変革
1月の1週目にヒラカワの自宅火事により2名の焼死体で見つかる。火元はタバコの火の不始末で事件性はなく、2名の遺体はヒラカワとミウラとして処理された。
ランサムウェアの被害件数が跳ね上がったのは2月に入ってからだった。拡大したデジタル空間上の被害はそれだけではなかった。仮想通貨に関する被害は特に深刻で国際送金のために仮想通貨を利用していた民間企業が特別損失を計上するたびに市場が混乱した。仮想通貨取引所から盗み出された総額は年内だけで仮想通貨全体の20%を超えるほどだった。
最初に一般人が異常に気が付いたのは何の変哲もないプロサッカーチームの記事だった。いつもの通り1試合ごとに監督更迭のうわさが絶えないトップリーグの上位チームがとうとう監督更迭に舵を切ったというものだ。
その記事の監督の名前は4シーズンも前の元監督の名前になっていた。新たな監督候補の名前は現役の若手選手の名前になっていて、記事の途中ではチームの愛称すらも別のライバルチームの名称が使われているありさまだった。
AIに頼り過ぎだと嘲笑されたのはその日から数日もなかった。同じように人物や場所の固有名詞は正しいものの、事実がめちゃくちゃな内容のネットニュースが爆発的に増え始め、春になる頃にはインターネットに流れるニュースの体感6割が情報として意味を成さないものになっていた。
ちょうどその前後で米国の原子力発電所3か所が同時にサイバー攻撃によるテロ被害を受けるという大きな事件があった。
2年後に廃炉を計画していたマサチューセッツ州のビルグリム原発1号機は8年前にセンシングデバイスで観測可能な制御系のシステムに刷新している。その際に熟練技師から若手主体の運用体制に切り替えが進みオンサイト保守からリモート保守の体制となっていた。
民間電力会社の電圧制御系ソフトウェアを主経路として、振動観測用のセンシングデバイスを介して外部接続していないビルグリム原発内部の新たに導入された制御系システムに入り込んだ。
蒸気タービン内の圧力が閾値を超えてなお加圧され続けているにもかかわらず観測モニタには正常な値を描画していた。炉心温度が上昇し続け、18時間後に炉心が溶融し、高温の燃料を包んでいたジルコニウム合金が水蒸気に反応して水素が発生し、水素爆発を引き起こした。同じ事象でイリノイ州のケアド・シアーズ原発2号機が水素爆発を引き起こしている。
事件後の調査で2基の原発の制御系システムとセンシングデバイスのアーキテクチャと設計を手掛けた企業の内部GitHubに侵入の痕跡が発見された。
残りの1件はテキサス州にある民間軍事企業の開発拠点から発射された大型の自律型戦闘機がテネシー州で稼働を始めたばかりのワッツバー原発2号の建屋を爆破させ、冷却プールが損傷した事件だった。
冷却プールの損傷後、圧力容器内の温度が上昇したが常駐する保守員により即時対応を行い、32時間後に通常運転まで復旧している。撃ち込まれたドローン2機により、冷却プールと炉心隔壁に穴が開く被害があったが原子炉格納容器までは到達しなかった。
開発拠点内の工場で利用されていた電力供給装置の一部に利用されていた中国メーカー製の変圧制御機に組み込まれていたリモート接続用のデバイスから侵入されていた。変圧制御機は従来から設計に記載のないモジュールが組み込まれているという指摘を受けて米国内への輸出が禁止されていた製品だった。当然、中国当局と既に当時のCEOを解任することで幕引きをしたつもりの開発メーカーは関与を強く否定している。
混乱の最中、SNSでは中東の原理主義国家名義で声明文が出された。ディウィニタスは中東に渡っていた。直接ソースコードを提供した先はイランだが、金を出したのはサウジアラビアだった。実践投入してうまくいけばサウジアラビアもそれを使うことが出来る。核と同じ図式であり、誰もが知る公然の秘密。矢面に立たされるのは常に持たざる者だった。
ディウィニタスを渡すために中東側に課せられた条件は金だけではなかった、アニクドートの提供先を中国から見つけることがコウガミのオーダーだった。指導部本体との適切な距離と十分な資金力、そして技術力を持った深圳のスタートアップ「礼智云科 = リージー・ユンカー」が選定された。提供から3週間後にLLMのソースコードをオニオン経由でネットに流すことをリージン・ユンカーのトップに伝えるとVCから集められるだけの金を一括で集め、ピックアップしていた優秀な研究者から学生まで全てを雇い入れて24時間体制で自社製品への組み込みを進めた。
2月になって流出したソースコードを使って様々な事件が発生する裏でリージン・ユンカーがリリースしたLLMはテック界隈で話題となっていた。
介在させたことで中東にアニクドートが渡ったことは確認するまでもなかったし、コウガミもそれは承知だった。それを示すように3月から中東は独自の衛星通信網を展開し始めている。
米国の衛星通信会社のスターリンクがキャリア間の相互接続用エクスチェンジ部分を独自AIで制御し、汚染があるコンテンツとそれを野放しするキャリアを経由した利用者を一方的に切断し始めたのは2月中旬だった。
6月に入ってすぐにスターリンクがエクスチェンジから脱退して、旧インターネットとの接続を完全に停止した。米国は衛星打ち上げ費用を国家予算から民間会社へ補填する形で拡充を進めている。
中国政府はリージン・ユンカーをバックエンドにした衛星打ち上げ企業に資金を提供し、ロシアが独自の衛星通信網を始める。EUもまたドイツを中心に衛星通信網を始めている。
旧来のインターネットから正しい情報を得ようとするものはおらず、当然新しい情報をあげようとする者もいなくなり、それでもアダルトコンテンツを中心に収益を上げ続ける管理が行き届かないスペースは消されることもなく維持され続け、不正な情報をインプットに新たな情報を生成し続けるAIによって旧来のインターネットは汚染され続けている。
自国で浄化機能を持った通信網を築くことが出来ない国はリスクを抱えながらも米国、EU,中国・ロシア、中東のいずれかの陣営の衛星リンクに対価を支払い接続させてもらうしかなかった。
一般人やテック界隈ではネットの汚染とサイバーテロに話題が集中している。アルコンからソースが流失したことは公表されていない。原理主義国家が声明を出したテロについても、戦争AI「ディウィニタス」の関与が示唆されることもなかった。
コウガミは莫大な資産と中東との軍事的なコネクションとリージン・ユンカーを背後にした中国のギガワット級AIデータセンターを占有する権利と技術力を得た。
コウガミは資金の一部を使って、優先的にニューラルリンクの適合手術を受けていた。合併症の心配がなくなり、自力での歩行が出来るようになったのは梅雨の季節に入ったころだった。コウガミと同じく回復まで確実に支援できるだけの自己資金を持った先鋭的な人間だけが適合手術を受けることが出来る。まだモラルと自己責任の整合が付かない現在では公表されることはなかった。
同じく資金を得た後、コウガミの手術を知り、自身も適合手術を受けていたリカは、夏の終わりに後継者がいなくなり売りに出されていた信仰宗教「しずくの会」を買い取り、読み聞かせ会の形をとりながら自身が夢見る理想を語る場を作った。それから趣味のボートレースの借金で首が回らなくなっていた日蓮宗派の住職を手なずけて配下に置き、檀家から読み聞かせ会への参加者を徐々に増やし、理想を形にし始めていた。




