第四十一話「再びの日常」
「いただきます」
三人がテーブルの前に座り、両手を合わせてそう告げる。挨拶も箸の持ち方もルカは若干ぎこちなかったが、それでも最初の頃に比べればずっとまともになっていた。
「やっぱりフォークとかの方が食べやすいなあ」
味噌汁の具であった油揚げを掴み損ねて、ルカがぼそりと愚痴をこぼす。それを見て大悟は、レビーノには箸が存在せず、こちらの世界と同じ形をしたスプーンと先が二又になったフォークのような物を使って食べるのだと、ルカから聞いていたことを思い出していた。
「ねえダイゴ、やっぱりあれ使ってもいいよね?」
やがて業を煮やしたのか、台所にあるフォークに目を向けながらルカが大悟に尋ねる。するとそんなルカを見て不思議そうに隼が言った。
「ん?ルカ、お前のいた所には箸は無かったのか?」
「はい。あのフォークとかスプーンとかしか無かったので、どうしてもお箸で食べるのは苦手で……」
「むう、そうか。しかし、このメニューをスプーンとフォークで食べると言うのも中々に違和感があるな」
「でも、こんな棒っきれ二本で物を食べようって言う考えも、ちょっと変だなと思いますよ?」
「そうか?日本ではこれが普通なんだがな。確かに慣れは必要だが、慣れてしまえばその分、フォークよりも精密で器用な動きが出来る。魚をむしるのだってずっと簡単に出来る」
「まあ、それは確かに。お箸じゃないと魚って食べにくいですよね。慣れるしかないのかなあ」
「そうなることになるが、焦るなよ。誰だって最初は下手糞なんだ。ゆっくり慣れて行け」
「はーい。精進しまーす」
そう言葉を交わしながら、ルカと隼は楽しげに食事を進めていく。そしてその会話の中で、隼は普段は険しい顔つきをしていたが話していれば普通に頬を緩ませることも出来ると言うことを知り、ルカは彼女とますます打ち解けていった。たったそれだけの事でも、お互いの距離を縮めるには十分な効果を発揮するのだ。
そんな暖かな雰囲気に包まれた光景を、大悟は食べ物に箸をつけることも無く、その外から呆然と見つめていた。
「どうした、大悟。手が止まってるぞ」
そんな大悟の様子を目聡く見つけた隼が彼に言った。不意にかけられたその言葉に、大悟が目に見えて狼狽する。
「え、いや、これはその、あの、えっと」
「どうしたのダイゴ?体の調子でも悪いの?」
「い、いや、そうじゃなくってさ。その……」
「その?」
「その……」
ルカが心配の色を顔にはっきりと表しながら、真剣な眼差しで大悟を見つめる。それに対して大悟は顔を俯かせ、喉まで出かかった言葉を押し殺すようにして口ごもっていた。それによって、ルカの憂いの色がますます濃くなっていく。
するとそれを見ていた隼が箸を置き、じっと大悟を見ながら静かに言った。
「両親の事、思い出したか?」
「――ッ」
大悟が目を大きく見開く。自らの急所をストレートに突かれ、大悟は息が詰まる思いを味わった。
「安藤正樹に安藤文江。二人がどうなったかは、ガットの方でも掴んでいる……まさか、私がその息子に会うとは思ってもいなかったがな」
「……」
「政府の決定だった。我々は何もできなかった。ただあの二人が連れて行かれるのを遠目で見るしかなかった……いや、もう言い訳はしない。すまなかった」
「……」
大悟はそのまま沈黙した。
隼は何も言わなかった。ルカも言葉を発しなかった。デリケートな問題ゆえ、大悟の方から心情を吐露するのを待っていたのだ。
やがて大悟が重い口を開く。
「こんな……こんなしっかりした朝ごはんとか、賑やかな感じとか、凄い久しぶりで……ちょっと、昔を思い出してしまって……」
声が震えていた。
「あ、で、でも、別に隼さんのことを怒ってるとかそう言うんじゃないです。ただちょっとびっくりしたって言うか……ルカや隼さんと会えて、それで自分がこんな賑やかな生活の中にいるのが、ちょっと信じられなくって」
「ダイゴ……」
「……食事を作ったのは余計なお世話だったか?」
「そんなことありません」
きっぱりとそう言って顔を上げた大悟の頬には、目元からうっすらと水気の筋が出来ていた。
「確かにちょっと驚いたけど、でも俺は、今の生活の方が、その……」
そこで一旦言葉を切り、顔を腕で拭ってから大悟が力強く言った。
「好きです。あったかくて、ずっと好きです」
「……そうか」
「だから、だからその、これからもご飯作ってくれると嬉しいな、とか思ったりするんですけど……」
「……ああ、いいぞ。私なんかで良ければな」
どこまで言っても私はお前の親にはなれない。この状況でそれを言葉にするのは余りに残酷だったので、隼はそれをそう言外に告げたつもりだった。果たしてそれが大悟に伝わっているのかはわからなかったが。
だが、当の大悟はそれを受けて大きく頷いた。隼は心を読むことは出来なかったが、彼女としては、憂いのないその晴れやかな表情を見れただけでも満足だった。
子供は笑っている方が良い。隼は顔色を変えないまま、後ろめたさと共に心の中でそう思った。
「ええっと、これで一件落着、かな?」
隼と大悟の話がひと段落ついたのを見計らって、ルカが二人に言った。それに対して一度隼と目を合わせてから、大悟がルカに返した。
「うん。もう大丈夫。こういう明るい空気には一生出会えないと思ってたから、その反動で一瞬こうなっただけだから」
「本当?無理とかしてないよね?」
「ルカ。大悟がああ言ってるんだ。それでいいだろう。心配するのもいいが、下手に追及して余計疲れさせては元も子もないだろう」
「うっ……それもそうですね。ごめんダイゴ」
「ううん、ルカもありがとね。心配してくれて」
そう言って大悟が爽やかに笑い、ルカもつられて笑顔になる。その光景をほんの少しだけ穏やかにした表情で見つめながら、隼が二人に言った。
「さあ、さっさと食べるぞ。早くしないと飯が冷めてしまう」
「おっと、そうだった」
「じゃあ改めて、いただきまーす!」
ルカがそう明るく宣言し、残りの二人も彼女に続く。
簡素でやや物足りなさもある食事だったが、それでも大悟は自分の中にある空っぽな何かが満たされていくような感覚を覚え、そして自分の涙腺を引き締めるのに必死だった。
ご飯はとても暖かった。
「さて、お前たち。この後は特にすることも無いんだろう?」
食事を終え食器を片づけてから、隼がリビングでくつろいでいた二人に言った。実際その通りだったので二人が頷くと、その反応を待っていたとばかりに隼が底意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「そうか。では二人とも、畳張りの部屋に私が持ってきた段ボールがあるから、そこからペンとノートを取ってきてこちらに来るように。わかったな?」
二人の顔が瞬時に凍りつく。恐る恐ると言った体で大悟が隼に尋ねた。
「隼さん、それって」
「年頃の少年少女がすべきことは三つ。運動。学業。遊びだ」
「え、マジ?マジですか?それ?」
そして凶悪な笑みを浮かべて隼が言った。
「あとはわかるな?」
二人に拒否権は無かった。




