↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/16

第二話 脚本づくり

 翌朝、黒澤瞬はいつもより早く目を覚ました。


 目覚ましが鳴る前だった。


 カーテンの隙間から差し込む光が、部屋の床に細い線を作っている。瞬はしばらく天井を見つめていた。昨日、祖父の家から持ち帰った黒いカメラバッグは、机の下に置いてある。


 瞬は布団から起き上がり、バッグを開けた。


 ミニDVカメラは、昨夜と同じようにそこにあった。古くて、少し傷があり、今にも昔の時間を吐き出しそうな顔をしている。


 撮ってみたい。


 昨日は、たしかにそう思った。


 けれど、朝になってみると、次の問題が現実として目の前にあった。


「……で、何を?」


 瞬はカメラを前にしてつぶやいた。


 映画を撮る。


 言葉にすると簡単だった。


 けれど、何を撮れば映画になるのか、誰に頼めばいいのか、そもそも映画とは何人で作るものなのか。何もわからない。


 スマホで検索してみた。


 自主制作映画 作り方。


 検索結果はたくさん出てきた。脚本、絵コンテ、ロケハン、キャスティング、撮影、録音、編集、MA、カラーグレーディング。


 知らない言葉が多すぎた。


 瞬は三分で画面を閉じた。


 これは一人で考えるものではない。


 そう判断するまでに、たいした時間はかからなかった。


 学校へ向かう途中、瞬は幼なじみの小津仁晃を捕まえた。


 校門へ続く坂道の途中、仁晃は文庫本を片手に歩いていた。薄い色の髪が朝の光を受けて、少しだけ透けて見える。背は瞬より頭ひとつ分低く、線も細い。遠目には女子に間違われることもある顔立ちだったが、本人はそれを気にしているのかいないのか、いつも淡々としていた。


「ニコ!」


 瞬が声をかけると、仁晃は本から顔を上げた。


「朝から声が大きい」


「映画を撮りたい」


「おはようの次がそれ?」


「映画を撮りたい」


「二回言えば説明になると思ってる?」


 仁晃は本にしおりを挟み、閉じた。


 瞬は肩で息をしながら、昨日のことを一気に話した。祖父の家で見つけたミニDVカメラ。昔の自主映画。銀色のヒーロー。祖父の言葉。


 仁晃は黙って聞いていた。


 ふざけて笑うことも、茶化すこともしなかった。そこが、瞬にとってはありがたかった。


「それで?」


「それで、俺も撮りたい」


「何を?」


 あっさりと聞かれて、瞬は口を開けたまま止まった。


「……映画を」


「だから、どんな映画を?」


「えっと」


 坂道の脇を、自転車通学の生徒が何人か追い越していく。女子の笑い声が遠ざかっていった。


 瞬は眉間に皺を寄せた。


「なんか、いい感じのやつ」


「終わった」


「終わってない」


「今のでだいぶ終わってる」


 仁晃はため息をついたが、目は少しだけ面白がっているようだった。


「映画を撮るなら、最初に決めることがいくつかある」


「おお」


「まず、何を撮りたいのか。次に、どれくらいの長さにするのか。誰に見せるのか。いつまでに完成させるのか。使える場所、使える時間、出られる人、使える機材。それから脚本」


「待って」


「待たない」


「多い」


「映画は多いんだよ」


 仁晃は歩きながら、指を折っていった。


「脚本がないと撮れない。役者がいないと芝居ができない。カメラがあっても音が録れないと台詞が聞こえない。場所があっても許可がないと怒られる。撮った映像は編集しないと見られない。音楽を勝手に使うと問題になる。上映するなら締め切りもいる」


「……俺、カメラを持ったら撮れると思ってた」


「写真なら撮れる。映画は作る」


 その言葉に、瞬は少しだけ黙った。


 作る。


 昨日見た祖父の映画も、ただ撮っただけではなかったのだろう。あの段ボールの装甲も、アルミホイルの剣も、変な台詞も、きっと誰かが考えて、誰かが作って、誰かが笑いながら直したものだった。


「でも、無理って話じゃないよ」


 仁晃が言った。


 瞬は顔を上げた。


「やることが多いだけ。順番にやればいい。最初は短くていい。五分とか、十分とか」


「五分で映画になるのか?」


「なる。むしろ最初から長編を撮ろうとする方が危ない。完成しない」


 瞬は祖父の言葉を思い出した。


 下手でもいいから、最後まで撮れ。


「完成させるのが大事って、じいちゃんも言ってた」


「いいこと言うね」


「だろ」


「瞬より信用できる」


「おい」


 仁晃は小さく笑った。


 教室に着いてからも、瞬の頭の中は映画のことでいっぱいだった。


 数学の授業中、ノートの端に「映画」と書いた。その下に「脚本」「役者」「カメラ」「音」「編集」と書いてみる。書いた瞬間、全部が自分に向かって押し寄せてくるようで、瞬はシャーペンを止めた。


 昼休み。


 瞬と仁晃は、校舎裏の自販機の横にあるベンチに座っていた。購買で買った焼きそばパンをかじりながら、瞬は持ってきたカメラをバッグから出した。


「本当に持ってきたの」


「見せたかった」


「重そう」


「重い」


 仁晃はカメラを受け取り、慎重に眺めた。


「ミニDVか。今使うなら逆に味は出るかもね」


「味?」


「古い映像の質感。ノイズとか、色のにじみとか。狙って出すなら面白い」


「なるほど」


 瞬はよくわかっていなかったが、頷いた。


「で、瞬」


「うん」


「何を撮りたいの?」


 朝と同じ問いだった。


 けれど、今度は逃げられない気がした。


 瞬は焼きそばパンを袋に戻し、空を見上げた。校舎の向こう側に、屋上のフェンスが見える。普段は立ち入り禁止で、誰かがいるのを見たことはない。


 その時だった。


 ふっと、頭の中に映像が浮かんだ。


 青い空。


 校舎の屋上。


 フェンス越しに風が吹いている。


 そこに、一人の少女が立っている。


 少女は歌っている。


 誰に聞かせるでもなく、ただ空に向かって歌っている。


 少し離れた場所に、青年がいる。


 声をかけることもできず、ただ見つめている。


 その横顔だけが、妙にはっきりしていた。


「……屋上」


 瞬はつぶやいた。


「屋上?」


「屋上で、女の子が歌ってる」


 仁晃は黙って瞬を見た。


「それを、男が見てる。声をかけたいんだけど、かけられない。たぶん、毎日見てる。聞いてる。でも言えない」


「何を?」


「わかんない」


「そこ大事だよ」


「わかってる」


 瞬は頭をかいた。


「でも、絵は浮かんだんだよ。屋上で歌う少女と、それを見つめる青年」


 口に出した瞬間、それは自分の中で少しだけ輪郭を持った。


 恥ずかしいような、でも手放したくないような感覚だった。


 仁晃はしばらく考え込んでいた。


「悪くないと思う」


「本当か?」


「うん。派手な話じゃないけど、短編には向いてる。場所も学校中心で済むし、役者も少なくできる。問題は屋上が使えるかどうかだけど」


「そこはなんとかする」


「なんとかで済まないこともあるけどね」


 仁晃はバッグからノートを取り出した。


 表紙の角が少し丸まった、使い込まれたノートだった。瞬はそれを何度か見たことがある。仁晃はよく何かを書いているが、中身は見せてくれない。


「まず、ログライン」


「ろぐ?」


「一行で話を説明するやつ。例えば、“屋上で歌う少女に声をかけられない青年が、文化祭の日に初めて想いを伝える話”とか」


「おお、映画っぽい」


「まだ適当だけど」


 仁晃はノートにさらさらと書いていく。


「次に、登場人物。青年。少女。必要なら友人とか先生。でも最初は少ない方がいい」


「青年は俺がやる」


「え?」


「男優が見つからなかったら困るし」


「もう主演する気なの?」


「監督もやる」


「無謀」


「言い方」


「監督兼主演は大変だよ。自分の芝居を見られないから」


「そうなのか」


「そう」


 仁晃は呆れたように言ったが、完全に止める感じではなかった。


「まあ、まだ決めなくていい。脚本を書いてから考えよう」


「脚本って、どう書くんだ?」


「柱、ト書き、台詞」


「柱?」


「場所と時間。例えば、屋上、夕方。ト書きは動きや状況。台詞は台詞」


 仁晃はノートの端に、簡単な例を書いた。


```

○屋上・夕方


フェンス越しに夕日が差している。

少女が一人、歌っている。

青年は扉の影から、その姿を見つめている。


青年「……また、歌ってる」

```


 瞬はそれを見て、少し胸が鳴った。


「これだけで、もう映画っぽい」


「映画っぽく見える形式だからね」


「俺にも書けるかな」


「書いてみれば」


 仁晃はシャーペンを瞬に渡した。


「今?」


「今」


「急だな」


「撮りたいんでしょ」


 瞬はノートを受け取った。


 白いページが目の前に広がる。


 そこに何かを書けば、映画が始まる。


 そう思った瞬間、手が止まった。


 頭の中には、たしかに映像があった。屋上で歌う少女。見つめる青年。風。フェンス。夕焼け。


 けれど、それを文字にしようとすると、急に全部が逃げていく。


 少女はなぜ歌っているのか。


 青年はなぜ声をかけられないのか。


 二人は知り合いなのか。


 ラストはどうなるのか。


 そもそも、何が面白いのか。


 瞬はシャーペンを握ったまま、数分黙っていた。


「……書けない」


「うん」


「うんって」


「最初はそうだよ」


「ニコなら書けるのか?」


 瞬が聞くと、仁晃は一瞬だけ目を伏せた。


「僕も、すぐには無理」


「でも詳しいじゃん」


「読むのが好きだから」


「書いたことは?」


 仁晃の手が、ほんの少し止まった。


 その変化に、瞬は気づいた。


「あるの?」


「……少し」


「小説?」


「まあ」


「見せて」


「嫌だ」


 即答だった。


「なんで」


「嫌だから」


「賞とか出したことある?」


「ない」


「もったいない」


「読んでもないのにもったいないって言わない」


 仁晃は少しだけ顔を背けた。


 耳が赤くなっているように見えた。


 瞬はその横顔を見て、なぜか笑いそうになった。幼なじみなのに、知らないことがまだある。仁晃が小説を書いていたことも、それを誰にも見せていないことも。


「じゃあ、俺が書く」


 瞬はもう一度ノートに向かった。


 書いた。


```

○屋上・夕方


女の子が歌っている。

男が見る。


男「うまいな」

女「え?」

```


 そこで止まった。


 仁晃が横から覗き込む。


「どう?」


「早い」


「才能?」


「終わるのが早い」


「厳しい」


「でも、最初の一行はある」


 仁晃はノートを指差した。


「女の子が歌っている。男が見る。これは瞬が撮りたい絵なんでしょ」


「うん」


「だったら、そこから考えればいい」


 午後の予鈴が鳴った。


 校舎の中へ戻る生徒たちの足音が響く。


 瞬はノートを閉じようとして、ふと思った。


「ニコ」


「何?」


「一緒に考えてくれない?」


 仁晃は瞬を見た。


「脚本」


「……僕が?」


「うん。俺、たぶん一人だと無理だ」


「たぶんじゃなくて、かなり無理だね」


「そこは濁して」


 仁晃は黙った。


 自販機の機械音が、二人の間に小さく響いていた。


 やがて仁晃は、瞬の手元からノートを取った。


「考えるだけなら」


「書いてくれる?」


「考えるだけ」


「でも書くよな?」


「考えるだけ」


 そう言いながら、仁晃はノートを開き、瞬の書いた二行の下に小さく文字を書き足した。


```

青年は、その歌を三日前から知っている。

```


 瞬はそれを見た。


 たった一行なのに、急に物語が動いた気がした。


「三日前から?」


「毎日聞きに来てるなら、その方がいい」


「なんで声かけないんだ?」


「それを考える」


「少女はなんで歌ってる?」


「それも考える」


「ラストは?」


「一番あと」


 仁晃はノートを閉じ、自分のバッグにしまった。


「あ」


「今日は預かる」


「俺の脚本」


「二行しか書いてない」


「俺の二行」


「大事にするよ」


 仁晃はそう言って、少しだけ笑った。


 その笑い方が、いつもより楽しそうに見えた。


 放課後、瞬は一人で屋上へ続く階段の前に立っていた。


 当然、扉には鍵がかかっている。立入禁止の札が下がっていた。


 瞬はドアノブを回してみた。


 動かない。


 わかっていたことなのに、少しだけ悔しかった。


 階段の踊り場には、夕方の光が斜めに差し込んでいる。窓の外では、グラウンドの運動部が声を出していた。


 瞬はポケットからスマホを取り出し、メモアプリを開いた。


 そして、昼休みに仁晃が言った言葉を書いた。


 映画は撮るものじゃない。作るもの。


 その下に、もうひとつ書く。


 屋上で歌う少女と、それを見つめる青年。


 まだ、何も始まっていない。


 脚本もない。役者もいない。屋上も使えない。


 それでも、瞬には昨日より少しだけ先が見えていた。


 白紙の上に、最初の一行が書かれた。


 それだけで、胸の中の空白は、もう完全な空白ではなくなっていた。


【キャラクター紹介】

小津仁晃(おず・まさてる)

黒澤瞬の幼なじみ。愛称はニコ。

普通身長で細身。ショートボブの色素の薄い髪と、中性的な顔立ちから、一見すると美少女のようにも見える青年。

本好きで、いつもどこか落ち着いている。瞬とは対照的に物事を順序立てて考えるタイプで、勢いで走り出す瞬のブレーキ役になることも多い。

実はひそかに小説を書いているが、誰かに見せたことも、賞に応募したこともない。瞬が映画を撮りたいと言い出したことで、脚本づくりに関わることになる。

現場では脚本だけでなく、録音係としてマイクを持ち、撮影記録を管理するスクリプターも担当する。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。