第38話 2018年12月31日
2018年12月31日、月曜日。
大晦日の夜。
こたつの上には、今年も、母さんの年越しそばが並んでいた。
ただ、一年前とは、少しだけ違うところがあった。
そばの丼が、四つあった。
「……お邪魔してます」
こたつの一辺に、颯太が、居心地悪そうに正座していた。
「颯太くん、足崩していいのよ。自分の家だと思って」
「は、はい。いただきます」
颯太は、年末年始に実家に帰る予定だった。でも、ネクストリンクの内定を辞退した件で、兄と両親と大喧嘩になって、「年明けまで帰ってくるな」と言われたらしい。
それを聞いた母さんが、「だったら、うちで年越ししなさい」と言い出したのだった。
「颯太くん、お餅いる?」
「い、いります」
「葵、颯太くんにお茶」
「はーい」
葵が、慣れた手つきで湯飲みを差し出す。颯太が、ぺこぺこと頭を下げながら受け取った。
――一年前は、想像もしなかった光景だ。
◇
そばをすすりながら、テレビの紅白歌合戦をぼんやりと眺めていた。
この一年を、思い返す。
1月。あの取引所の事件。颯太の資産は、半分が守られて、半分が補償で戻ってきた。
同じ1月。葵が、シエルとしてデビューした。同時視聴者数、12人。
2月。母さんの人間ドックの結果。がんはなかった。ピロリ菌の除菌をして、母さんは見違えるほど元気になった。夜の清掃のバイトを辞めて、毎年の検査も約束した。
3月。確定申告と、開業届。
春からは、まちオーダーの営業。商店街の定例会。
夏。颯太とシステムを作り直した。結衣と、花火を見た。
8月。黒崎に会いに行った。
9月。DXレポート。柏木社長のオフィスの一角。
10月。颯太が、あの会社の内定を蹴った。
12月。PayPayのキャンペーン。源さんの店の配達。ビットコインの底値。葵の登録者1万人。
まちオーダーの利用店舗は、年末の時点で、15店舗になっていた。商店街の決済導入を手伝ったことがきっかけで、一気に増えた。
月の売上、45,000円。
まだ、颯太の給料の4分の1にも届かない。
でも、確実に、前に進んでいる。
◇
「――なあ、湊」
紅白の合間に、颯太が、ぽつりと言った。
「来年の4月から、俺、正式にまちオーダーの社員なんだよな」
「……個人事業主の、従業員だけどな」
「細けえよ」
颯太は、そばの汁を飲み干して、どんぶりを置いた。
「お前、前に言ってたよな。再来年の春までに、100店舗が使える状態にしたいって」
「ああ」
「あれ、本気?」
「本気だ」
颯太は、しばらく俺の顔を見ていた。
それから、にやりと笑った。
「じゃあ、来年は、そこに向けて全力だな」
「……ああ」
俺は、こたつの中で、拳を握った。
「それと、もう一つ決めた」
「何を」
「2020年の春までに、まちオーダーを会社にする」
颯太の箸が、止まった。
母さんと葵も、こっちを見た。
「柏木社長には、売上が年1,000万円見えるまで法人化を急ぐなって言われてる。でも、それまで待ってたら、たぶん、間に合わない」
「間に合わないって、何に」
「……いろんなことに」
会社になれば、銀行からお金を借りられる。国や自治体の支援制度も使える。大きな取引先とも、契約しやすくなる。
2020年の春。
世界が止まったとき、商店街の店を支えるには、個人事業主の看板じゃ、足りない。
「そのためには、来年中に、売上を今の10倍以上にする必要がある」
「10倍!?」
颯太が、素っ頓狂な声を上げた。
「お前、簡単に言うなよ……」
「簡単じゃないのは、わかってる」
俺は、颯太の目を見た。
「でも、颯太と、結衣がいれば、できると思ってる」
颯太は、しばらく黙っていた。
それから、頭をがしがしとかいて、大きく息を吐いた。
「……あーもう。お前と組んでから、毎年こんなんばっかだな」
「嫌か?」
「嫌なわけねえだろ」
颯太は、笑って、俺の肩を小突いた。
◇
午後11時半過ぎ。
スマホが震えた。結衣からの電話だった。
こたつを抜け出して、廊下に出る。
「……もしもし」
『湊? あけまして……じゃなかった、まだだった。今、大丈夫?』
「大丈夫。どうした」
『あのね。今年、最後に言っておきたいことがあって』
電話の向こうで、結衣が、小さく深呼吸する音が聞こえた。
『夏に言ってた、卒業後のこと。……ずっと考えてたの。インターンの会社に行くか、他に行くか、それとも』
「……うん」
『答え、決めた』
心臓が、どくんと鳴った。
『でも、今は言わない。卒業式の日に、ちゃんと言う。顔見て、言いたいから』
「……わかった」
『湊は、それまで、待っててくれる?』
「待つよ」
『……ふふ。よかった』
結衣の声が、少しだけ柔らかくなった。
『じゃあ、また来年ね。良いお年を』
「良いお年を」
電話が切れたあとも、俺はしばらく、廊下に立ったまま、スマホを握りしめていた。
――卒業式の日。
2019年の3月。
◇
日付が変わる、少し前。
部屋に戻って、ベッドに腰を下ろしたとき、スマホに一通のメールが届いた。
差出人を見て、背筋が冷たくなった。
――黒崎透。
件名は、なかった。
本文は、たった三行だった。
『少し早いけど、あけましておめでとう。
来年の今ごろは、マスクとアルコールを、多めに買っておくといい。
……まあ、君は買わないだろうけど』
画面を見つめたまま、俺は、動けなくなった。
――来年の今ごろ。
2019年の年末。そして、2020年の年明け。
知っている。
あいつも、知っている。
「2020年の春」が、何をもたらすのかを。
そして、あいつは、それを「商売」にするつもりだ。
窓の外で、どこかの寺の除夜の鐘が鳴り始めた。
一つ。二つ。
鐘の音を聞きながら、俺は、スマホの「人生ロールバック計画」を開いた。
一番上に、新しい一行を書き足した。
・2019年の目標:まちオーダーの売上を10倍に。2020年3月までに法人化。
――あの春までに、間に合わせる。
除夜の鐘が、静かに、2018年を終わらせていった。
(第2章 バブルの後始末 完)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これにて「第2章 バブルの後始末」完結です。
コインチェック事件、確定申告、そして母さんの検査結果。
未来を知っていても、思いどおりにはいかない。
それでも湊は、少しずつ「誰かの未来」を変え始めました。
颯太は仮想通貨から足を洗い、
葵は「シエル」として一歩を踏み出し、
まちオーダーは、商店街に小さな居場所を見つけました。
――次回から「第3章 令和と卒業」。
舞台は2019年。
新しい元号、卒業、そして会社の設立。
結衣が「卒業式に言う」と約束した答えは――。
そして最後に届いた、黒崎からの一通のメール。
湊が知っている「2020年の春」が、
少しずつ近づいてきます。
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深夜三時




