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カウントゼロ  作者: Co.2gbiyek
2048bit
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24/25

奪取

 年が明けたら早々にアルコン日本支社のトップが課長へあいさつを行う予定だ。ヒラカワと私が東京までアテンドすることになっている。ステファンはそこには同行せずに本社に帰るのだという。東京でヒラカワと課長が直接顔を合わせるのは面倒だ。コウガミとの約束の期限も近い。


ステファンは年末に有明で行われる日本のアニメイベントに行くつもりだという。民間企業に勤めていた時に、セキュリティイベントでブースを出したことがあるため、国際展示場に入ったことがある。会場の案内できますよ、というと自然な流れでステファンに同行することが決まった。ヒラカワや他の署員はみな興味のないイベントのためにわざわざ年末の都内に出かけたくないのだろう。

 

 ステファンはイベント初日の混雑さえも楽しんでいるようだった。見て回る背中を見ながら特に何かを購入することが目的ではないのだと分かった。


 夕食にと予約しておいた和をテーマにした鉄板焼き料理の店を気に入ってくれたようだった。ステファンを見ながら大学の研究室時代の友人たちを思い出す。自分を含めておとなしい人たちが多かった。そういえば知的な人がアニメや漫画に強く惹かれるのはどうしてなのだろうか、ふと疑問に感じてそれをステファンに話した。


「ほとんどの場合、アニメや漫画はシンボルでしかないんだよ。探しているんだ。僕らが思春期の始まりに少し凝ったアニメをみた時の感覚をね。今でも高揚した感覚が思い出として焼き付いているんだよ。それを思い出せるようなものを探してしまうんだよね。実際、僕の好きなアニメは今でもその頃に見たものだよ。新しいアニメに変わったりしない。例え今のアニメの方がよく練り込まれていて、ロジックに矛盾がなかったとしてもね。」


 きっと香水みたいなものだろうと思った。高校一年の時に初めて買った香水の匂いを嗅ぐと一瞬であの頃の感覚がよみがえる。それは初めて好きになった先輩がつけていた香水を教えてもらい真似をして買ったものだった。ステファンの言う高揚した感覚の意味が分かる。今では嫌な感情は風化して残っていない。


 最も好きだというアニメを私に見せるためにスマホを操作している間にシャンパングラスにリスペリドンを0.25mg垂らした。内向的な人間は常に緊張状態であり、警戒心が高い。早口でまくし立てるように喋るステファンもその特徴が見える。リスペリドンは私に処方されていた非定型抗精神病薬で脳内のドパミン過剰状態を抑えることで不安や緊張感、イライラ、興奮状態を取り除く。クロザリルの方が効果が早いが確実に味で気が付かれる。


 ステファンと一緒にシャンパンを一口飲んだ。2か月ぶりのアルコールだったが、それよりも今日の計画の方がより私を高揚させている。


 ステファンが「アニクドート」について語り始める。ステファンが6年前に実装したモデルのコードネームはラテン語で「素朴さ」を意味する「ルスティクス」だった。それは学生の時に画像や文字列の正誤判定から始めたモデルだった。その後、グラフィカル用の演算ユニットを転用することで学習のデータ量とパラメータが爆発的に増やせるようになったことや、それと重なるように最初の顧客がコールセンターの事務作業をこなすことを望んだことで様々な取り組みを実装する理由が出来た。


主にプログラムソースを生成するために「ルスティクス」に追加のファインチューニングを行ったものが初期の「アニクドート」だ。それから追加のデータセットがどれほど加えられたか分からないがすぐにブランチから外れて「ルスティクス」からスピンアウトした。


 少し余裕が出来たらまた動画を自動で生成するプロダクトに取り掛かりたい。toC向けのサービスとして別のチームを作って取り組んでいたのだが、アルコンの集中と選択から外れてしまった。


 動画生成に特化したモデルは個人の趣向をインプットに自動でアニメを造り出すことが出来る。個人に最適化された映画やアニメが作り出され、いずれみんなが同じコンテンツを見ることはなくなる。プラットフォームに組み込まれたモデルが各個人の趣向データを並列化して共有することでクオリティは上がり続ける。


 サブリミナルで他人の趣向を試しならが効果が理想であれば差し込んでいく。共通のアニメを見ていた僕らは個別最適化に向っていく。ただし最終的には並列化されて統一された巨大な趣向に向って流れ続ける。ステファンがうっとりした顔で、つぶやく。


「個人として他人と分かり合うことが出来なくなるのに、みんな同じ世界を見ている。」


 1時間が経過するころ、自らのことを静かに語り始めていた。ステファンが私に好意を持っていることには気が付いている。頃合いだ。


「PAが書いたコードを見てみたいな。」


「やっぱり?ミカさんもエンジニアだもんね。見たいと思うよね。この言葉を聞くといつだってうれしいよ。ああこの人も同じなんだって思える瞬間だからね。


 きっと僕のPAが書くコードを君も気に入ると思うよ。僕と同じように注意深くてポジティブなコードを書くんだから。そうだ、今から僕の泊っているホテルに来ればいい。」


 アルコンに予定を伝えて手配されたのは台場のヒルトンの控えめなスイートだった。ステファンは部屋に着くなり、中央のソファーに座り、ノートPCを開く。私も隣に座って画面をのぞき込む。画面操作中のURLや表示されるシグネチャーを注意深く確認する。社内に用意しているGitにソースを入れている。


「見て、ミカさん。これが初期のモデル「ルスティクス」でここからコンタクトセンター用のモデル。彼らの夢のコンタクトセンターを実現するって意味を込めて「ファキオ」と名付けているんだ。」


 ステファンが開けたワインを一口飲む。彼のグラスに私が処方されていた睡眠薬のゾルピデムを5mgの半分垂らして様子を見る。不慮の事態は避けたい。心臓発作やてんかんやひきつけを起こして万が一死んだらまずい。


 時計を見る21時を少し回ったところだ。15分もしないうちにステファンがソファーに横になる。ステファンのノートPCを操作してローカルリポジトリを確認したが「ディウィニタス」は持っていなかった。


 Git側のコンタクトセンター用のLLMを見るとそれぞれがブランチしていることが分かる。今は別々のものだが元々同じものだったというのは本当だろう。すこしためらったが「ディウィニタス」のソースにもアクセスできることを確認して、ローカル側に展開するためにイニシャライズをかける。


 実行コードと初期トレーニングデータセット、パラメータ、ファインチューニングデータの全てがローカルにSyncされるのを眺めていると背筋からくる寒気で震えた。


 Git側の履歴に残るのは確実だった。悪ければ何らかのトリガーを引いてしまうので今すぐにステファンに確認の連絡が来るのではないかとびくびくしていた。ステファンはアルコンの初期メンバーで「ファキオ」のリードエンジニアだ。戦争用のモデル「ディウィニタス」にどれだけ関与しているだろうか。フルコントロールのステファンがノーチェックで触れられる状態のままにしているだろうか。


 不安が頭をめぐる。ステファンを見ると苦しそうにおう吐して、うめいていた。吐いた後に何かを詰まらせ呼吸が乱れている。慌てて指を突っ込んで吐しゃ物を吐かせるとその姿勢のまま寝息を立て始める。アルコールのせいでこめかみがうずく。拡張した血管が脈打つのが分かる。血流の音が鼓動とリンクして聞こえている。


 どっちにしろ、私も犯罪者の仲間入りだ。だが両親や兄妹へどんな影響を及ぼすか想像するととてもコウガミのように平然としていられない。更に寒気を覚え、それを拭うように首筋に手のひらを当てて体温を感じることで自分を落ち着かせる。実際には身体は冷えていなかった。


 やらなければどうせ終わりだ。クラタの開けたままの目を思い出す。今さら引くこともできない。用意したリンクケーブルで自分のPCとステファンのPCに繋ぎ、直接データを取り出す。


 コウガミやサングラスの女を想い浮かべる。これをどう使う気だろうか。ソースがあるのだからディスティレーションなんかしないでパラメータファイルをほぼそのまま利用するだろう。「アニクドート」と同レベルのモデルが突然現れたら世間が騒ぐ。テック界隈ではすぐにこの真相に気付くだろう。トレースすれば今日のこのことが発覚する。どう肯定的に考えても自分にたどり着く。


「ディウィニタス」の流出はさらに深刻だ。どんな国でも大国と同レベルの最新の戦術が展開できる。 身体が震えて、呼吸がうまく出来なくなり、ボトルから直接ワインを飲んでゆっくりと深呼吸する。だがリンクケーブルを外そうとしない自分がいる。恐怖や不安とは別に自分に別の感覚があることに気が付いていたからだ。それは背筋から背中全体に伸びて、くすぐるようなしびれ、恐怖や不安を感じる度にしびれに変わり、胸に絡みついて締め付ける。


 何かが背筋を通り抜ける様な感覚に声を漏らしそうになる。引き返す方法や家族のことを考えるべきだった。そうするべきだった。だが、もう一度甘いしびれを味わおうとする自分を止めることが出来ずにいた。


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