第三十話「強襲」
呆気ない。
『標的』の首筋に刀を押し当てながら、信吾は酷い失望感を覚えていた。
これが本部が興味を示し、鷹丸が接触を試みようとした程の存在だというのか?
呆気なさすぎる。
信吾は目の前で無様に倒れている女の無力さと、自分を軽視した癖にそんな自分に簡単に制される女を特別視した本部に強い怒りを覚えた。
こんな奴に頼らなくても、俺と鷹丸さえいればどうとでもなると言うのに――
「ねえ」
不意に俯せの姿勢のまま組み伏せられていた女が口を開く。だが信吾はこの下等な奴と受け答えをする気はさらさら無かった。
「ちょっと、聞こえてるんでしょ」
無視を決め込む信吾に、しつこく女が食い下がってくる。その無遠慮さと無礼さに、信吾は激しく憤りを感じた。
大体、信吾が聞きたかったのはこんな陳腐な言葉ではなかった。出番を奪ってごめんなさい。弱いくせに鷹丸の興味を一身に受けてしまってごめんなさい。信吾は平身低頭、誠実な謝罪の言葉を求めていたのだった。
理不尽である。だが今の信吾はそれを理不尽とは毛ほども思わず、寧ろこれは自分の立場を脅かした者が受けるべき相応の報いであると当然の事であるとさえ考えていた。
だから女のその言葉は、信吾の怒りの炎を燃えたたせるだけであった。
「ねえ、あなた一体なんなの?魔族じゃないなら」
「黙れ!」
そしてついに堪忍袋の緒が切れた信吾が、女の言葉を遮るように髪の毛を掴んでその顔を地面に叩きつける。
女が短い悲鳴を上げる。
穢れ一つ無い銀色の髪が宙を舞う。一丁前にめかし込みやがって。髪の毛一本見ているだけで嫌悪の情がふつふつとこみ上げてくる。
「お前、弱い奴の癖に、俺と対等に口が利けると思っているのかよ!」
「な、なによそれ――」
意味がわからず狼狽する女の髪を掴み、再度地面に叩きつける。接点から赤い飛沫が飛び散ったような気がしたが、信吾はまるで気にしなかった。
「お前のような奴が俺たちと共に戦うだって?俺が使い走りとしてやりたくもない仕事をして動き回っている間、お前みたいな奴が鷹丸や他の連中と共に大手を振って戦うって言うのか?お前のような弱虫が!」
「があ!」
二度地面に叩きつけられ、すっかり大人しくなった女の顔の真横に日本刀を突き刺す。気絶していたからか、女は微動だにしなかった。
「力のない奴にウロチョロされても迷惑なんだよ、目障りなんだよ!」
「……」
「黙ってないで何とか言えよ!」
信吾が血走った目で女の腹を蹴りつける。短い呻き声が上がり、それによって女が狸寝入りを決め込んでいたことが明らかになる。それが信吾の怒りの炎に更に油を注ぎ込んだ。
「俺を無視するんじゃない!」
「……だって喋ったらまた暴力振るう――」
「タメ口を叩くんじゃねえよ!」
信吾が再び女の腹を蹴り飛ばす。今度は女が躊躇うことなく悲痛な叫びを上げる。信吾はそんな金切声を聞いて、少しだけ心が軽くなった。
「ふん、泣き声はマトモな方だな。お前みたいな弱虫は、そうやってビービー泣いてればいいんだよ」
「げほっ、げほ……悪魔ね」
「なんだと?」
しかしここにきて、それまで一方的に嬲られていた女が、それでもなお芯の通った声でキッパリと言い放つ。面白くなかった。
「あなた、大した悪魔よ。こんなことして満足するなんて、魔族よりよっぽど酷いわ……あ、今のギャグじゃないから」
「な……」
「それに女の子を苛めて喜ぶなんて、器のちっちゃい奴ね。顔は見えないけど、台詞だけ聞いてても何だか可哀想に思えてくるわ」
あれだけ暴力を振るわれたというのに、怯むことなく女が気丈に言葉を放ち続ける。それまで自身の感じていた優越感をすべて否定するかのようなその言動に、信吾はその顔を苛立ちに歪めた。
「お前、今の状況がわかってないのか?」
「わかってたら何?ごめんなさいとか許してくださいとか言えばいいのかしら?聞きたいならいくらでも言ってやるわ」
そう言う女は相変わらず俯せのままで、その姿勢で信吾を詰問する姿はある意味滑稽であった。だが最初の奇襲はまだしも、その後一方的な暴力を加えておきながらその相手が折れることなく、逆に堂々と正論を突かれる信吾の方がずっと無様だった。
それをうっすら自覚している分、信吾の受ける屈辱も大だった。
「はいはいごめんなさいね。ハハッ」
そしてそのままのトーンで女の放った嘲笑交じりの謝罪の言葉――に見せかけた侮蔑の言葉が、信吾のなけなしの理性を粉々に吹き飛ばした。
怒りのままに日本刀を引き抜き高々と掲げ、首に狙いを定めて信吾が絶叫する。
「貴様ァ!」
「やめんか馬鹿者がッ!」
だがその信吾の威勢も、直後に轟いた声――何度も聞いてきた者の怒号で完全にかき消された。
その声が耳を通って脳髄に深々と突き刺さる。それまでマグマの如く燃え滾っていた頭が急速に冷え、体を硬直させたまま血の気の失せた顔で後ろを振り向く。
「た、鷹丸。これはちが」
俯せに叩きつけられた女。
血に濡れたアスファルト。
高々と掲げられた日本刀。
この状況でなおも言い逃れを図ろうとした信吾を、鷹丸は黙って殴り飛ばした。




