↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/16

第十四話 編集と孤独

 撮影が終わると、映画は急に静かになった。


 昨日まで放課後になれば、誰かがカメラを持ち、誰かが脚本を開き、誰かが歌い、誰かが「もう一回」と言っていた。


 けれど、クランクアップの翌日。


 黒澤瞬は、自分の部屋で一人、机に向かっていた。


 目の前にはノートパソコン。


 その横には、祖父からもらったミニDVカメラ。


 さらにライカから借りたSDカードと、録音データを入れたUSBメモリ。


 机の上には、映画の素材が並んでいる。


 なのに、何から手をつければいいのか、まるでわからなかった。


「編集……」


 瞬は小さくつぶやいた。


 撮影の時は、やることが目の前にあった。


 階段を上る。


 台詞を言う。


 もう一回撮る。


 光を待つ。


 音を録る。


 でも編集は違った。


 撮ったもの全部を見て、選んで、並べて、切って、つなぐ。


 どの瞬間を残して、どの瞬間を捨てるかを決める。


 それは、思っていたよりずっと怖かった。


 瞬はまず、ライカが撮った一眼レフの映像データをパソコンに取り込んだ。


 ファイル名は、数字とアルファベットの羅列だった。


```

MVI_0031

MVI_0032

MVI_0033

MVI_0034

```


「どれがどれだよ」


 瞬は頭を抱えた。


 グループチャットに打ち込む。


「映像ファイル、名前が全部暗号」


 すぐにライカから返事が来た。


「撮影日ごとにフォルダ分けしてる」


「ありがとう。まだ暗号」


「サムネ見ればわかる」


「サムネが全部俺の顔」


「主演だから」


 続けて仁晃からメッセージが来る。


「カット表、送る」


 すぐに画像が届いた。


 そこには、仁晃の字で撮影日、シーン番号、テイク数、使えそうなカットがまとめられていた。


```

S1 階段 歌を聞く

Take4 使用候補

S2 階段 座って聞く

Take3 使用候補

S5 夜の廊下

Take2, Take5 候補

S8 屋上 ラスト

Take1 使用候補

```


「ニコ、神か」


 瞬が送ると、仁晃からすぐ返ってきた。


「脚本家兼記録係」


 ライカが続ける。


「音響も」


 カノンも遅れて入ってきた。


「編集、始まったんですね」


 瞬は画面を見つめた。


 みんながいる。


 チャットには。


 でも、部屋には自分一人だった。


「始まった。でも、たぶん長い」


 そう送って、瞬は編集ソフトを開いた。


 最初のカットをタイムラインに置く。


 階段を上がる青年。


 歌声に足を止める。


 上を見上げる。


 それだけの映像。


 撮影した時は、あんなに胸が高鳴った。


 けれど編集画面で見ると、急に粗が見えた。


 足音が大きい。


 少しピントが甘い。


 廊下の奥に一瞬、誰かの鞄が映り込んでいる。


 顔を上げるタイミングも、少し遅い気がする。


「……これでいいのか?」


 瞬は巻き戻した。


 もう一度見る。


 やっぱり気になる。


 別のテイクを置いてみる。


 今度は足の運びがぎこちない。


 別のテイク。


 歌を聞く前から、少し上を見ている。


 別のテイク。


 映像はいいが、音に廊下の笑い声が入っている。


 瞬は椅子にもたれた。


「全部、何かしらある」


 独り言が部屋に落ちた。


 撮影中は、前に進んでいる実感があった。


 でも編集は、進んでいるのか戻っているのかわからない。


 切って、戻して、入れ替えて、また戻す。


 時間だけが溶けていく。


 夜の九時を過ぎたころ、瞬はようやく最初の一分を並べた。


 階段。


 歌声。


 青年の横顔。


 屋上の扉。


 少女の姿はまだ見せない。


 仁晃の脚本通り、声だけで引っ張る構成だった。


 瞬は再生ボタンを押した。


 一分。


 たった一分。


 けれど、何かが違う。


 悪くない。


 でも、重い。


 間が長すぎるのかもしれない。


 いや、短くすると歌を聞く空気がなくなる。


 瞬はタイムラインを見つめた。


 画面の中の細い映像の帯が、急に迷路みたいに見えた。


 翌日の昼休み、瞬は校舎裏のベンチにノートパソコンを持ち込んだ。


「昨日、ここまでやった」


 三人に見せる。


 仁晃、ライカ、カノンは小さな画面を覗き込んだ。


 再生。


 階段。


 歌声。


 青年が足を止める。


 上を見る。


 扉。


 カットが切り替わる。


 沈黙。


 再生が終わる。


 誰もすぐには喋らなかった。


 瞬は不安になった。


「だめ?」


 ライカが最初に口を開いた。


「最初のカットはTake4でいいと思う」


「本当?」


「うん。ただ、扉のカットが少し早い。もう半秒遅らせたい」


 仁晃も頷く。


「僕も。歌声を聞いてから、扉を見るまでに、もう少し迷いがほしい」


 カノンは少し遠慮がちに言った。


「歌、仮のままですよね」


「うん」


「ちゃんと録ったら、印象変わると思います」


「そうか」


 瞬は少し息を吐いた。


 ひとりで見ていると、全部だめに見えた。


 でも、三人が見ると、直す場所がわかる。


 だめなのではなく、まだ途中なのだ。


「編集って、しんどいな」


 瞬が言うと、仁晃が笑った。


「始まったばかりだよ」


「怖いこと言うな」


 ライカはパソコン画面を指差した。


「でも、切るのは監督の仕事だと思う」


「切る?」


「撮ったもの全部は入らない。どれだけ気に入ってても、映画に必要なければ切る」


 瞬は黙った。


 それは、薄々わかっていた。


 でも、言葉にされると重かった。


「撮影した時間を捨てるみたいで嫌だな」


「捨てるんじゃない」


 仁晃が言った。


「選ぶんだと思う」


「選ぶ」


「うん。映画のために」


 その日の放課後、瞬は図書室で編集を続けた。


 家だと集中できない気がしたからだ。


 窓際の席に座り、イヤホンをつけて、ひたすら映像を見た。


 階段。


 非常階段。


 屋上。


 夜の廊下。


 何度も見ていると、だんだん自分の顔が嫌になってくる。


 台詞の言い方。


 歩き方。


 目線。


 なぜこんなにぎこちないのか。


 なぜ撮影中は気づかなかったのか。


「監督兼主演、最悪だな……」


 瞬は小声でつぶやいた。


 その時、隣に誰かが座った。


 仁晃だった。


「最悪なの?」


「うわ、いたのか」


「今来た」


「編集してると、自分の顔が嫌になる」


「主演の宿命だね」


「軽く言うな」


 仁晃はパソコン画面を覗いた。


「夜の廊下?」


「うん。ここ、どうつなぐか迷ってる」


 瞬は再生した。


 青年が夜の廊下を歩く。


 窓に映る自分を見る。


 暗い教室を覗く。


 誰もいない。


 文化祭準備の途中の段ボール。


 また廊下へ戻る。


「長いかな」


 瞬が聞く。


 仁晃は少し考えた。


「長い。でも、長さが必要な場面でもある」


「どっちだよ」


「全部は長い。必要な長さだけ残す」


「それがわからない」


 仁晃はイヤホンを片方借りて、もう一度映像を見た。


「この、教室を覗く前の間はいらないかも」


「ここ?」


「うん。覗いたあとに沈黙があるから、前にも沈黙を置くと少し重い」


 瞬は指示通りに数秒切った。


 つなげて再生する。


 少しだけ流れがよくなった。


「おお」


「編集っぽい」


「映画っぽい」


「それは瞬の台詞」


 二人は小さく笑った。


 けれど、仁晃はすぐに真面目な顔になった。


「瞬」


「何?」


「一人で全部抱えなくていいよ」


「抱えてるつもりはないけど」


「たぶん、抱えてる」


 瞬は黙った。


 編集は、監督の仕事だと思っていた。


 最後に映画にするのは自分だと。


 でも、その考え方は少しずつ、自分を追い込んでいたのかもしれない。


「みんなで撮った映画だから、みんなで見ながら直せばいい」


「でも、最後に決めるのは俺だろ」


「うん」


 仁晃は頷いた。


「だからこそ、一人で悩む前に見せて」


 瞬は画面を見つめた。


「わかった」


 それから数日、編集は生活の中心になった。


 授業中、瞬はノートの端にカット順を書いた。


 昼休み、四人で仮編集を見た。


 放課後、図書室や空き教室で修正した。


 夜、家でまた見直した。


 映画は少しずつ形になっていく。


 最初はばらばらだった映像が、順番に並ぶことで物語になっていく。


 青年が歌声を聞く。


 少女の姿を知る。


 会話する。


 夜の学校で迷う。


 屋上で最後の歌を聞く。


 そして、言葉を渡す。


 十数分にも満たない短い映画。


 けれど、その中に四人の時間が詰まっていた。


 だからこそ、切るのが苦しかった。


「このカット、使わないの?」


 ある日の昼休み、カノンが言った。


 画面には、屋上で歌うカノンの別テイクが映っていた。


 風で髪が顔にかかり、表情が半分隠れている。


「表情が見えないから、ライカが別テイクの方がいいって」


 瞬が言うと、ライカは頷いた。


「映像としては、別の方がわかりやすい」


 カノンは画面を見たまま言った。


「でも、私、このカット好きです」


「どうして?」


「顔が隠れているから、逆に歌っている時の怖さが出てる気がして」


 瞬はもう一度、そのカットを見た。


 風で髪が揺れる。


 表情は見えにくい。


 でも、声はまっすぐ届いている。


 仁晃が言った。


「ラスト前じゃなくて、最初の屋上シーンに入れるのは?」


 ライカが少し考える。


「ありかも。最初は顔を見せすぎない方がいい」


 瞬はそのカットをタイムラインに置いた。


 再生する。


 よかった。


「採用」


 瞬が言うと、カノンは少し嬉しそうに笑った。


「ありがとうございます」


「いや、今のはカノンが見つけた」


 その瞬間、瞬は少しわかった。


 編集は孤独だ。


 最後に画面と向き合う時間は、どうしても一人になる。


 でも、映画を一人で作っているわけではない。


 カノンが自分の姿を見て言ったこと。


 ライカが画面の光で判断したこと。


 仁晃が物語の流れで選んだこと。


 その全部が、編集に入っていく。


 数日後、仮編集が一本につながった。


 タイトルはまだ仮のまま。


 音も荒い。


 歌も仮。


 色もばらばら。


 でも、最初から最後まで見られる状態になった。


 四人は放課後の視聴覚室を借り、小さなスクリーンに映した。


 佐伯先生も来た。


 部屋の明かりを落とす。


 瞬はパソコンの再生ボタンに指を置いた。


「仮編集です。まだ完成じゃないです」


「言い訳から入らない」


 ライカが言った。


「はい」


 瞬は再生した。


 画面に、階段が映る。


 歌声が聞こえる。


 青年が足を止める。


 物語が始まる。


 瞬はスクリーンを見ながら、心臓がずっと鳴っていた。


 自分が映っている。


 カノンが歌っている。


 ライカの光がある。


 仁晃の言葉がある。


 まだ荒い。


 直すところは山ほどある。


 でも、つながっていた。


 映画になりかけていた。


 ラストシーン。


 屋上。


 カノンが歌い終える。


 瞬が言う。


「君がここで歌ってたこと、俺は忘れない」


 カノンが答える。


「じゃあ、忘れないでください」


 夕方の空。


 フェンス。


 沈黙。


 画面が黒くなる。


 誰もすぐには喋らなかった。


 最初に口を開いたのは、佐伯先生だった。


「いいじゃないか」


 瞬は息を止めた。


「本当ですか」


「仮編集だろ。直すところはある。でも、ちゃんと最後まで見られる」


 佐伯先生は少し笑った。


「お前たちが何を撮りたかったのかは、伝わる」


 その言葉で、瞬の肩から力が抜けた。


 仁晃は静かに脚本を閉じた。


 ライカはスクリーンを見たまま、少し満足そうだった。


 カノンは目元を指で押さえていた。


「泣いてる?」


 瞬が聞くと、カノンは慌てて首を横に振った。


「泣いてないです」


「泣いてる」


「少しだけです」


 四人は小さく笑った。


 その夜、瞬はまた一人でパソコンに向かった。


 仮編集のデータを開く。


 佐伯先生に言われた修正点。


 仁晃のメモ。


 ライカの色味の指示。


 カノンの歌の録音予定。


 やることはまだ多い。


 でも、昨日までのような孤独ではなかった。


 画面の向こうに、みんなの声がある。


 瞬はタイムラインを見つめた。


 撮った時間を、映画にする。


 選んで、切って、つないで、残す。


 祖父が言っていた意味が、少しわかった気がした。


 編集は孤独だ。


 でも、その孤独の中で初めて、みんなで過ごした時間が一本の線になる。


 瞬は再生ボタンを押した。


 何度目かわからない階段の映像が流れ始める。


 歌声が聞こえる。


 青年が足を止める。


 瞬はマウスを握り直した。


 映画は、まだ完成していない。


 けれど、もう迷子ではなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。