48. 異端の翼は判断する
穢魂の書、第二章の第四節。
この魔法による記憶の流出を防ぐ手段は主に二つだろう。
まずは記憶自体を消してしまう方法。
たとえ穢魂の書であったとしても、そもそも存在しない物を取り出すことは不可能だ。
そしてもうひとつの方法。
「それは記憶を抜き取られる前に殺してしまうこと……」
ある意味分かりやすく、それでいて確実な方法だろう。
魔法を使った時のことだ。
一切の記憶が流れてくることなく、男はすぐに死んでいた。
投影の記鏡に耐えられる人間はそう多くない。
ほとんどの場合では、使われた人間は死に至る。
だがこの男の場合、あまりにも早すぎたのだ。
穢魂の書をトリガーとする条件発動型の魔法。
その可能性が高いと見ていいが、これだって簡単な魔法じゃない。
先ほど死絶の書を無力化された件といい、敵は異端書に関する情報をかなり持っている。
俺は死体となった男を視線から外し顔を上げる。
ここまで用意周到な敵だ。
どこかで観察しているに違いない。
先ほどからそんなことを考えていたのだが、どうやら探す必要はないようだ。
「俺になんか用か?」
静かに振り返ると、そこにはひとりの女が立っていた。
「あら? もう気付かれてしまいましたか」
黒い外套を羽織る、太陽を連想させる髪色の人族。
とはいえフードは外しており、顔を隠す気はないらしい。
歳は俺と同じぐらい、だろうか。
「悪いが道案内なら他を当たってくれ。こっちは迷子なもんでな」
「いえ、ご心配なさらず。むしろわたしが竜の国までご案内いたしましょうか?」
「……遠慮しておこう」
ドラグシアからの追手か。
いや、それはあり得ないな。
もし相手が竜翼魔術士団であれば、飼いならした魔獣なんて面倒なものをわざわざ起用しない。
兵器として作られた『フェロシティ』といえど、所詮は魔獣のひとつに過ぎない。
時には命令に従わないこともあるらしく、そんな不安定な物を大量投入することは考えづらい。
「複数の異端書を操る魔術士。まさかこうしてお目に掛かれるとは思いませんでした」
最初からずっと監視していたのか。
となると攻撃のタイミングなんていくらでもあったはずだ。
「あぁそうでした。ところでわたしの魔導具の出来、いかがでしたか?」
彼女が目配せする先にはあの巨大な塔。
「『ダアトの葉』。わたしではまだ魔力濃度の増加しか出来ていませんが、それでもここまで縮小するのに苦労したんです」
やはり今回の元凶はこの装置だったか。
そしてこれを生み出したのは、今まさに目の前にいるこの女。
彼女は問い掛けるように話してはいるが、俺の答えを待つ気はないらしい。
まるでひとり言でもしているかのようだ。
「っと、話が逸れるところでした。そろそろ本題に入りましょうか」
ずっと目を合わせていたはずなのに、初めて本当に目が合った気がした。
たった今俺に意識が向いた。
そんな気さえしてくる。
「実はひとつ、わたしから提案があるんです」
「……言ってみろ」
「あなたが持つ魔法、渡してくださいませんか?」
「それは無理だな。異端書を渡す気はない」
ここまでして求めて来る魔法といえば異端書しか考えられない。
回帰の書、もしくは破戒の書だろう。
あるいはその両方か。
どちらも絶対に渡してはならない代物だ。
「あーいえ、そちらの方は要りません。間に合っていますので」
なんだと?
待て、まさかこいつは……。
「わたしが欲しいのは別の魔法なんです。ほら、戦争で使ったアレですよ」
「――《"フロスト・スピア"》」
こいつはここで殺す。
本当は情報の出所も調べたいところだし、ミーリヤを筆頭にこんな状況を引き起こした理由だって知りたい。
だがさっきの件を考えるとそれも難しい。
だからこそ、今この場で殺す。
俺が魔法を放ったというのに、敵はその場から動くことなく立ち尽くしている。
そのまま当たるかと思ったのだが、氷の槍は前触れもなく消滅した。
「ところで上のお二人さんは大丈夫ですか?」
振り返り急いで叫ぶ。
「フレイヤ!」
次の瞬間、大きな音とともに二人が崖から飛び降りてきた。
アリシャがフレイヤを押し倒す形。
咄嗟の判断だろうが、あれでは詠唱する余裕もないはずだ。
「《"タービュランス"》――!」
魔法を使い落下地点に飛び込む。
そのままもう一度再使用、大きく飛んで二人を両脇に抱える。
「ひゃっ!?」
「ごめんな」
フレイヤが小さく悲鳴を上げる。
少し強引だったせいか、腕が強く当たってしまったのだろう。
だがこれが今の限界だ。
やがて速度が落ち、今度は地面へ向かって落ち始める。
殺意を感じ見上げてみれば、崖の方から飛び降りてくる数えきれないほどの『フェロシティ』たち。
「わたくしが対処いたしますわ!」
アリシャは叫ぶと同時、無詠唱で疾風の書を乱射。
だがほとんど当たることはなく、運よく命中しても魔獣の軌道を逸らすだけだった。
とはいえ時間稼ぎとしては問題ない。
俺は魔法で大きな風を起こし、衝撃を吸収させ地面に降りる。
フレイヤは散らばっている死体を見て一瞬顔を歪めるが、すぐに前に向き直った。
普通なら気分が悪くなってもおかしくない。
だというのに、彼女は取り戻すことなく冷静さを保っていた。
物凄い精神力だ。
そんなことを考えていると、目の前に『フェロシティ』たちが着地していく。
魔獣である事を利用した、強みのひとつだと言えるだろう。
しばらくの間、お互いその場でにらみ合う。
が、対面する女が不意に口を開いた。
「もう一度聞きましょう。あなたの魔法を譲ってくださいませんか?」
「何度聞かれても俺の答えは変わらない」
そしてどんな状況でも。
「残念です。……では殺した後に、魔法書だけ取り出すとしましょう」
彼女がそう呟くと『フェロシティ』が一斉に動き出す。
アリシャと俺は無詠唱で魔法を飛ばし、けん制しながら下がって距離を取る。
「フレイヤ! 俺から離れるなよ!」
「はい――!」
多勢に無勢とはよく言うが、この光景がまさにそうだと言える。
「レイシス様、さすがにこのままでは厳しいかと……」
「あぁ、分かっている」
だが今は違う。
「う、後ろにも魔獣がいます!」
それも分かっている。
その上で今は違うと。
俺はそう判断したんだ。
「アリシャ、頼んだぞ」
「――――了解しましたわ」
わざわざ言葉にする必要はない。
伝われさえすればいい。
彼女はブレスレットを外す。
そのまま空いた手を胸元に持っていき、見慣れた物に手を掛けた。
綺麗なペンダントだが、もちろんただのアクセサリじゃない。
「識別コード、0-4285。熱心――」
アリシャの手の隙間から緑色の光が漏れる。
「では始めますわ」
次の瞬間には、彼女を取り囲むように浮く七つの水晶玉。
この魔導具を展開した彼女の前では、『多勢に無勢』という言葉は意味を成さない。




