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第十五話 主題歌

 仮編集が一本につながると、足りないものがはっきりした。


 音だった。


 階段の足音。


 風の音。


 屋上の沈黙。


 カノンの歌声。


 それらは確かに入っている。


 けれど、映画全体を包むものがまだなかった。


「BGM、いるよね」


 昼休み、校舎裏のベンチで北野ライカが言った。


 黒澤瞬は、コンビニのおにぎりを持ったまま固まった。


「BGM」


「うん」


「フリー素材とか?」


「使えるけど、ちゃんと選ばないと一気に安っぽくなる」


 ライカは容赦がない。


 小津仁晃も頷いた。


「あと、歌が中心の映画だから、主題歌というか、劇中歌はちゃんと決めたい」


 瞬は市川カノンを見た。


 カノンは両手で紙パックのミルクティーを持っていたが、その手が少し止まっていた。


「歌……ですよね」


「無理なら、歌詞なしのハミングでもいい」


 仁晃が言う。


「でも、少女が屋上で歌っていた歌が最後に残るなら、映画としては強い」


「それは、わかります」


 カノンは小さく頷いた。


「でも、曲を作るのは、ちゃんとやったことがなくて」


「少しかじってるって言ってなかった?」


 瞬が聞くと、カノンは恥ずかしそうに視線を落とした。


「スマホのアプリで、短いメロディを作ったことがあるくらいです。歌詞も、日記みたいなものしか」


「それでいいんじゃない?」


 瞬が言うと、カノンは驚いた顔をした。


「よくないです」


「なんで」


「映画に使うんですよ?」


「うん」


「ちゃんとしたものじゃないと」


 その言葉に、瞬は少しだけ笑った。


「俺たちの映画、最初からちゃんとしてた?」


 カノンは答えられなかった。


 仁晃が小さく笑う。


「機材は古いミニDV。監督は初心者。脚本も初めて。カメラマンも動画は初めて。主演女優も芝居は初めて」


「並べるとひどいな」


 瞬が言うと、ライカが淡々と続けた。


「でも、撮れた」


 カノンは黙っていた。


 瞬は少しだけ身を乗り出した。


「カノンが屋上で歌ってた歌だから、この映画に必要なんだと思う。うまい曲だから使いたいんじゃなくて」


 カノンは紙パックを見つめたまま、ぽつりと言った。


「怖いです」


「うん」


「歌うだけでも怖かったのに、自分で作った歌まで入れるのは、もっと怖いです」


 その声は小さかった。


 けれど、ちゃんと届いた。


 瞬はすぐに答えなかった。


 怖い。


 それは、今なら少しわかる。


 仁晃が脚本を見せた時。


 ライカが映像を撮ると決めた時。


 瞬が主演男優をやると決めた時。


 みんな、少しずつ怖かったのだ。


「じゃあ、みんなで作ろう」


 瞬が言った。


 カノンが顔を上げる。


「みんなで?」


「歌うのはカノン。メロディもカノンが中心。でも、歌詞はニコが手伝える。映像に合うかはライカが見られる。俺は……」


「監督」


 ライカが言った。


「最後に、いるかいらないか決める人」


「急に責任重いな」


「監督だから」


 カノンは少しだけ笑った。


 その笑顔を見て、瞬はほっとした。


 放課後、四人は音楽室を借りた。


 佐伯先生に相談すると、音楽の先生に話を通してくれた。使用時間は一時間。飲食禁止。備品を壊さないこと。


 音楽室には、夕方の光が差し込んでいた。


 壁には作曲家の肖像画が並び、黒板には授業で使ったらしい音符が残っている。隅にはアップライトピアノがあり、その上に少し埃が積もっていた。


 カノンはピアノの前に座った。


「弾けるの?」


 瞬が聞く。


「少しだけです」


 そう言いながら、カノンは鍵盤に指を置いた。


 ぽん、と小さな音が鳴る。


 続けて、短いメロディが流れた。


 まだ形にはなっていない。


 でも、屋上で聞いた仮の歌と同じ匂いがした。


 空に向かって伸びていくような、少し寂しいメロディ。


 ライカが窓際に立ったまま言った。


「映画の空気に合う」


 仁晃も頷いた。


「うん。少女の歌だ」


 カノンは鍵盤から手を離した。


「でも、ここから先が作れなくて」


「歌詞は?」


「少しだけ」


 カノンはノートを開いた。


 そこには、小さな字で言葉が並んでいた。


```

誰も知らない場所で

名前のない歌を歌った


風だけが聞いていると思っていた

空だけが覚えていると思っていた

```


 瞬は、息を止めた。


「いいじゃん」


 カノンは慌ててノートを閉じようとした。


「まだ途中です」


「途中でもいい」


 仁晃が静かに言った。


「このまま使える言葉がある」


「本当ですか?」


「うん」


 仁晃は自分のノートを開いた。


「映画のラストが『忘れない』だから、歌詞にも覚えているとか、残るとか、そういう言葉が入るとつながる。でも説明しすぎない方がいい」


「難しいです」


「難しいね」


 仁晃は少し笑った。


「でも、たぶん一人で悩むよりはいい」


 それから一時間、四人は音楽室で言葉を探した。


 カノンがメロディを弾く。


 仁晃が歌詞の順番を並べる。


 ライカが映像のどの場面に入るかを考える。


 瞬は、ただ聞いていた。


 最初は何か言わなければと思っていた。


 監督なのだから、指示を出さなければと。


 でも、途中でやめた。


 今は、聞く時間だと思った。


 カノンの歌が生まれていくのを、ちゃんと聞く。


 それが、この映画の監督の仕事のような気がした。


 やがて、短い歌詞ができた。


```

誰も知らない屋上で

名前のない歌を歌った


風だけが聞いていると思ってた

空だけが覚えていると思ってた


だけど君が立っていた

遠くで声を受け止めていた


忘れないで

ここにいたこと

この空に歌ったこと

```


 カノンはノートを見つめたまま、しばらく黙っていた。


「歌ってみてもいいですか」


 誰も茶化さなかった。


 ライカは静かにカメラを持ったが、すぐに下ろした。


「撮らない。今は」


 カノンは少しだけ安心したように頷いた。


 そして、歌った。


 音楽室に声が広がる。


 屋上で聞いた時とは違う。


 階段で聞いた時とも違う。


 小さな部屋の中で、歌はまっすぐ四人の間に落ちてきた。


 瞬は、胸の奥が熱くなるのを感じた。


 映画のラストが、もう一度見えた。


 少女が歌い終える。


 青年が言う。


 君がここで歌ってたこと、俺は忘れない。


 この歌があれば、あの台詞はもっと届く。


 歌が終わると、音楽室はしんと静かになった。


 カノンは不安そうに三人を見る。


「どうでしたか」


 瞬はすぐに答えた。


「これがいい」


 カノンの目が少し揺れた。


「本当に?」


「うん。これが、この映画の歌だと思う」


 仁晃も頷いた。


「歌詞、少しだけ整えよう。でも核はこのままでいい」


 ライカも言った。


「録るなら、屋上の映像に合わせたい。最後の空のカットに、少しだけ残す」


 カノンはノートを胸に抱えた。


「じゃあ、ちゃんと録ります」


 その声はまだ少し震えていた。


 でも、逃げてはいなかった。


 録音は、翌日の放課後に行われた。


 音楽室のカーテンを閉め、できるだけ外の音が入らないようにする。仁晃がスマホとマイクをセットし、ライカが音が鳴りそうな椅子を移動させる。瞬はドアの前に立ち、誰かが入ってこないように見張った。


「監督、ドア係」


 ライカが言った。


「大事な仕事だ」


「うん。音が入るから」


 カノンはピアノの横に立った。


 伴奏は仮で、スマホから小さく流す。


 本格的な録音ではない。


 それでも、みんな真剣だった。


「いきます」


 カノンが言った。


 仁晃が録音ボタンを押す。


 歌が始まる。


 一回目。


 途中で声が裏返った。


「すみません」


「大丈夫。もう一回」


 二回目。


 廊下から笑い声が入った。


「今の、音が」


「もう一回」


 三回目。


 最後の言葉が少し急いだ。


「惜しい」


「もう一回、お願いします」


 カノンは何度も歌った。


 そのたびに、声が少しずつ変わった。


 緊張が抜け、言葉が自然になり、歌が映画の中へ近づいていく。


 五回目。


 最後の「ここにいたこと」という言葉が、まっすぐ届いた。


 仁晃が録音を止めた。


 誰もすぐには喋らなかった。


 カノンが不安そうに聞く。


「今の、どうですか」


 ライカが小さく頷いた。


「いい」


 仁晃も言った。


「これを使いたい」


 瞬はドアの前から戻った。


「最高」


「最高は、言いすぎです」


「言いすぎじゃない」


 カノンは困ったように笑った。


 けれど、その目は嬉しそうだった。


 その夜、瞬は録音した歌を仮編集に入れた。


 ラストシーン。


 屋上。


 カノンが歌い終える。


 瞬が言う。


 カノンが返す。


 そのあと、夕方の空に短く主題歌が重なる。


 忘れないで。


 ここにいたこと。


 この空に歌ったこと。


 瞬は再生を止めた。


 しばらく、何もできなかった。


 映画が完成に近づいている。


 それが嬉しいのに、少し寂しかった。


 終わってしまう。


 撮影が終わった時にも思った。


 でも、今度はもっとはっきりしている。


 完成したら、この映画づくりの日々は本当に終わる。


 グループチャットに、完成に近いラスト部分を送った。


 最初に返事をしたのはライカだった。


「歌、入ると強い」


 仁晃が続けた。


「最後の空まで残る感じがいい」


 少し遅れて、カノンから返事が来た。


「自分の声なのに、自分だけのものじゃなくなった気がしました」


 瞬はその言葉を見つめた。


 自分だけのものじゃなくなる。


 それは、少し怖い。


 でも、たぶん嬉しい。


 仁晃の脚本も。


 ライカの映像も。


 カノンの歌も。


 瞬の始まりも。


 全部が混ざって、一本の映画になる。


 瞬は返信を打った。


「これで完成までいける」


 送信してから、パソコンの画面を見た。


 タイムラインには、映像と音の帯が並んでいる。


 最初はばらばらだったもの。


 今は、一本の線になりかけているもの。


 映画『屋上の歌』。


 文化祭まで、あと少しだった。


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