第14話 颯太の含み益
11月の半ば。
コンテストが終わって、学校はいつもの空気に戻っていた。
――颯太を除いて。
「湊、見ろよこれ」
昼休みの学食。颯太が、ニヤニヤしながらスマホを俺の前に置いた。
取引所のアプリ。資産の合計欄に表示された数字。
152万3,840円。
「……増えたな」
「増えたどころじゃねえよ! 入れたの、合計40万だぞ? 4倍近いって!」
颯太は、6月に20万円を入れたあと、8月の分裂騒動のときにもう20万円を追加していた。夏休みのバイト代を、ほとんど全部。
11月に入って、ビットコインは一気に駆け上がっていた。1BTC=80万円を超え、まだ止まる気配がない。
テレビでは、仮想通貨取引所のCMが流れ始めていた。芸能人が笑顔で「ビットコインを始めよう」と呼びかける。電車の中でも、チャートを眺めているサラリーマンを見かけるようになった。
日本中が、熱に浮かされ始めていた。
「でさ、ビットコインだけじゃなくて、こっちも買ってんだよ」
颯太が、画面をスワイプする。
ビットコインの下に、いくつもの通貨の名前が並んでいた。その中の一つを見て、俺は息を呑んだ。
NEM。
「これ、めっちゃ上がるらしいんだよ。ネットで言ってる人多くてさ。今のうちに買っとけば、年明けには10倍もあるって」
――NEM。
来年の1月26日。あの取引所から、580億円分盗まれる通貨。
その、ど真ん中だ。
「颯太」
「ん?」
「その取引所から、資産を外に移せって、前に言ったよな」
「あー……言ってたな。でも、面倒くさくてさ。ウォレットとか、よくわかんねえし」
颯太は、気楽に笑ってスマホをポケットにしまった。
「大丈夫だって。こんなにCMやってる会社だぞ? 潰れるわけないじゃん」
潰れはしない。
でも、盗まれる。
その違いを、どう説明すればいいのか。
◇
「颯太。真面目な話をさせてくれ」
放課後。誰もいない空き教室で、俺は颯太と向かい合っていた。
「なんだよ、改まって」
「その取引所に、大金を置いておくのはやめろ。せめて、半分でいいから、別の取引所に移せ」
「またそれかよ」
颯太が、うんざりしたように頭をかいた。
「お前さ、なんでそこまであの取引所にこだわるわけ? 何か知ってんの?」
――知っている。
でも、言えない。
「来年の1月26日に、不正アクセスで盗まれる」なんて言ったら、どう思われるか。頭がおかしくなったか、そうでなければ、俺がその犯人の仲間だと疑われるか。
「……セキュリティの仕組みを、少し調べたんだ。あそこは、資産をネットにつながったまま管理してる。もし攻撃されたら、一気に抜かれる可能性がある」
嘘じゃない。実際、そういう管理の甘さが、事件の原因の一つだった。
でも、颯太は肩をすくめた。
「どこの取引所だって、似たようなもんだろ。それに、今移したら、手数料かかるし、その間に上がったら損じゃん」
「損してもいい。全部なくすよりはマシだ」
「全部なくすって、大げさだなあ」
颯太は、笑いながら立ち上がった。
それから、少しだけ真面目な顔になって、俺を見下ろした。
「なあ、湊。お前だって、全財産突っ込んでるだろ」
「……ああ」
「それで、俺には『やめとけ』って言うの、ちょっとずるくね?」
言葉に詰まった。
颯太の言うとおりだ。外から見れば、俺も颯太も、同じことをしている。熱狂に乗って、全財産を仮想通貨に賭けている二人の学生。
違うのは、俺だけが、出口を知っていることだ。
いつ上がり、いつ落ちるか。どこが危なくて、どこが安全か。
それを知らない颯太にとって、俺の忠告は、ただの心配性にしか聞こえない。
「俺さ、このまま行けば、年明けには一千万行くかもしんねえんだよ」
颯太の目が、また、あの光を帯びていた。
「そしたら、学費の心配もいらないし、親にも楽させてやれる。……お前だって、そういうの、あるだろ?」
――ある。
母さんの健診。学費。葵の未来。
俺がビットコインを買った理由と、颯太が今ここで笑っている理由は、きっとそんなに違わない。
「……颯太」
「ん?」
「年末までには、一回、全部売れ。それだけでいい。12月の、上がりきったところで」
「上がりきったところって、どこだよ。わかったら苦労しねえって」
颯太は笑って、教室のドアに手をかけた。
「心配してくれてんのはわかるよ。ありがとな。でも、俺の金だから、俺が決める」
ドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。
◇
その夜。
ノートパソコンの「人生ロールバック計画」を開く。
「颯太を、仮想通貨の沼から引きずり出す」
春に書いた、その一行を見つめる。
俺は、何をやっているんだろう。
颯太を守りたかったはずなのに、俺の含み益を見せたせいで、颯太は前の人生よりも早く、深く、沼に足を踏み入れてしまった。
未来を知っていても、人の心までは動かせない。
正しいことを知っているだけでは、誰も救えない。
前の人生で、10年かけて嫌というほど学んだはずのことを、俺はまた突きつけられていた。
計画の下に、一行を書き足す。
・颯太:NEMを保有(あの取引所)。説得失敗×3
→ 期限:2018/01/25
期限まで、あと2か月と少し。
スマホが震えた。颯太からのLINEだ。
『さっきは悪かった。言い過ぎた。コンテストの打ち上げ、今度三人で行こうぜ。俺のおごりで!』
画面を見つめたまま、俺はしばらく、何も返せなかった。
俺のおごり。
その金がどこから出てくるのか、颯太はわかっていない。
お読みいただき、ありがとうございます!
次回は明日21時に更新します。
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