第27話 確定申告の地獄
3月12日、月曜日の朝。
地元の税務署の前には、開庁前から長い列ができていた。
「……マジかよ」
思わず声が漏れた。
確定申告の締め切りは、3月15日。毎年この時期の税務署が混むのは知っていた。でも、今年はそれだけじゃなかった。
列に並んでいる人たちの会話が、耳に入ってくる。
「仮想通貨の利益って、どうやって計算すんの……」
「去年の12月に売ったやつと、今年に入って買い直したやつ、どっちの年になるんだ?」
「取引履歴、何百件もあるんだけど……」
――仮想通貨だ。
去年の熱狂で、何十万人もの人が、初めて仮想通貨に手を出した。そして、利益を出した人には、税金の申告が必要になる。
国税庁は、去年の12月の初めに、仮想通貨の利益は「雑所得」として扱うという見解を出していた。給料と合算して、所得が多いほど税率が上がる仕組みだ。
でも、そんなこと、ほとんどの人は気にしていなかった。
◇
二時間並んで、ようやく相談窓口の順番が回ってきた。
俺は、事前に作っておいた書類一式を、窓口の職員に差し出した。
取引所から出力した、一年分の取引履歴。ビットコインとビットコインキャッシュの、売買ごとの損益をまとめた計算表。夏の三好工務店の報酬の明細。
職員の女性が、目を丸くした。
「……全部、ご自分でまとめられたんですか?」
「はい。間違いがないか、確認だけお願いできますか」
「ええ、もちろん。……すごく、わかりやすいです」
前の人生で、エクセルで帳票を作る仕事は、嫌というほどやってきた。こういうところで役に立つとは、思わなかった。
職員の人が電卓を叩いて、俺の計算と照らし合わせていく。
「仮想通貨の利益が、約427万円。それと、ホームページ制作の収入が15万円ですね。……はい、計算は合っています」
所得税と、復興特別所得税。
合計で、約38万円。
6月からは、これとは別に住民税の通知が届く。そっちも、40万円近くになるはずだ。来年度の国民健康保険料も、ぐんと上がる。
わかっていたことだ。年末に、全部計算して、150万円を別の口座に分けておいた。
「納付は、3月15日までにお願いしますね」
「はい。今日、このまま払っていきます」
窓口を離れようとした、その時。
◇
「――そんな、300万って! そんなお金、ないですよ!」
隣の窓口から、悲鳴みたいな声が聞こえた。
30代くらいの男性が、職員に詰め寄っていた。スーツ姿で、顔が真っ青だった。
「去年は確かに利益が出ましたけど! そのお金で、別の仮想通貨を買ったんです! それが、1月で半分以下になって……!」
「お客様、仮想通貨同士を交換した時点で、利益が確定したものとして扱われますので……」
「手元に現金なんてないんですよ! 全部、まだ仮想通貨のままで、それも値下がりしてて……!」
男性の声が、だんだん小さくなっていった。
最後は、窓口のカウンターに両手をついて、うなだれていた。
――知っている。
去年の年末、ビットコインで儲けた利益を、別の仮想通貨に乗り換えた人が大勢いた。乗り換えた瞬間に、税金がかかる利益は確定している。でも、手元には現金がない。
そして1月の事件と暴落で、乗り換えた先の仮想通貨は、軒並み値を下げた。
払うべき税金は残ったまま、払うためのお金は消えていた。
前の人生で、颯太が陥ったのも、きっとこれだった。
お金を失うだけじゃない。払えない税金が、後から追いかけてくる。
◇
税務署の外に出ると、3月の風が冷たかった。
近くの銀行の窓口で、納付書を出して所得税を納付した。
38万円が、口座から消えていく。
残高の数字が、また一段減った。
――住民税と保険料まで入れたら、利益の四分の一近くが消える。
前の人生で、会社員だった俺は、税金は給料から勝手に引かれるものだと思っていた。いくら払っているのか、ちゃんと見たこともなかった。
自分で稼いで、自分で計算して、自分で払う。
それは、思っていたよりずっと重くて、ずっと現実的なことだった。
ポケットのスマホが震えた。颯太からのLINEだ。
『補償、振り込まれた!! 88円×NEMの数で、ちゃんと!!』
思わず、笑みがこぼれた。
事件から一か月半。ようやく、颯太のお金が戻ってきた。
『よかったな』
『おう。あと、ビットコインも売った。全部。これで俺も足洗えたわ』
『偉い』
『でさ、来年の確定申告、俺も必要なんだよな? お前、計算の仕方教えてくれ』
――来年の、確定申告。
颯太が利益を確定させたのは、今年に入ってからだ。だから、申告は来年になる。
『教える。その代わり、利益の3割くらいは、絶対に手をつけずに取っておけ。来年、税金で持っていかれる』
『3割!? マジで!?』
『マジだ。税務署で、払えなくて泣いてる人見てきた』
しばらくして、颯太から返信が来た。
『……了解。別口座に分けとく』
スマホをポケットにしまって、空を見上げた。
税務署の前の列は、まだ途切れていなかった。
◇
その日の帰り道。
もう一つ、寄る場所があった。
税務署の、別の窓口。
2月に提出した開業届の控えを、念のためもう一度確認してもらうためだ。
職業欄には「ウェブサービス開発・制作」。
屋号の欄には、颯太と結衣と三人で話し合って決めた名前を書いた。
『まちオーダー』
まだ、会社じゃない。社員もいない。ただの、学生の個人事業主だ。
でも、税金を払って、帳簿をつけて、自分の名前で仕事をする。
前の人生で、一度もやらなかったことだ。
控えの紙をクリアファイルにしまいながら、俺は、少しだけ背筋を伸ばした。
――ここからが、本当のスタートだ。
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