第五十話「vs闇に生きる人間」
「お前は一流のエージェントになるのだぞ」
信吾は、当時現役のガットのエージェントであった両親からそう言われて育った。親の愛情を一身に受け、自身の親を何よりも慕っていた彼は、親の言うことを良く聞く誠実な子として成長した。
だがそれ故に、彼は親が呪詛のように言い続けていたその言葉を何の疑念も持つことなく、その文言を切り取り額面通りに受け取っていた。過程をすっ飛ばし、ただ『一流になる』という思いだけを肥大させながら少年時代を過ごした。
「お前は一流のエージェントになるのだぞ」
当然ながら、彼はガットの『一流のエージェント』となるべく、幼少の頃から両親が監督となって訓練を積んできた。そして十五になる頃にはガットの入隊試験をトップでパスし、正式なエージェントとして認められた。
その入隊試験とは視力や筋力、持久力などを量る基本的な身体能力検査であったのだが、それは世界で活躍している陸上競技やオリンピックの選手でさえ『その他大勢』というレベルで括られてしまうほどに過酷で非常識な物であった。
それに対して、彼はその頃には既に十分すぎるスキルを擁しており、件の『その他大勢』とは一線を画す能力を持っていた。彼の入隊を『親の七光り』として蔑むことは誰にもできなかった。
「お前は一流のエージェントになるのだぞ」
そう。彼はガットに入ってすぐの段階で、エージェントとしては一流とも言えるほどの技術を身に着けていたのだ。それは本来ならば、ガットに入ってから本格的に訓練を通じて覚える類の物であった。
そして信吾自身、愛する親に叩き込まれたそれに対する自負や誇りも人一倍あった。だから入ってすぐの頃に彼に命じられた任務――足を使っての情報収集や重要人物とへの物品輸送などと言った、いわゆる『使い走り』のような任務は、そんな彼の自尊心を酷く傷つけた。
俺は一流になるんだ。こんなパシリのために入ったんじゃない。
反骨心が芽生え、命令違反を繰り返すようになったのは、ある意味で自然の流れであった。酷い時には任務放棄も平然と行った。
そうして罰則を受ければ受けるほど彼は捻くれていった。そして彼は、事あるごとに最も得点を稼げる討伐任務に自分を回してくれと何度も懇願したが、その度に『目先の任務もこなせないヒヨッ子が嘗めた口を叩くな』とつっけんどんに返された。
「お前は一流エージェントになるのだぞ」
こんな所で立ち止まっていられるか。俺は一流になるんだ。
ますます反抗的になった。悪循環であった。
前線で活躍している他のエージェントに平然と噛みつくようになったのもこの頃からであった。
鷹丸や隼、その他のエージェントもこぞって彼を諭そうとしたが、無駄だった。彼は自分に理不尽な要求を突きつけるガットの言葉は聞かず、敬愛する親の言葉しか聞き入れないようになってしまっていたのだ。
当の両親は既に死亡していた。
最初に魔族が現れてから数日後に行われた球体への偵察任務の途中、突如現れた魔族によって不意を突かれた結果であった。武器は持っていたが、抜く暇もなかったらしい。彼が魔族を必要以上に意識していたのは、そこから来ている部分もあった。
そう言った諸々の要因が重なり合った結果として、彼は目の前に立つルイが無性に許せなかったのだった。
彼女は自分が持っていない物を全て持っていた。自分よりも一流に近い位置にいる。許せなかった。
それは劣等感に近い憎悪であった。
月光が等しく二人を照らす中、最初に動いたのは信吾だった。
「行くぞ!」
なんの前触れも無しに地面を蹴り、信吾が真正面から突っ込む。対して、それを待ち構えていたかのようにルイが手にしたアサルトライフルを構える。隼に言われた通りに照準を定めようとはせず、弾をばら撒くような感覚で引き金を引こうと人差し指に力を込める。
だがその刹那、眼前まで迫った信吾の姿が一瞬にして視界から消えた。
背後から信吾の声が響く。
「遅い!」
だがルイは前を向いたまま、苦笑にも近い笑みを浮かべていた。
アサルトライフルはブラフ。信吾が消えたと同時に得物をレミントンに切り替え、銃口を予め脇の下から背後に向けていたのだ。
それを見つけた信吾が顔色を一気に青ざめ、反射的に後ろに飛び退く。
遅い。
「が――ッ!」
銃口から放たれた小さな円柱状の弾丸が一気に弾け、そこから放たれた何百もの極小の鉛玉が一斉に信吾へと襲い掛かる。銃弾がマグナムのような単発の物ならばまだ避けようがあったが、『面』で襲い掛かるそれを近距離で完全に避けることは、いかに訓練を積んだエージェントであろうと不可能であった。
後ろに下がった分威力は減衰し当たる玉も少なく済んだが、それでも全身に万遍なく当たったことは事実であり破壊力もしっかりとあった。脛、腿、腹、胸、肩、腕。ありとあらゆる部位の痛覚神経が一斉に悲鳴のシグナルを上げ、脳内を激痛の感覚で一杯にする。
その痛みの前に視界さえも霞む。だが心の中に点いた炎はその程度では消えなかった。
勢いよく後方に転がり、やがて屋上の縁ギリギリの位置で片膝をついてその場に制止する。そしてルイの背中を鋭く見据え、そこ目がけて跳ね上がるように駆け出す。
「まだまだ!」
「こいつ、まだ――!」
尚も突撃してくる信吾の方へ、苦々しい顔で毒づきながらルイが振り返る。その手にはAKが握られていた。
「これでどうだ!」
一気に引き金を引く。何百発もの弾丸が信吾へと襲い掛かる。
だが信吾は歩みを止めない。そのまま一直線にルイの元へと駆け抜ける。
弾丸が信吾に迫る。信吾が背中に手を回す。
「ああ!?」
今度はルイが驚愕する番だった。
信吾に牙を剥いていた弾丸の雨が、信吾に当たるよりも前に真っ二つになって地面に落ちていく。
自分へ向かってくる銃弾を、引き抜いた日本刀で斬り落としながら前へと進んでいたのだ。それは太刀筋が白く輝くほどに素早く、容赦のない物だった。
縦横斜め。片手で持った刀を方々に振り回し、鬼気迫る表情で信吾が迫る。自身の優勢が一気に覆される感覚を存分に味わわされ、ルイはどうしようもない恐怖を覚えた。
「ちょ、ちょ、何してんのあれ!意味わかんない怖い!」
『最近怖がってばっかだよね』
「うるさい!怖いものは怖いのよ!」
ここに至ってなおも冷静な大悟に叫び声を返しながら、ルイが引き金を引き続ける。無駄な足掻きだった。
嵐をかいくぐり、ついに信吾がルイの正面に立つ。
「うええ!?」
信吾の斬撃がAKの銃身を捉える。チーズを切り分けるかのように先端がスッパリと斜めに切り落とされ、そしてAKそれ自体がスライムと化して手元を離れ地面に流れ落ちる。
「もらう!」
「ひいい!」
そして肉迫した信吾が真上から振り下ろした一閃を、悲鳴交じりに後ろに下がって回避する。魔法少女となって身体能力が上がったからこそ出来た芸当であり、普通ならばそれで終わっていた。
そしてそれ以前に、信吾が本当に殺す気で向かってきていた事が、ルイにとっては一番の恐怖だった。
『だから、怖がり過ぎだって』
「一々うるさい!」
なおも冷静な大悟にルカが毒づく。その大悟の静かさは、ルカには不自然極まりない物であった。距離を離すように動き回りながらルカが大悟に言った。
「ていうか、どうしてそんなに落ち着いてるのよ?」
『いやだって、それほど怖くない相手だからさ』
「どうして?」
『相手は魔族じゃない。生身の人間なんだ。デカいのを一発ぶつければそれで勝ちなんだから』
「でも、その一発が難しいんじゃない」
『俺に考えがある』
「本当?」
「何をぶつくさと!」
ルイの言葉を遮るように信吾が突貫する。相も変わらず正面突破な動きだったが、それでもそのスピードと圧迫感は凄まじい物だった。
「縦一閃!受けてみろ!」
「う、うわああ!」
『ルカ、避けろ!避けたら――』
縦に走る剣撃。悲鳴を上げながらルイが横に転がってそれを躱す。そしてその動作の中で、大悟が打ち明けた作戦に耳を傾ける。
この時ルイは防戦一方の状況ではあったが、それでも致命的な一撃は未だに食らってはいなかった。それもまた魔法少女となった際の身体能力の向上に依る所が大きかったが、何度も攻撃しておきながら全て空振りに終わっていると言う今の状況に、信吾は苛立ちを隠せなかった。
「くそ、いい加減に斬られろよ!」
『――ていう感じにするんだ。いい?』
「おっけ、任せて」
「話を聞け!」
刀を両手で持ち信吾が吼える。だがそれまで大悟との作戦会議に没頭していたルイは、その叫びさえも意識の内に昇ってくることは無かった。
「ああ、ごめんごめん。聞いてなかった。もう一回言ってくれる?」
そして相手が怒っているのを良い事に、ルイが澄まし顔で挑発をする。実はこれは、かつてベリーが話を聞かない事に腹を立てた相手に対して行った挑発と全く同じ物だった。
「あら、ごめんなさい。あなたが何を言っていたのか、低俗すぎてまるで頭に入ってきませんでしたわ。よろしければもう一度、お聞かせ出来ないかしら?」
これはベリーがルカに悪口を言った相手に取った行動であったのだが、まさか自分が同じことをするとは。ルイは自分で言っておきながら、心の中で苦笑していた。
が、それをされた信吾は当然ながら怒り心頭であった。
「貴様……!」
「いいから、いいから。ほら、早く聞かせてよ。なんて言ったのかしら?」
「貴様ァァァァァ!」
破裂せんほどに額に血管を浮き上がらせ、そう絶叫しながら信吾が突撃する。だがルイはその場を動くことなく、じっとそれを待ち構えていた。
「一閃!死ねぇ!」
怒りをぶちまけるように言葉を吐き出し、憎悪のままに刀を振り下ろす。
白く濁りのない刃がルイの肩口を捉える。言いようのない圧迫感を肩から感じ、ルイが顔を歪ませる。
そしてその刃がスーツを裂き、肌に食い込み、鮮血を撒き散らし筋肉を切り裂きながら胴体に斜めに刀傷をつけていく。
筈だった。
「な――」
現実は違った。
信吾の放った刀は肩口に食い込んだまま、そこから微動だにしなかったのだった。
まるで肉体ではない分厚い何かに深々と食い込んだまま、抜けなくなったかのようだった。
「な、なんだこれは、どうしたって言うんだ」
「うふふふふ」
作戦が大当たりしたことに愉快そうに笑いながら、なおも刀を動かそうとする信吾の顔にレミントンの銃口を突き付ける。そして勝ち誇ったように、ルイが信吾に言った。
「服と体の間に鉄板を仕込んどいたのよ」
「な――いつの間に」
「ダイゴが数秒で作ってくれたの」
穏やかな口調で告げてから、一息に引き金を引く。
「バイバイ」
至近距離からの一撃。
全身から力が失われ、押し付けられるように頭部を地面に激突させる。
信吾の意識を刈るには十分すぎる一撃だった。




