第四十二話「ガナリ」
その教室は白いカーテンの引かれた窓から陽光が差し込み、規則正しく机が並べられた清潔な印象のある場所だった。そこの窓よりの席に座ってバッグから次の授業で使うノートを取り出しながら、キールは心底嫌そうな顔で呟いた。
「はあ。僕たちはどうしてこんな授業しなきゃいけないんだろう。正直不毛だよ……」
「あら、古代の歴史を知ることも、立派なことだとは思いますわよ?」
そう言いながら、暗い顔をしているキールの傍へとベリーが近づいてくる。彼女もまたキールと同じ科目のノートを小脇に抱えていた。
腫物を避けるように周囲の生徒が二人から距離を取る。どうでもいいことだった。
「過去を知り、その知識を今へと活かす。至極まっとうで重要なことではありませんか」
「それもそうだけどさ……でもやっぱり、古代語の勉強は好きじゃないんだよ」
「我慢なさい。耐え忍ぶこともまた、人生の上では大切な事ですわよ」
ベリーがそれを言うと重みが違った。しかしそのようなことは口に出さずに、キールが自信なさげに言った。
「耐え忍ぶって言ってもさあ、嫌な物は嫌なんだよ。僕は君と違って理系の人間なんだよ。文系科目は苦手なんだよ」
「ああもう、しっかりなさい。そんなことでは、この後の小テストも乗り切れませんわよ?」
「いいよ。もう死亡するってわかってるんだから」
「まったくあなたと言う人は……」
キールの意識を叩き起こすように彼の机に自分のノートを叩きつけ、ベリーが毅然とした口調で彼に言った。
「テスト前の最後の確認、行きますわよ」
「いや、だからいいって」
「行きますわよ?」
「……はい」
結局押し切られるような形になって、キールがベリーの命令に従う事になった。疲れた色を隠そうともしないキールを尻目に、ベリーが予め提示されていたテスト範囲の中から問題を自身の脳内から引っ張り出し、それをキールに向けて暗唱し始めた。
「まず一問目。『ガナリ』とはどう言う意味の言葉でしょうか」
「ええっと、ガナリは、ガナリ……なんだっけ?」
「はあ」
ベリーが呆れた様にため息を吐く。
「太陽。古代の言葉でガナリとは太陽と言う意味を持つのですわ」
「ああ、そうだった。ガナリは太陽だった。思い出したよ」
「……これは駄目かもしれませんわね」
「ああ、そうそう。ガナリって言ったら」
本気で呆れるベリーの横で、キールが話題を変えようと明るい口調になって彼女に言った。
「確か魔族が使っていた技術の中で、そんな感じの名前の奴って無かったっけ?」
「……ええ、確かにありましたわね。確か、使用した者の能力を爆発的に高めるという奴でしたっけ?」
「そうそう。あまりに効果が強すぎて、人間に使ったら一瞬で神経や筋肉が破裂するって言うあれだよ」
強薬ガナリ。
かつてレビーノで開発されていた、超高濃度高圧縮の魔力を口から取り入れることで使用者の能力を高め、鬼神の如き力を与える液状の霊薬。それは『太陽』の名を冠する通りの爆発力を秘めた代物であったが、それと同時に使用した人間の身体機能すらも一瞬で灰にしてしまう、文字通りの『太陽』であったのだ。
「そして魔族が使えば、体が潰れることは無くとも使用者の寿命をゴリゴリ削ってしまうとして、一度は開発及び研究を禁じられた禁断の技術。まさに禁忌ですわ」
そんなガナリの特徴と来歴を思い出しながら、ベリーが感慨深げに呟く。そしてその言葉を受けて、ベリーが首をかしげて言った。
「でも、そうやって開発が禁止された今になっても、魔族はそれを使っているって噂を聞くよね。もしそれが本当なら、どうして魔族はそんな物使おうとしてるんだろ?」
「それは決まっていますわ。手っ取り早く力を得られるからですわよ」
その疑問にベリーがそう断言する。
「魔族の大半は尖兵として戦場に送られる。そしてそこはいつ死んでもおかしくない場所。ならば自分から命を削って、最後まで戦い抜く……それが魔族の考えなのでしょうね、あくまで予測ですけれど。それに……」
「それに?」
「魔族が一人でも死んでくれた方が、人間としてはとても都合がいい。実際、開発を禁止した側にいるはずの人間がそれを裏で作って、魔族に横流ししているという噂も立っておりますわ」
「そんな話もあるの?」
「ええ。あるらしいですわね」
そう言ってから一つ咳払いをし、その目を光らせてベリーがキールに言った。
「さて、数年前の歴史考証はここまで。私たちは数百年前の時代に向かいますわよ」
「……もうやめようよ」
「何を腑抜けたことを。さあ、二問目行きますわよ?」
キールの災難は、この後授業開始のベルが鳴るまで続けられた。
「確か、そんな感じの奴があった気がします」
《ガナリ……こちらで言う所のドーピングと言った所か》
白い月が空に浮かび、黒い月が町を睥睨する漆黒の夜。月光に照らされ、ルイはいつものように町の中にあるビルの一つの屋上に佇んでいた。そして黒いサングラスにコート、耳に引っ掛けるタイプの小型のヘッドセットを付け、それを通じて自宅にいる隼と話をしていた。
内容はルイが以前出会った、異常なまでに強くなった魔族のことであった。
『あれは何か薬みたいなのを使ってるんじゃないか』
という大悟の言葉から、ルカが『ガナリ』という薬品がレビーノに存在することを思い出し、それを大悟に、そして隼に伝えているのであった。
《しかし、命を削る薬か。節操のないことだ》
「明らかにオーバーですよね。ある程度妥協した物で我慢すればいいのに」
《そうとも限らんぞ。どうしても勝ちたい奴がいる。負けられない戦いがある。そう言った時に少しでも勝率を上げたいのなら、どれだけリスクを背負ってでも強力な物を使おうと言うのも一つの真理だ》
「隼さんもそう言う事ってあったんですか?」
《ふざけるなよ。私がそんな危険な物を使う訳ないだろう?私だって命は惜しい、あくまで一例だ》
茶化すように隼が返し、すいませんとルイが苦笑する。そんな中で服となった大悟が風の流れが変わったことを質感の変化で感じ、それを思念波としてルカに告げる。
『ルカ』
「なに?」
『来たよ』
「わかった」
《奴か?》
「はい」
ルイの言葉の変化から、隼が『それ』に感づく。そしてそんな隼の言葉にうなずいたルイの背後で何かの着地音が響き、微小な震動がルイの足元に伝わる。
「よう。久しぶりだな」
あの時聞いた声が耳に届き、あの時感じた禍々しい気配を再び全身で感じる。
ガナリによって過剰なまでに体を強化させた魔族。
命を捨ててまで勝つことを求めた、力の求道者。
ゆっくりとその魔族の方へ体を向ける。その眼は鋭く光り、恐怖は微塵もなかった。
「決着をつけに来たぜ」
「奇遇ね。私もいい加減、あなたとは決着をつけておきたかったのよ。これ以上ストーカーされても困
るから」
「なかなか言うな」
魔族が唇を歪めて構えを取る。その手にかつて着けていた鉤爪は無かった。
その動きに合わせるように、ルイもまたアサルトライフルを生み出しそれを構える。まっすぐに敵を見据え、その脳天に照準を定める。
《私のオペレートを伴っての、初めての実戦だ。とはいえ、あまり当てにしてくれるなよ。最後に物を言うのは、お前自身の力なんだからな》
「はい」
隼の言葉にゆっくりとルイが頷く。やがて月に雲がかかり、二人の影を闇で埋め尽くしていく。
影が消え、全てが暗闇に染まる。
「行くぞ!」
それを引き金にして魔族がとびかかる。顔を強張らせ、ルイがそれを正面から待ち構える。
魔族の拳が空を裂き、ルイの頭上目がけて振り下ろされる。
爆弾が落ちたかのような衝撃が走り、土煙とコンクリートの破片が周囲に散らばる。
そして雲が月から離れその場を再び照らした時、煙の晴れたその場所には二人の姿は既になかった。
月下の町。その上で繰り広げられる闇の戦いが、今始まったのだった。




