第六話 演劇部
カメラマンが決まると、映画は急に現実のものになった。
翌日の昼休み、黒澤瞬、小津仁晃、北野ライカの三人は、校舎裏のベンチに集まっていた。
ベンチの上には、仁晃のクリップボードが置かれている。そこには、何度も書き直された役割表があった。
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監督:黒澤瞬
脚本:小津仁晃
カメラ:北野ライカ
録音:小津仁晃
主演男優:未定
主演女優:未定
```
瞬はその下半分をにらんでいた。
「未定が目立つ」
「主演が二人ともいないからね」
仁晃が冷静に言った。
「映画って、役者がいないと撮れないんだな」
「今さら?」
「今、痛感してる」
ライカは購買で買った紙パックのいちごオレを飲みながら、脚本をめくっていた。
「少女役は、歌える人がいいよね」
「うん。歌が下手だと成立しないって、北野が言った」
「言った」
「男の方は?」
瞬が聞くと、仁晃は少し考えた。
「芝居ができる人がいい。台詞は多くないけど、見ている時間が長いから」
「見ている時間?」
「青年は基本、少女の歌を聞いている。だから、何もしていないようで、ちゃんと感情が動いて見えないといけない」
「難しいな」
「だから役者がいる」
仁晃の言葉に、瞬は少しだけ肩を落とした。
昨日、非常階段で撮ったテスト映像は、確かに悪くなかった。
けれど、あれはあくまで偶然だった。
映画全体を自分が演じきれるかと言われると、全然自信がない。
「まずは演劇部だね」
ライカが言った。
「だよな」
「芝居できる人を探すなら、そこが一番早い」
「問題は、協力してくれるかどうか」
仁晃が言った。
その問題は、三人ともわかっていた。
今、演劇部は大会前だった。
放課後。
三人は演劇部の活動場所である小講堂へ向かった。
小講堂は体育館の裏手にある古い建物で、文化祭の発表や学年集会にも使われる。扉に近づくと、中から大きな声が聞こえてきた。
「そこで止まらない! 感情が切れてる!」
「すみません!」
「もう一回、上手から!」
瞬は思わず足を止めた。
「……怖い」
「本気の部活だ」
仁晃が小さく言った。
ライカは扉の隙間から中を覗いている。
「照明、ちゃんとしてる。すごい」
「見るところそこなんだ」
「そこ大事」
瞬は深呼吸して、扉をノックした。
中の声が止まる。
「はい」
返事があった。
扉を開けると、小講堂の中には十人ほどの部員がいた。舞台の上には、椅子と机。床にはビニールテープで立ち位置が貼られている。客席側には、台本を持った女子生徒が立っていた。
髪を後ろでひとつにまとめ、眼鏡をかけた、きりっとした雰囲気の三年生だった。
「何か用?」
その声だけで、瞬はこの人が部長だと悟った。
「黒澤瞬です。三年です」
「知ってる。で?」
圧が強い。
瞬は一瞬ひるんだが、ここで引いたら何も始まらない。
「自主制作映画を撮ろうと思っていて、出演してくれる人を探しています」
小講堂の空気が、少し変わった。
舞台上の部員たちがこちらを見る。
誰かが小さく「映画?」とつぶやいた。
部長らしき女子生徒は、腕を組んだ。
「今?」
「はい」
「うちは大会前なんだけど」
「それは、知っています」
「知ってて来たの?」
「はい」
「すごい度胸だね」
褒めてはいない。
瞬にも、それはわかった。
仁晃が横から一歩前に出た。
「すみません。無理に今すぐ時間を取ってほしいという話ではなく、もし大会後に少しでも協力できる方がいればと思って」
「大会後は文化祭準備がある」
「そうですよね」
仁晃は素直に頷いた。
部長は三人を順番に見た。
「脚本は?」
「あります」
仁晃がクリップで留めた脚本を差し出した。
部長は受け取らなかった。
「何分?」
「十分程度の短編を予定しています」
「稽古期間は?」
「まだ未定です」
「本番は?」
「文化祭で上映したいです」
「撮影日程は?」
「これから調整します」
「ロケ場所の許可は?」
「これから先生に相談します」
質問が飛んでくるたび、瞬の背中に汗がにじんだ。
部長は小さく息を吐いた。
「つまり、何も決まってないんだ」
「全部ではないです」
瞬は思わず言った。
部長の視線が瞬に戻る。
「監督は君?」
「はい」
「じゃあ聞くけど、うちの部員が出るとして、君はその子の時間に責任を持てる?」
瞬は言葉に詰まった。
「責任……」
「大会前の一時間は重い。文化祭前の一時間も重い。役者の一時間は、ただの空き時間じゃない」
その言葉は、きつかった。
けれど、正しかった。
瞬は何も言えなかった。
映画を撮りたい。
その気持ちは本物だ。
でも、それだけで誰かの時間をもらえると思っていたのなら、甘かったのかもしれない。
ライカが静かに言った。
「すみません。出直します」
瞬はライカを見た。
ライカは首を横に振るでもなく、ただ小さく目で合図した。
ここで食い下がる場面ではない。
仁晃も脚本を下げた。
「お邪魔しました」
三人が頭を下げようとした時、舞台の上から声がした。
「あの、脚本だけなら読んでみたいです」
言ったのは、一年生らしき男子部員だった。
その瞬間、部長の視線が鋭く飛んだ。
「今、余裕ある?」
「……ないです」
「だよね」
男子部員は小さくなった。
部長は三人に向き直った。
「映画を撮ること自体は、悪いと思わない。むしろ面白そうだとは思う。でも、うちは今それどころじゃない」
「はい」
「本当に撮るなら、まず企画書を作って。撮影日、拘束時間、必要な役、台詞量、完成予定日。そこまで見えないと、誰も出せない」
「わかりました」
瞬は頭を下げた。
「今日は、すみませんでした」
部長は少しだけ表情を緩めた。
「完成したら見せて」
瞬は顔を上げた。
「え?」
「出られないけど、見たいとは思うから」
それだけ言うと、部長は舞台へ戻った。
「続き、頭から!」
すぐに稽古の声が小講堂に響き始めた。
三人は静かに扉を閉めた。
廊下に出た瞬は、しばらく何も言えなかった。
「……怒られたな」
「怒られたというより、現実を教えてもらった」
仁晃が言った。
「痛い」
「でも、必要だったと思う」
ライカはカメラバッグの紐を直しながら言った。
「あの部長さん、怖いけどちゃんとしてた。役者を大事にしてる」
「うん」
瞬は小講堂の扉を振り返った。
中から、また大きな声が聞こえる。
そこには、瞬たちとは違う時間が流れていた。
大会に向けて積み重ねてきた時間。
簡単に借りていいものではなかった。
「企画書、作ろう」
瞬は言った。
仁晃が少し驚いた顔をする。
「諦めるんじゃないの?」
「諦めない。でも、ちゃんと頼めるようにする」
ライカが小さく頷いた。
「それがいい」
「主演はどうする?」
仁晃が聞いた。
「演劇部は厳しい。少なくとも今は」
「他を探すしかないね」
ライカは窓の外を見た。
夕方の光が廊下に差し込んでいる。
「歌える女の子、どこかにいないかな」
瞬は答えられなかった。
その時、どこからか、かすかな歌声が聞こえた気がした。
ほんの一瞬だった。
風に紛れるような、小さな声。
瞬は顔を上げた。
「今、何か聞こえなかった?」
「何が?」
仁晃が聞く。
「歌」
ライカも耳を澄ませた。
けれど、廊下には演劇部の声と、遠くの吹奏楽の音しか聞こえない。
「気のせいじゃない?」
ライカが言った。
「かな」
瞬はもう一度、廊下の奥を見た。
歌声はもう聞こえなかった。
けれど、胸のどこかに引っかかった。
屋上で歌う少女。
まだ脚本の中にしかいないはずの少女が、ほんの少しだけ現実のどこかに近づいたような気がした。
その夜、三人のグループチャットが作られた。
名前は、仁晃が勝手に決めた。
「屋上の歌 制作部」
瞬はすぐに送った。
「企画書つくる」
仁晃から返事が来る。
「項目を整理する」
ライカからも、少し遅れて返事が来た。
「必要カットも考える」
瞬はベッドの上で、その文字を見つめた。
今日は失敗した。
演劇部から役者は借りられなかった。
自分たちの準備不足も突きつけられた。
でも、不思議と昨日より映画は遠くなっていなかった。
むしろ、少しだけ輪郭が濃くなった気がした。
映画は、誰かの時間を借りて作るものだ。
それを知った日だった。
そして、瞬はまだ知らない。
ほんの一瞬だけ聞こえた歌声の主が、彼らの映画を大きく変えることになるのを。
【キャラクター紹介】
演劇部部長
高校三年生。演劇部の部長。
ショートカットで、どこか宝塚の男役を思わせる凛とした雰囲気の女子生徒。立っているだけで舞台の上にいるような存在感があり、稽古中は部員たちに厳しく指示を飛ばしている。
一見すると怖い先輩だが、演劇にも部員にも真剣だからこそ厳しい人物。




