第06話 授業がチュートリアルに見える
6月。梅雨入りしたばかりの、じめじめした火曜日。
Javaの演習室に、カタカタとキーボードの音が響いていた。
今日の課題は、簡単な在庫管理システム。商品クラスを作って、一覧表示、登録、検索ができればいい。
俺は迷わず、手を動かした。
var items = new ArrayList<Item>();
コンパイル。
――エラー。
「……あ」
画面に表示された赤い文字を見て、思わず声が漏れた。
そうだ。varが使えるようになるのは、Java 10から。来年の3月だ。今の演習室に入っているのは、Java 8。
隣で颯太が、不思議そうに俺の画面を覗き込んだ。
「なんだそれ。var? JavaScriptと間違えてんの?」
「……ちょっと、寝ぼけてた」
慌てて型を書き直す。
10年分の癖というのは、恐ろしい。ラムダ式やStream APIは使えるが、それ以降の便利な書き方は全部封印しなきゃいけない。
しかも、困ったことがもう一つある。
AIがいない。
前の人生の最後の数年、俺はコードの半分以上をAIに書かせていた。エラーが出れば、ログを貼り付けて聞けば一発で原因がわかった。
今は、自分の頭と、検索エンジンと、英語のフォーラムだけが頼りだ。
……不便すぎる。
でも同時に、少しだけ懐かしかった。全部自分の手で組み立てていく感覚。20歳の頃の俺は、確かにこれが好きだったんだ。
◇
結局、課題は20分で終わった。
ついでに、ファイルに保存する機能と、入力チェック、単体テストもつけた。CSVの読み込みもできるようにした。
気づいたら、教室の後ろに佐伯先生が立っていた。
「……相沢。ちょっと、放課後に職員室に来い」
周りの学生がざわつく。
「湊、なにやらかしたんだよ」
「知らない」
本当に、心当たりがなかった。
◇
放課後の職員室。
佐伯先生は、SIer出身の40代半ばの講師だ。白髪まじりの髪を短く刈り込んで、いつも少しだけ疲れた顔をしている。
前の人生では、ほとんど話したことがなかった。
「座れ」
言われるままにパイプ椅子に座ると、先生は俺が提出した課題を、ノートパソコンに映した。
「単刀直入に聞く。これ、誰かに書いてもらったか?」
「自分で書きました」
「本当か? お前、1年の時の成績は真ん中くらいだったろう」
痛いところを突かれた。
前の人生の俺は、確かにそうだった。可もなく不可もない、目立たない学生。
「……春休みに、すごく勉強したんです。家で、いろいろ作ってみて」
先生は、俺の目をじっと見た。
それから、画面を指さす。
「この例外処理の書き方。入力チェックを分けて、ログを残して、ユーザーへのメッセージは別にしている。これは、現場で一度痛い目を見た人間の書き方だ」
心臓が、どくんと鳴った。
「学生は、普通こう書かない。正しく動けばいいと思っているからな。……まるで、何年も障害対応をしてきたみたいなコードだ」
鋭い。
さすが元SIer、というべきか。
「……そういう本を、読みました」
「ふん」
先生は小さく鼻を鳴らした。信じたのか、信じていないのか、わからない顔だった。
それから、机の引き出しから、一枚のチラシを取り出した。
『学生アプリコンテスト2017 テーマ:地域の課題をITで解決せよ』
「秋に、市と地元企業が共催するコンテストがある。うちの学校からも、毎年何チームか出している」
「……俺に、出ろってことですか?」
「出ろとは言わん。ただ、お前の今の実力なら、いいところまで行けるかもしれん」
先生は、少しだけ口の端を上げた。
「どうせ、春休みに何かあったんだろう。理由は聞かん。だが、持っている力は使え。使わない力は、ないのと同じだ」
その言葉が、妙に胸に刺さった。
◇
職員室を出ると、廊下で颯太と結衣が待っていた。
「湊! どうだった? 退学?」
「縁起でもないこと言うなよ」
「なんか、心配で……」
結衣が、少し不安そうな顔をしていた。わざわざデザイン科の授業の後に、こっちまで来てくれたらしい。
俺は、チラシを二人の前に差し出した。
「アプリコンテスト?」
「ああ。チームで出たい。颯太がプログラム、結衣がデザイン。俺が設計と、全体の取りまとめ」
二人が、顔を見合わせた。
「え、私も? デザイン科なのに?」
「だからだよ。アプリは、見た目で使ってもらえるかが決まる。結衣のデザインが要る」
前の人生で、俺は一人で何でもやろうとして、何も成し遂げられなかった。
今度は違う。颯太の技術と、結衣のセンス。この二人がいれば、きっと何かが作れる。
「テーマは? 地域の課題って、具体的に何すんの」
颯太の問いに、俺は少し考えてから答えた。
「商店街の、個人の飲食店。電話でしか予約や注文を受けられない店が、スマホから簡単に注文を受けられる仕組み」
「なんか地味じゃね?」
「地味でいいんだよ」
――3年後、それが「地味」じゃなくなることを、俺は知っている。
2020年の春。店で食事ができなくなった世界で、小さな店がテイクアウトとデリバリーに一斉に飛びつく。手数料の高い大手のサービスに頼るしかなくて、潰れていく店をいくつも見た。
その仕組みを、今から作っておく。
「……まあ、湊がそこまで言うならやるか。面白そうだし」
「私も、やってみたい。アプリのデザイン、一度ちゃんとやってみたかったんだ」
結衣が笑った。
前の人生では一度も見られなかった、三人で何かを始める瞬間だった。
◇
その帰り道。駅のホームで電車を待っていると、颯太が俺のスマホの通知を覗き込んだ。
『価格アラート:BTC/JPY 300,000円を上回りました』
「お、ビットコインじゃん。湊も結局買ったの? いくら?」
「……まあ、ちょっとだけ」
「見せろって」
抵抗する間もなく、画面を見られた。
保有:1.8917 BTC。評価額:約57万円。
颯太の目が、まん丸になった。
「は……? お前、50万以上突っ込んでんの!?」
「元手は28万だよ。上がっただけだ」
「上がっただけって、倍じゃん! マジかよ……!」
颯太は、しばらく自分のスマホと俺の画面を見比べていた。
そして、ぽつりと言った。
「……俺、3万じゃなくて、もっと入れるわ」
「おい、颯太――」
「バイト代、全部入れる。湊が倍にできたなら、俺だってできるだろ」
その目の輝きを、俺は知っていた。
前の人生の12月、233万円の画面を見せてきたときと、同じ目だ。
「颯太。買うなとは言わない。でも、あの取引所だけは――」
「わかってるって、心配性だなあ」
電車がホームに滑り込んでくる。颯太は笑いながら、先に乗り込んでいった。
俺は、自分が何をしてしまったのかを、ようやく理解した。
前の人生で、颯太が本気で仮想通貨に手を出したのは、秋になってからだった。
それが、今、早まった。
俺が見せてしまった、この画面のせいで。
颯太があの取引所に20万円を入金したのは、その翌日のことだった。
お読みいただき、ありがとうございます!
ここまでが、湊の「ロールバック」最初の一歩でした。
次回からは、毎日21時に1話ずつ更新していきます。
颯太が入金してしまった"あの取引所"、
そして勉強会で見かけた謎の男――。
湊の10年やり直し、まだまだ始まったばかりです。
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