方舟
ブロック経済により、利便性と豊かさが一時的に失われていた。需供のバランスが崩れてインフレとは異なり単純に物の価値が上がってしまった。FRBが発表する消費者信用残高は上がり続けている。
ロジスティクスを中心にリージョン内でのリバンスが行われれているが、実体経済の落ち込みは激しく、最新の失業率は19%を超えていた。
経済的に余裕がなく、朝食どころか昼夜兼用の1食で生活する人たちも珍しくない。
政府は事あるごとに「マイアミを見ろ」と唱える。実際に米国内の世論は核で反撃した事を正当だと考える層が多数派だった。だがそのおかげで国民の生活が困窮している。
いかりの矛先は政府に向けることはできずに溜まった鬱憤が暴動を引き起こす。サンディエゴ・イスラミックセンターのモスク襲撃を最後に米国全土のモスクは全て閉鎖した。各地で起こった襲撃事件の逮捕者は1名もいない。
インターチェンジ切断後にメディアも大きく変わった。ケーブルテレビは全面的にニュースを取りやめ、スポーツと過去のドラマしか流さなくなった。過去のドラマとは最もテレビを見る層である60代から70代が20代の頃に見ていたドラマのことだ。
理由は誰の目にも明らかだった。ルールが変わったのだ。いつの間にかファクトを元に物語を好き勝手に紡ぐのが当たり前になっていた分断前の世界。ファクトがあってこそ、それが許容されていた。
だがある日、突如として他のリージョンの事がリアルタイムに分からなくなった事で地元のニュースでさえもファクトの連鎖の中にあることを知った。その流れがどこから来てどうなっていくのか、というファクトの連鎖の本流がなければ、点の情報の意味合いは希薄化してしまう。それどころか、ウソを流すなという抗議が増える有様だった。
一般人からすれば事実とは、それは、ファクトの連鎖の中にあると見て取れるかどうかと言う事を指すようになっていた。そうなると分断された世界で発信されるニュース番組は誰の要求にも応えることができなかった。
ドラマも似たようなものだ。これからどころか今を風刺する事すらできず、ライフスタイルを含めて多くの人から共感を得る物語を提案をすることなど到底できなかった。
それに誰も全ての情報を得られると考えてはいない。多くの情報が欲しいわけでもなく、自分が欲しい情報だけで十分だった。それだけでさえ取り込み切れないほどだ。
日本の地上波も少し遅れて、それでもこれまでとは比べものにならないほど早く、米国の動きになぞらえた。クリスチャン由来のコモン・ローが共通認識のベースとして機能しない日本にエシカルな練度は直接的には伝わらない。これまでは、社会科学や民族学的にも観測できる一定の合理だと考えられていた。
だがリージョンが切離されて、公共性のある旧メディア、つまりテレビのニュースやドラマなど情報が大幅に減ったことで改めて分かったことがある。
多くの一般人は文章を正確に読むことができない、あるいは聞くことができず、その差が学力に現れる。そうこれまで考えられていた。要するに頭がいい人間は見聞きが達者で頭が良いと思われていた。
だが実際の知能や遺伝の仕組みはそう理想的で美しいことではなくAIやコンピューティングリソースの処理原理と同じだった。
処理しようとする情報量が多すぎればパフォーマンスが落ちるというだけだ。
だからこれまではフィジカルの性能が高い人間と、いらない情報を処理せず、必要と言われた情報のみを処理する人間が同列で頭が良いと評されていた。
しかし、得るべき情報が少なくなると、それを素早く読み取る必要もなくなる。
時間をかけて正しく聞き、正しく読む事で十分に発信者の意図が伝わるという単純なことが機能するようになったことで、誰もが自身の指向にあった情報を選り分ける必要に迫られる。人は興味のない事にいつまでも向き合っていられなかった。
経済合理性に価値がなくなり、統計が機能しなくなるとこれまで優れた能力があると評されていた層の大部分が世相のベスプラをなぞるだけの無主体の存在であったことが露わになり、急速に無能化していった。
旧メディアが分類していたティアの概念が瓦解し、採算の見合わない旧メディアのチャネルに比べて独自色が強いニュースチャネルや偏った個人思想を持つ配信者が急速に勢いを増した。
しずくの会も独自の配信チャネルを持っている。小規模のニュースチャネルを買収して、しずくの会というフィルターを通したニュースや討論番組などオリジナルコンテンツを作成している。
特にイスラム圏や中国とのパイプを生かしたニュース番組は米国リージョンで最も信頼のおけるソースの1つになっている。
だが、しずくの会はジャーナリズムを持った報道機関ではない。しずくの会のニュースや討論番組がとりわけフォーカスするのは、リカが話す物語であり、突き詰めればドグマに書かれた詩篇に関係するものだけだ。
過去の重荷を背負ったままではこれから幸せに生きる事ができない。しずくの会の唱える赦しとはつまりそういう事だ。
そしてその先に、2度目の赦しを得て再び蘇る事ができるという教義の根幹がドグマの詩篇として語られ得ている。
しずくの会のフィルターとしてこの2点が機能する。2度目の赦しについては解釈の幅が大きく、討論番組で常に議論されていた。
社会が分断し、そして先鋭化していく中、米国リージョンではある噂が広がっていた。
それは米国以外のリージョンはすでに結託してインターチェンジを繋ぎ、以前の日常に戻っているというものだった。
他のリージョンは以前のような豊かさをすでに取り戻しているという疑心暗鬼が世間に広がる。その噂には中国製のモジュールを組み込んだままの初期の衛星から米国リージョンの惨めで貧しい生活をのぞき見て楽しんでいるという尾ひれまでついていた。
やがて噂はさらに過剰になり、米国リージョンが弱りきって、悲惨で見ていられなくなるほど、つまり、観察して楽しむには飽きた頃に、全ての核を米国に投下して新たな平和条約を結びグローバル経済を進め真の豊かさを手に入れる「オールブルー」計画が進行しているのだという。
米国リージョンは世界が1つになるためのスケープゴートにされたというわけだ。それは建国以来250年もの間世界を支配し、混乱させてきた罪に対する罰でもあった。
世界をリードしてきた自負とその誇りは、他者から見れば支配と蹂躙、そして振り回され続けた屈辱の時間だったというわけだ。
自分が引き起こすパラダイムシフトは熱狂と興奮を伴うが蚊帳の外に置かれればそれはうんざりするだけのまやかしに過ぎない。
その噂が広まるにつれて、困惑する米国リージョンの人々と同数程度、ある種の理解を示す人々がいた。決して忘れることはできない建国の歴史、フロンティアの精神と迫害の歴史を見ようとする層だ。彼らは罪を認めるとともに新たな希望を探していた。
そして彼らはしずくの会にその答えを見いだした。




