔族が傅いたまま頷く。そしてその場で立ち上がり、深く頭を下げながらガズラに言った。


「それでは、行ってまいります」

「ああ――死ぬでないぞ」

「無論です。私も長を裏切るつもりは毛頭ございませんから」


 そう溌剌とした顔と切れのいい声で返事をした後、回れ右をしてその魔族が玉座の間から去っていく。そしてその魔族が扉をくぐり姿を消した後、ガズラが額に手を当てて心底悲痛な声色で一人呟いた。


「まったく、皆には酷な事をさせてしまっているな……」


 純粋に同朋を思っての言葉であった。





「なるほど、あなたが例の『切り札』ですか」

「はっ。短い間となりますが、よろしくお願いします」


 それから数分後、件の魔族は黒い球体の中でゲイン・カーティスマンと対面していた。フランクな姿勢を見せるゲインに、その魔族はガズラに見せたのと同じくらいの礼儀正しさで以て接していた。だがその姿勢に対して、ゲインは何の感慨も抱かなかった。ただ淡々と、事務的に事を進めていく。


「歴戦の勇士たるあなたを呼んだのは他でもありません。近い内に、我々は総力を以てこの世界に一斉攻撃を仕掛けます。あなたには彼女と共に、その攻撃部隊の隊長を務めてもらいたい」

「承知しました」

「お願いしますよ。連中は我々の言う事を碌に聞かない馬鹿どもですが、さすがに同族のあなたの言う事ならば喜んで聞くと思いますから」


 そして蔑みの色を隠そうともしない。ゲインが傍らの少女に顔を向けて続けた。


「シェリルさん。あなたもお願いしますよ――くれぐれも、余計なことは考えないように」

「……わかっています」


 余裕たっぷりに告げるゲインに対して、そう答えたシェリルは見るからに苦い顔を浮かべていた。その構図から、シェリルが何らかの弱みを握られていると言うことがはっきりと伝わってきた。

 すると、ゲインとの会話を終えたシェリルがおもむろに魔族の前へと歩み寄ってきた。


「シェリル・ヴェーノです。よろしくお願いします」


 そしてそれまでの苦い表情を振り切り、柔和な表情を浮かべ自然な動作で右手を差し出す。


「な……」


 魔族は一瞬躊躇った。

 だが結局、魔族はそれを握る事を選んだ。


「……!」


 しかし魔族と手を重ねても、シェリルは変わらずに心からの親愛の笑みを見せていた。その魔族にとって、それは今まで向けられたことのない人間の表情。それは眩暈がするほど眩しい物だった。

 良い人に会えた。魔族は闇の中で光を見たような気持ちになった。


「――こちらこそ、どうかよろしくお願いします」

「はい。お互い、頑張りましょう」


 故に返答の言葉にも思わず力が入る。そしてその魔族も、シェリルに向けて自然と笑みを浮かべていた。


「……ふん!」


 それはごく普通の友好の握手だったが、ゲインにとっては気に食わない事この上なかった。

 馴れ馴れしくしやがって。

 面白くなかったのだ。



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