第十四話 編集と孤独
撮影が終わると、映画は急に静かになった。
昨日まで放課後になれば、誰かがカメラを持ち、誰かが脚本を開き、誰かが歌い、誰かが「もう一回」と言っていた。
けれど、クランクアップの翌日。
黒澤瞬は、自分の部屋で一人、机に向かっていた。
目の前にはノートパソコン。
その横には、祖父からもらったミニDVカメラ。
さらにライカから借りたSDカードと、録音データを入れたUSBメモリ。
机の上には、映画の素材が並んでいる。
なのに、何から手をつければいいのか、まるでわからなかった。
「編集……」
瞬は小さくつぶやいた。
撮影の時は、やることが目の前にあった。
階段を上る。
台詞を言う。
もう一回撮る。
光を待つ。
音を録る。
でも編集は違った。
撮ったもの全部を見て、選んで、並べて、切って、つなぐ。
どの瞬間を残して、どの瞬間を捨てるかを決める。
それは、思っていたよりずっと怖かった。
瞬はまず、ライカが撮った一眼レフの映像データをパソコンに取り込んだ。
ファイル名は、数字とアルファベットの羅列だった。
```
MVI_0031
MVI_0032
MVI_0033
MVI_0034
```
「どれがどれだよ」
瞬は頭を抱えた。
グループチャットに打ち込む。
「映像ファイル、名前が全部暗号」
すぐにライカから返事が来た。
「撮影日ごとにフォルダ分けしてる」
「ありがとう。まだ暗号」
「サムネ見ればわかる」
「サムネが全部俺の顔」
「主演だから」
続けて仁晃からメッセージが来る。
「カット表、送る」
すぐに画像が届いた。
そこには、仁晃の字で撮影日、シーン番号、テイク数、使えそうなカットがまとめられていた。
```
S1 階段 歌を聞く
Take4 使用候補
S2 階段 座って聞く
Take3 使用候補
S5 夜の廊下
Take2, Take5 候補
S8 屋上 ラスト
Take1 使用候補
```
「ニコ、神か」
瞬が送ると、仁晃からすぐ返ってきた。
「脚本家兼記録係」
ライカが続ける。
「音響も」
カノンも遅れて入ってきた。
「編集、始まったんですね」
瞬は画面を見つめた。
みんながいる。
チャットには。
でも、部屋には自分一人だった。
「始まった。でも、たぶん長い」
そう送って、瞬は編集ソフトを開いた。
最初のカットをタイムラインに置く。
階段を上がる青年。
歌声に足を止める。
上を見上げる。
それだけの映像。
撮影した時は、あんなに胸が高鳴った。
けれど編集画面で見ると、急に粗が見えた。
足音が大きい。
少しピントが甘い。
廊下の奥に一瞬、誰かの鞄が映り込んでいる。
顔を上げるタイミングも、少し遅い気がする。
「……これでいいのか?」
瞬は巻き戻した。
もう一度見る。
やっぱり気になる。
別のテイクを置いてみる。
今度は足の運びがぎこちない。
別のテイク。
歌を聞く前から、少し上を見ている。
別のテイク。
映像はいいが、音に廊下の笑い声が入っている。
瞬は椅子にもたれた。
「全部、何かしらある」
独り言が部屋に落ちた。
撮影中は、前に進んでいる実感があった。
でも編集は、進んでいるのか戻っているのかわからない。
切って、戻して、入れ替えて、また戻す。
時間だけが溶けていく。
夜の九時を過ぎたころ、瞬はようやく最初の一分を並べた。
階段。
歌声。
青年の横顔。
屋上の扉。
少女の姿はまだ見せない。
仁晃の脚本通り、声だけで引っ張る構成だった。
瞬は再生ボタンを押した。
一分。
たった一分。
けれど、何かが違う。
悪くない。
でも、重い。
間が長すぎるのかもしれない。
いや、短くすると歌を聞く空気がなくなる。
瞬はタイムラインを見つめた。
画面の中の細い映像の帯が、急に迷路みたいに見えた。
翌日の昼休み、瞬は校舎裏のベンチにノートパソコンを持ち込んだ。
「昨日、ここまでやった」
三人に見せる。
仁晃、ライカ、カノンは小さな画面を覗き込んだ。
再生。
階段。
歌声。
青年が足を止める。
上を見る。
扉。
カットが切り替わる。
沈黙。
再生が終わる。
誰もすぐには喋らなかった。
瞬は不安になった。
「だめ?」
ライカが最初に口を開いた。
「最初のカットはTake4でいいと思う」
「本当?」
「うん。ただ、扉のカットが少し早い。もう半秒遅らせたい」
仁晃も頷く。
「僕も。歌声を聞いてから、扉を見るまでに、もう少し迷いがほしい」
カノンは少し遠慮がちに言った。
「歌、仮のままですよね」
「うん」
「ちゃんと録ったら、印象変わると思います」
「そうか」
瞬は少し息を吐いた。
ひとりで見ていると、全部だめに見えた。
でも、三人が見ると、直す場所がわかる。
だめなのではなく、まだ途中なのだ。
「編集って、しんどいな」
瞬が言うと、仁晃が笑った。
「始まったばかりだよ」
「怖いこと言うな」
ライカはパソコン画面を指差した。
「でも、切るのは監督の仕事だと思う」
「切る?」
「撮ったもの全部は入らない。どれだけ気に入ってても、映画に必要なければ切る」
瞬は黙った。
それは、薄々わかっていた。
でも、言葉にされると重かった。
「撮影した時間を捨てるみたいで嫌だな」
「捨てるんじゃない」
仁晃が言った。
「選ぶんだと思う」
「選ぶ」
「うん。映画のために」
その日の放課後、瞬は図書室で編集を続けた。
家だと集中できない気がしたからだ。
窓際の席に座り、イヤホンをつけて、ひたすら映像を見た。
階段。
非常階段。
屋上。
夜の廊下。
何度も見ていると、だんだん自分の顔が嫌になってくる。
台詞の言い方。
歩き方。
目線。
なぜこんなにぎこちないのか。
なぜ撮影中は気づかなかったのか。
「監督兼主演、最悪だな……」
瞬は小声でつぶやいた。
その時、隣に誰かが座った。
仁晃だった。
「最悪なの?」
「うわ、いたのか」
「今来た」
「編集してると、自分の顔が嫌になる」
「主演の宿命だね」
「軽く言うな」
仁晃はパソコン画面を覗いた。
「夜の廊下?」
「うん。ここ、どうつなぐか迷ってる」
瞬は再生した。
青年が夜の廊下を歩く。
窓に映る自分を見る。
暗い教室を覗く。
誰もいない。
文化祭準備の途中の段ボール。
また廊下へ戻る。
「長いかな」
瞬が聞く。
仁晃は少し考えた。
「長い。でも、長さが必要な場面でもある」
「どっちだよ」
「全部は長い。必要な長さだけ残す」
「それがわからない」
仁晃はイヤホンを片方借りて、もう一度映像を見た。
「この、教室を覗く前の間はいらないかも」
「ここ?」
「うん。覗いたあとに沈黙があるから、前にも沈黙を置くと少し重い」
瞬は指示通りに数秒切った。
つなげて再生する。
少しだけ流れがよくなった。
「おお」
「編集っぽい」
「映画っぽい」
「それは瞬の台詞」
二人は小さく笑った。
けれど、仁晃はすぐに真面目な顔になった。
「瞬」
「何?」
「一人で全部抱えなくていいよ」
「抱えてるつもりはないけど」
「たぶん、抱えてる」
瞬は黙った。
編集は、監督の仕事だと思っていた。
最後に映画にするのは自分だと。
でも、その考え方は少しずつ、自分を追い込んでいたのかもしれない。
「みんなで撮った映画だから、みんなで見ながら直せばいい」
「でも、最後に決めるのは俺だろ」
「うん」
仁晃は頷いた。
「だからこそ、一人で悩む前に見せて」
瞬は画面を見つめた。
「わかった」
それから数日、編集は生活の中心になった。
授業中、瞬はノートの端にカット順を書いた。
昼休み、四人で仮編集を見た。
放課後、図書室や空き教室で修正した。
夜、家でまた見直した。
映画は少しずつ形になっていく。
最初はばらばらだった映像が、順番に並ぶことで物語になっていく。
青年が歌声を聞く。
少女の姿を知る。
会話する。
夜の学校で迷う。
屋上で最後の歌を聞く。
そして、言葉を渡す。
十数分にも満たない短い映画。
けれど、その中に四人の時間が詰まっていた。
だからこそ、切るのが苦しかった。
「このカット、使わないの?」
ある日の昼休み、カノンが言った。
画面には、屋上で歌うカノンの別テイクが映っていた。
風で髪が顔にかかり、表情が半分隠れている。
「表情が見えないから、ライカが別テイクの方がいいって」
瞬が言うと、ライカは頷いた。
「映像としては、別の方がわかりやすい」
カノンは画面を見たまま言った。
「でも、私、このカット好きです」
「どうして?」
「顔が隠れているから、逆に歌っている時の怖さが出てる気がして」
瞬はもう一度、そのカットを見た。
風で髪が揺れる。
表情は見えにくい。
でも、声はまっすぐ届いている。
仁晃が言った。
「ラスト前じゃなくて、最初の屋上シーンに入れるのは?」
ライカが少し考える。
「ありかも。最初は顔を見せすぎない方がいい」
瞬はそのカットをタイムラインに置いた。
再生する。
よかった。
「採用」
瞬が言うと、カノンは少し嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
「いや、今のはカノンが見つけた」
その瞬間、瞬は少しわかった。
編集は孤独だ。
最後に画面と向き合う時間は、どうしても一人になる。
でも、映画を一人で作っているわけではない。
カノンが自分の姿を見て言ったこと。
ライカが画面の光で判断したこと。
仁晃が物語の流れで選んだこと。
その全部が、編集に入っていく。
数日後、仮編集が一本につながった。
タイトルはまだ仮のまま。
音も荒い。
歌も仮。
色もばらばら。
でも、最初から最後まで見られる状態になった。
四人は放課後の視聴覚室を借り、小さなスクリーンに映した。
佐伯先生も来た。
部屋の明かりを落とす。
瞬はパソコンの再生ボタンに指を置いた。
「仮編集です。まだ完成じゃないです」
「言い訳から入らない」
ライカが言った。
「はい」
瞬は再生した。
画面に、階段が映る。
歌声が聞こえる。
青年が足を止める。
物語が始まる。
瞬はスクリーンを見ながら、心臓がずっと鳴っていた。
自分が映っている。
カノンが歌っている。
ライカの光がある。
仁晃の言葉がある。
まだ荒い。
直すところは山ほどある。
でも、つながっていた。
映画になりかけていた。
ラストシーン。
屋上。
カノンが歌い終える。
瞬が言う。
「君がここで歌ってたこと、俺は忘れない」
カノンが答える。
「じゃあ、忘れないでください」
夕方の空。
フェンス。
沈黙。
画面が黒くなる。
誰もすぐには喋らなかった。
最初に口を開いたのは、佐伯先生だった。
「いいじゃないか」
瞬は息を止めた。
「本当ですか」
「仮編集だろ。直すところはある。でも、ちゃんと最後まで見られる」
佐伯先生は少し笑った。
「お前たちが何を撮りたかったのかは、伝わる」
その言葉で、瞬の肩から力が抜けた。
仁晃は静かに脚本を閉じた。
ライカはスクリーンを見たまま、少し満足そうだった。
カノンは目元を指で押さえていた。
「泣いてる?」
瞬が聞くと、カノンは慌てて首を横に振った。
「泣いてないです」
「泣いてる」
「少しだけです」
四人は小さく笑った。
その夜、瞬はまた一人でパソコンに向かった。
仮編集のデータを開く。
佐伯先生に言われた修正点。
仁晃のメモ。
ライカの色味の指示。
カノンの歌の録音予定。
やることはまだ多い。
でも、昨日までのような孤独ではなかった。
画面の向こうに、みんなの声がある。
瞬はタイムラインを見つめた。
撮った時間を、映画にする。
選んで、切って、つないで、残す。
祖父が言っていた意味が、少しわかった気がした。
編集は孤独だ。
でも、その孤独の中で初めて、みんなで過ごした時間が一本の線になる。
瞬は再生ボタンを押した。
何度目かわからない階段の映像が流れ始める。
歌声が聞こえる。
青年が足を止める。
瞬はマウスを握り直した。
映画は、まだ完成していない。
けれど、もう迷子ではなかった。




