第30話 7000億円の会社
7月の初め。期末試験が終わった日の夕方。
学校の近くのファミレスで、俺と颯太は、ノートパソコンを二台並べて向かい合っていた。
テーブルの上には、ドリンクバーのグラスと、山盛りのポテト。
「なあ湊、先月のメルカリの上場、見た?」
颯太が、ポテトをつまみながら言った。
「見た」
「初値5,000円で、時価総額が一時7,000億円超えだってよ。7,000億だぞ? フリマアプリで」
颯太は、スマホでニュース記事を開いて、ため息をついた。
「創業して、5年ちょっとらしいぜ。5年で7,000億……。俺らと何が違うんだろうな」
「全部違う」
「即答かよ」
颯太が、ずっこけるように笑った。
――全部違う。
資金も、人も、規模も、目指している場所も。
でも、一つだけ同じものがある。
「最初は、誰かの小さな困りごとから始まったってことは、同じだと思う」
「……困りごと?」
「家にある、もう使わない物を、簡単に売りたい。その困りごとを、スマホで解決した。俺たちがやってるのも、同じだろ。電話注文が大変っていう、岡田さんの困りごとから始まった」
颯太は、しばらくポテトを持ったまま固まっていた。
それから、にやりと笑った。
「お前、たまにかっこいいこと言うよな」
「たまには余計だ」
◇
「で、今日の本題」
俺は、ノートパソコンの画面を颯太の方に向けた。
そこには、まちオーダーのシステム構成図が描かれていた。
「今の仕組みのままだと、そのうち限界が来る」
「限界?」
「今は、お店ごとに、別々のデータベースを作ってるだろ。まるや用、ひだまり用、麦用」
「ああ。最初にそう作ったからな」
「3店舗なら、それでいい。でも、10店舗、50店舗になったら? お店が増えるたびに、データベースを一つずつ作って、設定して、アップデートのたびに全部直す。……絶対に、どこかで事故る」
前の人生で、何度も見た光景だった。
最初に「とりあえず動く」形で作ったシステムが、利用者が増えるにつれて、継ぎ接ぎだらけになっていく。誰も全体像を把握できなくなって、最後は、深夜の障害対応で誰かが倒れる。
――俺みたいに。
「だから、今のうちに、作り直したい」
画面を切り替える。
「一つの仕組みで、たくさんのお店を管理できる形にする。データベースは一つ。お店ごとに、データを区切って管理する。サーバーも、アクセスが増えたら自動で増えるようにする」
颯太が、画面に顔を近づけた。
しばらく黙って構成図を見ていたかと思うと、ぽつりと言った。
「……これ、何店舗まで耐えられる想定?」
「最初は、100店舗。将来的には、1,000」
「せん」
颯太が、目を丸くした。
「商店街、三つしかねえぞ。この辺」
「この辺だけで終わらせるつもりはない」
俺は、真っ直ぐに颯太を見た。
「再来年の春までに、少なくとも100店舗が使える状態にしたい」
「再来年の春って……やけに具体的だな」
「……なんとなく、そのくらいが勝負だと思ってる」
颯太は、少しだけ目を細めた。
1月の夜、電話で言っていた言葉を、思い出しているのかもしれない。
『お前が何を知ってても、もう聞かねえ』
颯太は、何も聞かなかった。
代わりに、ノートパソコンを自分の方に引き寄せて、キーボードに指を置いた。
「わかった。作り直そう。……ただし、条件がある」
「条件?」
「設計は、二人でやる。お前一人で全部決めんな」
颯太は、構成図の一部を指さした。
「ここ、注文の通知、お店ごとにバラバラに送ってるけど、まとめて処理する仕組みにした方がよくね? 昼のピークに注文が集中したとき、通知が詰まる気がする」
――鋭い。
まさに、俺が後回しにしようとしていた部分だった。
「……そうだな。そこ、颯太に任せていいか」
「任せろ。夏休み、まるっと使う」
◇
それから二時間、俺たちは、ファミレスのテーブルでひたすら設計を詰めた。
データの持ち方。画面の構成。サーバーの配置。障害が起きたときの対応手順。
颯太は、驚くほど飲み込みが早かった。俺が前の人生で8年かけて覚えたことを、一度説明するだけで理解して、さらにその先の改善案を出してくる。
――やっぱり、こいつは本物だ。
前の人生で、颯太はこの才能を、お金を増やすことにしか使わなかった。
今は、違う。
「なあ、湊」
ドリンクバーのメロンソーダを三杯目に入れたところで、颯太が言った。
「さっきの話。メルカリと、何が違うかってやつ」
「ああ」
「一個だけ、同じにできることあるかもな」
颯太は、ノートパソコンの画面を見つめたまま、言った。
「最初に作ったやつらが、本気で信じてたかどうか。……俺、今、ちょっと本気になってきたわ」
俺は、何も言わずに、自分のグラスを颯太のグラスにこつんと当てた。
颯太が、照れくさそうに笑った。
◇
ファミレスを出たのは、夜の10時過ぎだった。
駅までの道を、二人で並んで歩く。
「そういや、結衣、来週からインターンだっけ」
「ああ。市内のWebデザインの会社で、二週間」
「結衣のことだから、向こうに気に入られて、そのまま就職とかしちゃうんじゃねえの」
颯太が、からかうように俺を見た。
「……かもな」
「いいのかよ、それで」
「結衣が決めることだ」
そう答えながら、胸の奥が、少しだけざわついた。
前の人生で、結衣が卒業後にどこに就職したのか、俺は知らない。
知ろうともしなかった。
――今度は、ちゃんと知りたい。
結衣が、何を見て、何を選ぶのか。
夏の夜風が、少しだけ湿った匂いを運んできた。
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