第12話 結衣のポートフォリオ
10月の最初の月曜日。
佐伯先生が、職員室の前で一枚の紙をひらひらさせていた。
「相沢。コンテストの書類予選、通ったぞ」
「……本当ですか!」
「ああ。11月の本選に進める10チームのうちの一つだ。うちの学校からは、お前たちだけだな」
隣で、颯太が「っしゃあ!」と拳を突き上げた。結衣も、口元を両手で押さえて目を輝かせている。
「浮かれるのはまだ早い。本選では、実際に動くものを見せて、審査員の前でプレゼンだ」
佐伯先生は、紙を俺に手渡しながら、少しだけ声を落とした。
「……審査員には、地元のIT企業の社長も来る。いいものを見せれば、学生のうちに声がかかることもある。気合い入れろよ」
◇
その週の金曜日。
俺たちは、試作版のアプリを持って、商店街の「まるや」を訪れた。
店舗側の画面を入れたタブレットを、レジ横の黒電話の隣に置く。
「これが、お店の画面です。注文が来たら、ピンポーンって鳴って、ここに表示されます。確認したら、この『受け付けました』ボタンを押すだけです」
「……これだけ?」
「これだけです」
岡田さんは、恐る恐る大きな緑色のボタンを指でつついた。
結衣のデザインどおり、ボタンは画面の半分を占めるほど大きい。注文内容も、老眼でも読める大きな文字で表示される。
「あら、押しやすい。字も大きいわねえ」
「岡田さんのお店のメニュー表を参考にしました」
結衣が、少し照れくさそうに言った。
お客さん側は、三好工務店の三好さんに頼んで、まるやの近くにある取引先の会社の人たちに試してもらうことにした。夏に作ったホームページの縁で、二つ返事で引き受けてくれたのだ。
午前11時15分。
――ピンポーン。
厨房に、明るい通知音が響いた。
『三好工務店 から揚げ弁当×3、日替わり弁当×2 受け取り 12:00』
「来た!」
颯太が、思わず声を上げる。
岡田さんが、目を丸くして画面を見つめた。それから、そっとボタンを押した。
『受け付けました』
ピンポーン。ピンポーン。
その日、昼までに、アプリ経由の注文は5件。合計14個のお弁当。
電話は、一度も鳴らなかった。
「……すごいわねえ」
昼のピークが過ぎたあと、岡田さんは、厨房の丸椅子に座って、しみじみと言った。
「電話に出ないで済むだけで、こんなに楽なのね。聞き間違いもないし」
それから、俺たち三人の顔を順番に見て、にっこり笑った。
「ありがとう。あんたたち、すごいもの作ったわよ」
帰り道、颯太はずっと黙っていた。
駅のホームで、ようやく口を開く。
「……なあ。俺さ、プログラム書いてて、『ありがとう』って言われたの、初めてかも」
「そうか」
「なんか、いいな。これ」
颯太は、照れくさそうに鼻の頭をかいた。
前の人生の颯太は、自分の才能を、ほとんど誰のためにも使わなかった。最後は、お金を増やすことだけに取り憑かれて、全部失った。
でも、今の颯太は、誰かのために作る喜びを知った。
――それが、仮想通貨の沼から颯太を引き戻す、最初の一歩になればいい。
◇
本選までの一か月、俺たちは毎日のように学校に残った。
ある夜。
颯太がバイトで先に帰り、空き教室には、俺と結衣の二人だけが残っていた。
結衣は、本選のプレゼン資料のデザインを仕上げていた。俺は、サーバー側の不具合を潰していた。
キーボードの音と、ペンタブのこすれる音。窓の外では、秋の虫が鳴いている。
「……ねえ、湊」
結衣が、画面から目を離さずに言った。
「私さ、卒業したら、どうしようかなって思ってて」
「どうしようって?」
「Webデザインの会社、いくつか見てるんだけど。なんか、どこもピンと来なくて」
結衣は、ペンを止めて、窓の方を見た。
「今回、岡田さんに『ありがとう』って言われて、思ったんだ。私、きれいなものを作りたいんじゃなくて、誰かが使いやすいものを作りたいのかもって」
「……それ、UIデザイナーっていう仕事だよ」
「ゆーあい?」
「ユーザーインターフェース。アプリとかの、使う人が触る部分を設計する仕事。これから、絶対に必要とされる」
俺は、結衣の画面を見た。
岡田さんのために作った、大きなボタン。読みやすい文字。前の人生で、何人ものデザイナーと仕事をしたけれど、ここまで使う人のことを考えて作れる人は、そう多くなかった。
「結衣は、向いてると思う。今回のアプリ、結衣のデザインがなかったら、岡田さんは使ってくれなかった」
結衣が、ゆっくりと俺の方を向いた。
「……湊って、変わったよね」
「そうか?」
「うん。春くらいから、ずっと」
結衣は、少し考えるように首をかしげた。
「前の湊は、将来の話とか、全然しなかった。どうせなるようにしかならないって、いつも言ってたのに。最近は、なんか……ずっと先のことまで見てるみたい」
――ずっと先のことまで。
図星すぎて、言葉に詰まった。
「それに、私の話、ちゃんと聞いてくれるようになった」
結衣は、ふっと笑った。
「前は、何話しても『へー』って言うだけだったもん」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
『湊はさ、いつも私の話、聞いてないよね』
2020年の春、電話越しに聞いた、最後の言葉。
その言葉を、今の結衣はまだ言っていない。言わせないために、俺はここにいる。
「……結衣」
「なに?」
言ってしまいたかった。
ずっと前から好きだったこと。前の人生で、最後まで言えなかったこと。
でも、喉の奥で、言葉が止まった。
今の俺は、まだ何者でもない。ビットコインの含み益があるだけの、20歳の学生だ。2020年の春、世界が止まったとき、結衣を支えられるだけの何かを、まだ何も持っていない。
今度こそ、ちゃんと守れる自分になってから。
「……本選、絶対いいとこまで行こうな」
「なにそれ。今、すごい真剣な顔してたのに」
結衣は、おかしそうに笑った。
でも、その頬が、ほんの少しだけ赤くなっていたのを、俺は見逃さなかった。
お読みいただき、ありがとうございます!
次回は明日21時に更新します。
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