第六話 監察課の視線
人の流れが、わずかに途切れた。黒い制服が、こちらへ向かってくる。
監察課の職員が数名。いずれも無駄のない動きで、周囲を観察している。視線が合っただけで、背筋が伸びるような空気だった。
ざわ、と場が揺れる。
それまで聞こえていた周囲の笑い声が、すっと消える。唐津でさえ口を閉じ、猪谷も腕を組んだまま何も言わない。誰もが、様子を窺っていた。
神崎は少し迷いながらも、一歩前に出る。
「このエリアの責任者は誰だ」
監察課長の声が落ちる。周囲の空気が、ぴんと張りつめた。
「……今回は」
一瞬だけ間があった。
「私が、調整を担当しています。配置は事前に共有済みです」
「お前は確か……ああ。例の生きている職員か」
監察課長の口元に、薄い笑みが浮かぶ。
「ところで、課長の姿が見えないようだが?」
「まだ到着していませんが、トラブルではありません。調整は一任されています」
沈黙。
監察課の職員の一人が、シートの配置を確かめるように歩く。別の一人は、持ち込まれた荷物を一瞥する。無言のまま、細かく確認していた。
(……ずいぶん警戒されてるな)
アイリが一歩前に出た。
「現時点で、この場における規定違反は確認されていない。他部署の動線も阻害していない」
淡々とした声。監察課長の視線がわずかに動く。
「ああ、去年も最初は似たような報告を受けていた。だが……」
空気がさらに締まる。佐倉が、ゆっくり口を開いた。
「今回は、配置も人員も調整してあります。同じことは起きません」
短く、確かな言葉だった。後ろの空気が、わずかに落ち着く。
後ろで静かに立っていた百田が一歩出た。
「お疲れ様です」
落ち着いた声に、監察課長の表情がふと変わる。
「ああ、君は確か……元警官の」
「はい、百田であります」
わずかな間。
「ご心配には及びません。次は、暴れる前に押さえます」
空気が、張る。
「おい」
猪谷が低く反応した。
「誰が暴れるって——」
山鹿が横から肩を押さえた。
「やめとけ」
猪谷は舌打ちだけして黙る。後ろでは誰も動かない。唐津も、珍しく静かだった。
「……去年の件と同じことを繰り返すな」
監察課長は低く、はっきりと告げる。隣のエリアまでがしんと静まり返った。
そのとき。
「まあまあ」
ひどく場違いなほど、のんびりとした声が割り込んだ。全員の視線がそちらに向く。
西蓮寺が穏やかな笑顔で桜を見上げていた。
「いやあ、それにしても見事な桜ですなあ」
監察課長の視線が、西蓮寺に向く。一瞬だけ、何かを確認するような間があった。
(……あ、顔を知ってるんだ)
「どうです、一献。今年は珍しい酒が色々用意されておりましてね」
聞かれてもいないことを言いながら、盃を差し出す。
「勤務中だ」
「そうでしたか」
西蓮寺はあっさりと頷く。
「では、一回りされたら、ぜひ」
沈黙。
監察課長は神崎を見た。
「……その酒とやら、お前が用意したのか」
「はい」
「そうか……」
一瞬の間があった。
「見回りを続ける」
そう言って踵を返す。後ろの職員たちも、無言のままそれに続いた。
遠ざかる足音。止まっていた空気が、ゆっくりと動き出す。
誰かが小さく息を吐いた。
「……こっわ」
唐津が小さく呟く。
アイリが静かに口を開く。
「監察課は、生前の職業で態度が変わることがある」
感情のない、ただ事実を述べる声だった。
「知っておいた方がいい」
神崎は少し間を置いてから頷いた。
(……自衛官に警察、僧侶か)
思わずそう数えてしまってから、少しだけ可笑しくなる。
(とにかく、なんとかやり過ごせた)
それだけでも今は満足だった。
——そういえば。
ふと端末の画面を思い出す。
(課長、近くまでは来てるって言ってたよな)
視線を巡らせるが、まだ姿は見えない。
(……まあ、いつものことか)
そう結論づけて、考えるのをやめた。




