第三十九話「誰が国を守るのかでうるさい人」
ルイがそこを出てから数分後、老人がその部屋でそれまで通り静かに座敷に座っていると、やがて入口の扉が左右に開かれそこから一人の人間がやって来た。
オールバックの黒髪に神経質そうな顔つきをした、茶色い軍服に身を包んだ男だった。
「頭領。狭山頭領はいるかね?」
「ああ、いるよ。そう叫ばんでくれ」
軍服の男がどこか苛立つように言い、件の老人――狭山が間延びした口調で返す。そして篝火の先、座敷で胡坐をかいている狭山の姿を見て、男が汚い物でも見るかのように眉根を寄せてその目を細めた。
「ふん。相変わらず暇そうにしているんだな。部下に全部任せてないで、たまには自分で仕事をしたらどうなんだ?」
「おいおい、出会い頭にそれかよ。それに部下が率先して働くのはお前のところだってそうじゃねえか」
「我々の方は上官にもするべき仕事があるのだ。下士官の指導や書類仕事がな。お前みたいにのんびり出来る時間など、我々には存在しないのだ」
「そんな悪態をつくためにここに来たって言うのか?違うだろ、深海よ。お互い時間の浪費を防ぐためにも、早く本題に入ろうじゃないか」
「ふん。いいだろう」
狭山に指摘されたことが不愉快であると言う事を露骨に顔に表しながら男――深海が鼻につくような声で言った。
「では単刀直入に言おう。狭山、お前の持っている兵力を全て譲ってもらいたい」
「……またその話か」
かつての教え子が顔を合わせる度に提示してくる要求を受けて狭山が顔をしかめ、蝶々と呼ばれていた傍らの女性が疲れた様にため息をつく。だがそんな二人の反応などお構いなしに、深海が前へ歩みながら話を続けた。
「以前から存在を確認されている未知の敵。従来の我々の武器では、奴らに対抗できない事は知っているだろう?」
「ああ、知っている。そのお蔭でお前たち自衛隊が前線での戦闘行為から完全にお払い箱になったこともな」
「そうだ。そして奴らとの戦闘は、お前の率いる秘密組織ガットが全面的に担当することになった。その間、我々自衛隊は後方支援やら損壊した建築物の復旧やらに全力を注ぐ羽目になったのだ」
「それでいいじゃないか。民間人を助けるのも自衛隊の務めだろうに、上官のお前がそんな消極的で――」
「そんなことは問題ではない!肝心なのは、お前たちが『国を守る』と言う我々の立場を、完全に奪ってしまったということだ!」
「救助も補修も立派な守護の役目ではありませんか。戦うだけが自衛隊の使命では」
「蝶は黙ってもらおうか!」
深海を窘めようとした蝶々に、当の彼が怒号をぶつけて黙らせる。そして額に血管を浮き上がらせながら、深海が狭山を指さして怒鳴り散らす。
「この国を真に守るのは我々なのだ!ここで使命を全うしなければ、我々はその自衛力の無さを世界から笑われる事になるのだぞ!」
「戦果は全て自衛隊が挙げた物として扱うと国と俺たちの間で約束された筈だ。少なくともお前たちの体面に傷がつくことは無い。それでもまだ不満だって言うのか?」
「当然だ。そのような他人から貰った戦果など、何の意味もない。我々が自らの手で勝利し、平和と自由を勝ち取る事にこそ意味があるのだ。我々の手でだ!」
これまで耳にタコが出来るくらい聞かされてきた深海の持論を前にして、狭山が苦い顔を浮かべる。初めて顔を合わせた時から、奴は何も変わっていなかったからだ。
深海は昔から自尊心と愛国心と正義感が強かった。だが、それが潔癖なまでに強すぎたのが欠点だった。
だからガットを追放された。敵味方問わず、自分の意に沿わない存在を切り刻む刃物など欠陥品でしかない。そして自分がガットを追われた理由を、深海は理解していなかった。
「その為にガットの戦力を借りたいと?」
「借りるのではない。お前たちを解体し、我々の戦力として組み込むのだ」
そこで言いたいことを一気に吐き出した事で若干頭の冷えた深海が一つ深呼吸をする。そして目を細め、糾弾するな鋭い語調で狭山に言った。
「さあ、決断してもらおうか。いい加減諦めて、我々の指揮下に入ってもらうぞ」
「断る」
「相変わらず強情な事だ。俺の意見が間違っているとでも?」
「何を言われようとも答えは変わらん。断る」
その言葉を言うのも最早飽きてきた。だが何度言おうとも、深海はこうして自らの要求を通そうとやってくるのだ。そしてその深海の行脚は、先ほどルイから聞いた『レビーノ』と言う世界からやってくる敵が現れる前から続いていた。
その目的と意義はわからんでもない。深海はガットを自衛隊に組み込むことで戦力を増強し、自衛能力を高めようとしているのだ。しかしガットは国の影そのもの。一個人でどうにかなる物ではないのだ。
「諦めろ。これはお前一人でどうにかなる事ではないのだ」
「いいや。俺は何度でもここに来るぞ。国を守るためには力が必要なんだ。そしてお前さえ首を縦に振ってくれれば、全て上手く行くんだ」
「そんな滅茶苦茶な要求に答えられるわけないだろう。以上。今日はもう帰れ。それとも、俺の配下に力づくで家まで運ばれたいか?」
「くっ……!」
背後から二つの殺気を感じ、深海が唇を噛んで悔しそうに押し黙る。しかしすぐに顔を上げて狭山を睨みながら言った。
「だが、必ず答えさせてみせる!俺の持つ考えが正しかったと、いつか必ずわからせてやる!」
そう言いながら深海が大股で扉へと向かっていく。その最中、狭山が前方隅の暗闇に視線を向け、黙って首を横に振る。闇の中にあった気配が一瞬で消えていく。
「懲りない人ですね」
深海が去り、完全に扉が閉められてから、蝶々が疲れた様に狭山に言った。
「あの性格、まるで変わっていませんね」
「ああ。それが奴の長所であり、短所なんだがな」
同じく疲れた様に肩を回しながら狭山が返す。
「本当、あの頃から何も変わっていないな」
あの頃――自分が一番正しいと信じて疑わず、プライドを傷つけられるのを何より恐れ、自らの要求を受け入れさせるためには相手の殺傷も辞さなかった深海の姿を思い浮かべ、狭山はため息をついた。
「縁を切ってなお面倒の種になるとはな……」
心に圧し掛かる心配事の重みが更に増す。
狭山もまた、くつろげるほど暇ではなかった。




