第24話 補償
1月28日、日曜日。
事件から二日後の夜。
俺は、颯太のアパートの部屋にいた。
颯太は、大学生の兄と二人で、学校の近くのアパートを借りている。今夜、兄はバイトで留守だった。
六畳の部屋は、カップ麺の空き容器と、脱ぎっぱなしの服で散らかっていた。颯太は、ベッドの上で膝を抱えて、ずっとスマホの画面を見ている。
この二日間、ほとんど眠っていないらしい。
「……ニュース、また何か出てるか」
「まだ」
ネットには、憶測が飛び交っていた。取引所は潰れるんじゃないか。お金は一円も返ってこないんじゃないか。被害者で集団訴訟を起こすべきだ――。
俺は、知っていた。
今夜、取引所が補償の方針を発表する。NEMを持っていた人に、日本円で、自己資金から返金すると。
でも、それを颯太に言うわけにはいかなかった。
だから、ここにいた。せめて、その瞬間に、颯太を一人にしないように。
◇
午後11時過ぎ。
颯太のスマホが、通知音を鳴らした。
颯太が、跳ねるように画面を覗き込んだ。
「……補償、するって」
声が、震えていた。
「NEMを持ってた人全員に、日本円で返すって。1NEMあたり、88円ちょっと。……26万人分、全部、会社のお金で」
颯太が、画面を俺の方に向けた。
発表された補償の総額は、460億円を超えていた。
「88円……。事件の前、100円くらいはあったから、ちょっと減るけど……でも……」
颯太は、スマホを握りしめたまま、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。
「……返ってくる」
天井を見上げて、颯太は大きく、大きく息を吐いた。
「全部じゃないけど、返ってくる……」
それから、腕で目元を覆った。
肩が、小刻みに震えていた。
俺は何も言わずに、颯太の部屋の小さな冷蔵庫から、麦茶のペットボトルを取り出して、颯太の枕元に置いた。
◇
「いつ返ってくるかは、まだわかんないってさ」
しばらくして、颯太が、少し落ち着いた声で言った。
「それまで、お金は凍結されたまま。出金も止まってる」
「……そうか」
「でも、返ってくるってわかっただけで、全然違うわ」
颯太は、上半身を起こして、麦茶を一気に半分飲んだ。
それから、真面目な顔で、俺を見た。
「湊。俺、決めた」
「何を」
「仮想通貨、やめる。お金が返ってきたら、それで全部終わりにする」
――え。
「手元のウォレットに移したビットコインも、売る。売って、来年の学費にする」
颯太は、自嘲するように笑った。
「12月に、湊に『半分だけでも移せ』って言われて、移したやつ。今、1BTC=120万くらいだろ? 12月の一番高いときよりは下がったけど、それでも、俺が入れたお金の何倍にもなってる」
「……ああ」
「これ以上持ってたら、また欲が出る。また、どっかで『もっと上がる』って思っちまう。……俺、たぶん、そういう性格なんだよな」
前の人生の颯太は、この事件のあと、失ったお金を取り返そうとして、もっと危ない投資にのめり込んでいった。
今の颯太は、自分から、降りると言った。
「……いい判断だと思う」
「だろ?」
颯太は、にやりと笑った。少しだけ、いつもの颯太に戻っていた。
――ビットコインは、ここから一年かけて下がり続ける。年末には、30万円台まで。
今売れば、颯太は、ぎりぎりのところで逃げ切れる。
それも、言えないことの一つだった。
◇
「それとさ」
颯太は、麦茶のペットボトルを手の中で転がしながら、少し照れくさそうに言った。
「借りは、返す」
「借り?」
「12月にお前が言ってくれなかったら、ビットコインの分も全部、あそこにあった。200万近く、凍結されてた。……下手したら、返ってこなかったかもしれない」
颯太は、真っ直ぐに俺を見た。
「お前、年明けに開業届出すって言ってたよな。まちオーダーを本物にするって」
「ああ。来週、税務署に行くつもりだ」
「手伝わせてくれ」
息が、止まりかけた。
「タダでいい。今は。お前が稼げるようになるまで、俺がアプリ側は全部やる。サーバーの勉強もする。……それが、俺なりの借りの返し方」
「颯太、タダってわけには――」
「いいんだよ」
颯太は、笑った。
「コンテストのとき、まるやのおばちゃんに『ありがとう』って言われただろ。あれ、仮想通貨で200万増えたときより、ずっと嬉しかったんだよな」
颯太は、照れくさそうに頭をかいた。
「たぶん、俺が本当にやりたかったのは、ああいうことなんだと思う」
――前の人生で、颯太は、一度もそれに気づかなかった。
気づく前に、お金に飲み込まれてしまった。
「……颯太」
「ん?」
「ありがとう」
「おう。……って、なんでお前が礼言うんだよ。こっちが借り返す話してんのに」
颯太が、呆れたように笑った。
俺も、つられて笑った。
窓の外では、ようやく雨が上がっていた。
◇
帰りの夜道で、スマホを取り出して、「人生ロールバック計画」のメモを開いた。
・颯太:NEM被害(約60万円)→ 補償で8割強が戻る見込み
BTC分は無事。仮想通貨からの撤退を自分で決断(2018/01/28)
→ まちオーダーに参加表明
一行一行、書き込むたびに、胸の奥が少しずつ軽くなっていった。
全部は、救えなかった。
でも、颯太は、自分の足で立ち止まった。
それは、俺が未来の知識で教えたことじゃない。颯太が、自分で選んだことだ。
春に書いた「颯太を、仮想通貨の沼から引きずり出す」という一行の横に、俺は小さく書き足した。
――引きずり出したんじゃない。颯太が、自分で出てきた。
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