第21話 葵の機材
12月27日、水曜日。
年末の秋葉原は、人でごった返していた。
「……お兄ちゃん、本当にいいの?」
駅の電気街口を出たところで、葵が不安そうに俺のコートの袖を引いた。
「何回聞くんだよ。いいって言ってるだろ」
「だって、20万とか言ってたじゃん。そんな大金、私なんかに……」
「なんか、じゃない」
俺は、葵の頭を軽く小突いた。
「これは投資だ。お前の才能への」
◇
8月の終わりに、葵がSNSに初めてシエルのイラストを上げてから、四か月。
葵のアカウント「ソラ」のフォロワーは、800人を超えていた。
週に一、二枚のペースで、シエルの絵を上げ続けた結果だった。コメントをくれる常連さんも、何人かできた。
そして今月。キズナアイのチャンネル登録者が、100万人を突破したというニュースが流れた。
ネットでは「バーチャルYouTuber」という言葉が、急に飛び交い始めていた。キズナアイに続いて、個人で活動を始める人たちも少しずつ現れている。
――来年、この流れは爆発する。
そのことを、俺は知っていた。
「まずは、パソコンだな」
大通りに並ぶパソコンショップの一つに入る。
前の人生で、何年もパソコンをいじってきた。どのくらいの性能があれば、イラストを動かしながら配信ができるか、だいたいの見当はつく。
店員と相談しながら、グラフィックの性能が高めの、デスクトップパソコンを選んだ。
「次は、マイクとウェブカメラ」
「カメラ? 顔は出さないんじゃないの」
「出さない。でも、カメラで顔の動きを読み取って、それをシエルに反映させるんだ」
葵が、首をかしげた。
俺は、スマホで一本の動画を見せた。
画面の中で、2Dのイラストの女の子が、まばたきをして、首をかしげて、口を動かしている。
「……え。これ、絵が動いてる」
「顔の動きを読み取るソフトと、イラストを動かすための仕組みを組み合わせてる。まだ、やってる人は少ないけど」
葵は、画面に釘付けになっていた。
「シエルも、こうやって動かせるの?」
「動かせる。ただ、そのためには、シエルの絵を、パーツごとに分けて描き直す必要がある。目、口、髪、体。それぞれを別のレイヤーにして」
「……それ、めっちゃ大変そう」
「大変だよ。でも、葵ならできる」
葵は、しばらく動画を見つめていた。
それから、ぎゅっとスマホを握りしめた。
「……やる」
◇
マイク。ウェブカメラ。顔の動きを読み取るソフトのライセンス。それから、葵が今使っている古いペンタブの代わりに、画面に直接描ける液晶タブレット。
合計、19万8,000円。
最後の会計を済ませたとき、葵は、レジの前で固まっていた。
「……ほんとに、払っちゃった」
「払っちゃったな」
「どうしよう。これで私が何もできなかったら……」
「できなかったら、また絵を描けばいい。それだけだ」
両手いっぱいの紙袋を抱えて、店の外に出る。
冬の空は、もう薄暗くなり始めていた。
◇
帰りの電車の中。
膝の上に液晶タブレットの箱を抱えた葵が、窓の外を見ながら、ぽつりと言った。
「……お兄ちゃん。なんで、私にここまでしてくれるの」
――なんで、か。
言えない理由は、たくさんある。
前の人生で、葵が10年近く部屋から出てこなかったこと。母さんの葬式の日、葵が一言も喋らなかったこと。遺品整理で見つけた、段ボール3箱分のスケッチブックのこと。
その中に、見覚えのある銀髪の女の子が、何百枚も描かれていたこと。
「……葵の絵を、もっとたくさんの人に見てほしいから」
それは、嘘じゃなかった。
「俺は、絵は描けない。でも、葵が描いたものを、届けるための道具なら用意できる」
葵は、しばらく黙っていた。
電車が、トンネルに入る。窓ガラスに、葵の横顔が映った。
「……あのね」
トンネルを抜けたところで、葵が、小さな声で言った。
「3学期、ちゃんと学校行く」
――え。
「最近、ちょっと、行きたくないなって思ってた。クラスの子と、話すのしんどくて」
葵は、液晶タブレットの箱を、ぎゅっと抱きしめた。
「でも、なんか、大丈夫な気がしてきた。学校で何言われても、帰ったら、シエルがいるし。ネットに、私の絵、見てくれる人がいるし」
葵は、照れくさそうに、窓の方を向いた。
「……お兄ちゃんも、いるし」
声が、出なかった。
前の人生で、葵が学校に行かなくなったのは、高校3年の途中だった。それよりも前に、きっと、こういう「しんどい」がいくつも積み重なっていたんだ。
俺は、それに一つも気づかなかった。
「……そっか」
やっとのことで、それだけ言った。
「無理はするなよ。しんどかったら、休んでもいい」
「うん」
葵は、窓の外を見たまま、小さく頷いた。
◇
家に帰ると、葵はすぐに自分の部屋にこもった。
夜中、トイレに起きたとき、葵の部屋のドアの隙間から、まだ明かりが漏れていた。
そっと覗くと、葵は新しい液晶タブレットに向かって、シエルの目を、一つのパーツとして、丁寧に描き直していた。
机の横には、メモが貼ってあった。
『シエル デビュー目標:1月中!』
俺は、音を立てないようにドアから離れた。
――俺が用意したのは、道具だけだ。
ここから先は、葵自身の物語だ。
お読みいただき、ありがとうございます!
次回は明日21時に更新します。
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