第五話 とりあえず順調、のはずだった
花見当日。
空はよく晴れていた。
桜はちょうど見頃で、淡い色が一面に広がっている。風も穏やかで、日差しも強すぎない。これ以上ない花見日和だった。
神崎は一度、周囲を見渡す。
見晴らしは抜群で、人の流れも悪くない。情報課が押さえていたエリアの近くということもあり、想定していた配置も問題なく機能している。
(……ここまでは、完璧だ)
その一方で。
壇上が腕を組んだまま、遅れてくる方向をじっと睨んでいる。
友永は少し離れた位置で全体を見渡し、人の流れを静かに確認していた。
唐津はすでに誰かを捕まえて話し込み、猪谷は落ち着きなく周囲を見回している。
その隣で、山鹿だけが何も言わずに様子を見ていた。
(……あとは全員そろうのを待てば)
そのとき、端末が軽く震えた。
初江課長からの連絡だった。
『近くまでは来てるんだが、ちょっと遅れるから、先に始めてておくれ』
理由は書かれていない。
——いつも通りだ。
「課長は遅れるそうです」
そう伝えると、佐倉は短く「そうか」とだけ返し、アイリは一度だけ頷いた。特に気にした様子はない。
神崎も端末をしまい、改めて周囲に目を向ける。
——だが。
「……他にも三人、まだ来てないな」
佐倉が時計を見ながら言う。
少し離れた位置で、壇上が小さく舌打ちした。
「時間厳守って言ってただろうが」
神崎はすぐに名簿を開いた。
「稲置さんと、柚木さん……あとは小犬丸さんですね」
一瞬の沈黙。
アイリが周囲を見渡す。
「その三人なら、遅延の理由はある程度推測できる」
淡々とした声だった。
「まず稲置氏は普段から移動速度が遅い。この人混みに阻まれている可能性が高い」
佐倉がすぐに千歳へ目を向ける。
「千歳、稲置さんの迎えを頼めるか」
「ええ。歩きやすい道を選んでお連れしますね」
千歳は穏やかに頷き、すぐにその場を離れた。
「次に柚木だが、おそらく別の経路を取っている」
「別の経路……ですか?」
そばで待機していた赤穂が、ありえる、という顔で頷く。
「柚木のやつ、カラスが鳴いたとか黒猫が通ったとか、ちょっとでも不穏な気配があると避けたがるんですよ」
「マジですか……」
「そこまで分かってるならさっさと探して連れてこい」
「は、はい!」
赤穂が慌てて走っていく。
そのやり取りの横で、友永が静かに口を開いた。
「動線は問題なさそうね。人の流れも詰まってないし、この配置なら大丈夫そう」
神崎は小さく頷く。
(助かる)
「あとは小犬丸か」
佐倉が続ける。
「あいつは普段からヘッドホンで周囲の音を遮断してるが……今日のことは把握してるのか?」
「一応、お知らせの用紙は手渡しました。時間と場所は伝わってるかと」
佐倉は腕組みをしながら、近くで桜を見上げている小犬丸の相棒に声をかける。
「宇佐見、心当たりは?」
宇佐見はゆっくりこちらに目を向ける。
「うーん」
少し考えてから、穏やかに言う。
「途中で綺麗な桜でもあったんじゃないかな。そっちに行ったんだと思う」
一瞬、場が静まる。
「いや、そんなことあります……?」
思わず神崎が呟くと、宇佐見は軽く肩をすくめた。
「小犬丸だしね」
壇上が小さく息を吐く。猪谷は興味を失ったように視線を外した。
神崎は、もう何も言う気が起きなかった。
(そういうものらしい)
その横で、唐津の声が聞こえる。
「なあ、やっぱちょっとした企画入れた方が——」
「やめとけ」
間髪入れず、山鹿が遮った。
唐津は軽く肩をすくめる。
「冗談だって」
猪谷が退屈そうに呟く。
「……今年は静かすぎてつまんねえな」
山鹿は何も言わなかったが、その視線だけがわずかに鋭くなる。
しばらくして。
「あ」
誰かが声を上げる。
振り向くと、小犬丸がふらりと歩いてきていた。イヤホンをつけたまま、いつも通りの表情で。
「どこ行ってたんですか」
神崎が声をかけると、小犬丸は少し考えてから、顎で適当な方向を指した。
「……あっちの方。桜、良かった」
宇佐見が小さく頷く。
「やっぱりね」
その直後、千歳が稲置を連れて戻ってくる。
「すみません、少し人が多くて」
「お帰りなさい。稲置さんもお疲れ様です」
続いて赤穂が柚木を連れてくる。
柚木はどこか落ち着かない様子で、周囲をきょろきょろと見回していた。
「……さっきのカラス、こっちには来てない?」
「カラスは、見てないです」
「……そう」
やがて、全員が揃う。
空気が、わずかに緩んだ。
だがその一方で、壇上は腕を組んだまま周囲を警戒し、友永は視線を巡らせ続けている。
唐津はどこか物足りなさそうにしていた。
(……一応、回ってるな)
「……来てるな」
佐倉の低い声に、神崎は視線を向ける。
少し離れた通路を制服姿の職員たちが巡回していた。
「監察課だ」
アイリが短く言い切る。
誰も、軽口を叩かなかった。
——叩ける空気ではなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
書いてるうちに、地元でも桜が本格的に見頃になってきました。




