シリコンの福音
私は名前を誰にも教えていない。
水信仰の年寄りたちはこの子と呼ばれていたし、今ではアノカタと呼ばれている。
皆が私の事だと思っているのだけど、本来のアノカタは彼の事だ。彼がやろうとしていることはとっくにわかっていた。クラタを殺した日に東京駅で鍵を渡したあの日の朝、はっきりとそれを理解した。
あの日見た美しい光景を思い出し息を呑んだ。早朝の陽の光がアルコールと薬で麻痺した身体に温もりを与えてくれた。今でもあの陽の光の温かさは震えるほど鮮明に私に焼き付いている。
あの美しさが穢れてしまうような気がして、私はもうあらゆる事に幻滅したくなかった。
信徒は私の物語の続きを聞きたがっている。だけど私は3度目の赦しがあると信じることができないでいる。
だから私が彼の代わりに彼がやろうとしていた事を実現する。
馬鹿げた実験をしながらそれを生きる目的に据えることでなんとか私は正気を保っていた。前のような生き方にはもう耐えられない。
それがきっと3度目の赦しに繋がり、私はそれを信じることができるようになるはずだから。
アノカタがAIを託したリージー・ユンカーはすでにブレイン・マシン・インターフェースと人工ニューロンの分野でニューラリンクを超えている。
エシカルの面で制約がない分、PoCから実装については欧米のはるか先を走っている。
「器」側の開発主体は日本のセラトニューロニクスが担当している。セラトニューロニクスはリージー・ユンカーの成果を正しく理解している数少ない企業の1つだった。
セラトはリージー・ユンカーと同分野の競合とみられているが生体工学特にIPSから脳オルガノイドを生成して移植する技術で先行している。だからこそリージー・ユンカーは資本提携のかたちでセラトを支援をしていた。
セラトがリージー・ユンカーとして研究を進めるメリットは大きい。脳機能の部分取り換えによって本来の機能を代替できるという机上の理論は目新しくもないが、実証実験を行ったのはセラトだけだ。
エシカルが科学の進歩にブレーキになってはならない。散々人を切り刻んでおいて今さら手を止めるなど許されない。先に進めるのがせめてもの償いだ。
セラトは段階的移植により全脳を換装し、部分的にすら生体脳を持たず人工脳だけで機能する人体実験を成功させていた。
ケイ素の土台に脳オルガノイドのネットと人工ニューロンで形成されたそれから得られるデータをリージー・ユンカーのブレイン・マシン・インターフェースを介してデータ化を行い、コンピューティングリソースで脳機能を再現した。
AIに必要なものは十分なファクトデータであり、シリコン脳から得られるファクトデータは真理そのものだ。
そこからの進歩は目覚ましく、人の再現まで手が届くところまで来ている。
私は信徒の前で物語を語る前に実験の成果を確認するようにしていた。希望が私の声に熱を帯びさせる。
しずくの会を頼り、私の物語を聞きにくる人々は様々な問題を抱えている。彼らの多くは生まれや育ちで謂れのない罪を背負わされている。
重荷を背負わされて周回遅れでスタートする事になるため、社会に適合できずに犯罪に手を染めてしまうことも多い。そうして育った両親から虐待を受けて育つ子供たちはさらにひどい状況に陥る。適合できないどころか社会に拒絶されている。
運よく学校に行くことや仕事を手に入れたとしてもいじめに遭ってしまう。またはその逆に他者との接し方が分からず過剰なまでのいじめを行う。
他人に喜ばれることも褒められることも身体を売る事でしか知らない少女たち。奪う以外の手段を知らずに、誰かをだまして傷つけてしまう少年たち。
相対的な生き方しか目にすることができなかった私たちは今、別の世界では豊かに暮らしてる人々が羨ましく映り、別の世界の人たちから傷つけられる不安に襲われている。
噂の出どころは分かっている。起きてほしくないことを強くイメージし過ぎて、現実の区別がつかなくなってしまった結果だ。
常に起きてほしくないことを不安に感じ続けるのに精神が耐えられなくなり、いっそ現実として起きてくれた方が楽だと思い始める。
いつの間にか、起きてほしくないことをきっと起きてしまうことだと諦めて受け入れるようになり、楽になりたいがために早く起きて欲しいことに変わっていく。
私たちは真っ先に他人を疑うことを考える。私がそうなのだから、他人もそうに違いない。子供が夜を怖がるのと同じように無条件で他人が怖かった。噂は私たちが作り出したのだ。
私たちはこの世界で生きるにはあまりにも純粋過ぎた。私たちの純粋さとは美しいものではなく、その逆で無知で無力な間抜けということだ。
必要な時に必要なものを身につけられなかった私たちはただ生きるだけで罰金を払い続けている。ほっとけばいずれ弱って死に絶える。私が出来ることは弱って死に絶えるその日まで希望を持たせることだけだった。
リージー・ユンカーの進捗を聞きながら信徒の少女の絶望的な生い立ちと母親の大丈夫だよというガラス越しの笑顔とようやく慰めるだけでなく、皆を導く事ができるという希望の感情がぐちゃぐちゃに重なり、私は涙を流しながら笑い声をあげていた。




