オーバーラップ
南スラブ系にルーツを持つアメリカ人のステファン・ヨヴァノビッチは自ら望んで、今回のイベントのサポートエンジニアとして同行することにした。ステファンはどうしても日本に来たかった理由がある。例え、アニクドートの提供先の一つで訪問先となっている権力側、日本の警察組織があったとしてもだ。
僕の父親が25歳の時、セルビアとクロアチアが紛争を始めた。セルビアから移民としてアメリカに渡った両親は自分たちの人生を削って、僕を大学に行かせるような人たちだ。後から知ったことだが、僕が生まれた時にはインターネットバブルが終わった年だった。僕らの世代はビジネス抜きに当たり前のようにネットを使っていたし、上の世代が妄想や夢を膨らませるためにSFを手に取っていたのとは違い、僕らは価値観の違いを知って共感するためにさらに熱心に80年代のSFを読み耽っていた。
だから僕らはテクノロジーが思想を根本から変えることを信じているのではなく、理解している。それは思春期の繊細な真皮のような感性に鉄ごてで焼き付けられたようにその理解は今でも変わらなかった。
テクノロジーを理解していない人間はいつもずれている。テクノロジーを理解せずに蒸気が発明された時代にエンジンを想像することはできない。ずれているとは、今まで使っていた幌馬車を蒸気で動く馬に引かせることを想像することだ。
AIを使うということも同じだ。彼らは人間の事務作業をAIに代替させようと思っている。アルコンが開発したAIを最初に導入することを決めた企業が求めていたものは、自社で運用しているコンタクトセンターのオペレーターをAIで置き換えることだった。僕らはコンタクトセンターそのものが不要だと訴えたが彼らには理解されなかった。
あきれた僕らはそんなにコンタクトセンターが好きなら、人が運営できるオートメーションのコンタクトセンターを作ってやろうと半ば投げやりに提供した。その出来損ないのポンコツはこれまで企業が抱えていた7割の人員を代替して稼働し続けている。
本当は残りの3割のオペレーターも必要なければ、彼らが働くオフィスすら必要ない。そんな機能はスマホのアプリで結果を受け取るだけで十分だ。顧客は誰もそれを求めてなんかいない。
それなのに、どの企業も同じものを欲しがり、そのせいで僕は2年もくだらないことに付きっきりになって他の事は後回しになってしまっていた。
もっと注力しなければいけないのは「アニクドート」だ。アルコンのエンジニアはもうほとんどコードを書くことに時間を割く必要がない。エージェント機能である「PA」を利用すれば大きなタスクを自ら分解して24時間休むことなく実行し続けることが出来る。その結果、僕らはコードを書くことよりも正しい構造をデザインすることに注力するようになり、生み出されるプロダクトの格が段違いに高くなり、世間を騒がせ続けている。
目的を要素分解して、その関連性を正しく定義していく作業は一人でやるべきことだというのが持論だ。正しい目的を定義することが最も重要だ。ほとんど全てのエンジニアが賛同してくれている。オーナーシップを分担するべきではない。それにコード実装を担当するのは自分の癖を理解したPAだ。余計な口を挟まないPAの方がおせっかいな人間よりもクオリティが維持され、当初の目的を達成するためにふさわしいプロダクトが完成する。
目先のビジネスだけでは正しい目的を定義することはできない。だからアルコンには思想が強いエンジニアが集まっている。それは元々の専攻が哲学や生物学、文化人類学などコンピューターサイエンス以外の博士号を持っていることにも表れている。アルコンは実装すること以外に興味がない人間を採用しない。AIを造り出すのに最も必要なマインドセットは正しい人類の進化を望むことだ。商業的な成功を目的とする人間は別のAIスタートアップに行けばいい。
アルコンのエンジニアは思想だけではなく、SFに造詣が深い。そこに登場するテクノロジーそのものではなく、それを使って進化した人類の未来とその価値観に共感しているからだ。
80年代のSFはブームが去ってから一般人には誰にも見向きもされなくなってしまった。今では新しいムーブメントを生み出す力もなくなっているが、アルコンの様なコアで現代的なテック企業の従業員のバイブルであり続けているということも事実だ。
だけど、日本はどうだ。日本のアニメやマンガは1980年代の続きを見せてくれている。SF好きなら誰もがこの国にあこがれる。僕が日本に来たかったのはテクノロジーを理解し、共感している先鋭的な国だと確信しているからだ。
「アルコンのステファン・ヨヴァノビッチと申します。自社AIの開発とクライアント企業様へ適合させるためのカスタマイズ実装を担当しています。」
名刺交換は不慣れだ。そもそも日本に来るまで名刺を刷ってもらっていなかった。初めて見る自分の名刺の肩書には「FDE (Forward Deployed Engineer)」と記載されている。聞いたこともないし、初めて見る肩書だった。僕らのビジネスを正しく展開するためにはどのように自社のエンジニアを顧客に見せるか、その見せ方に思想が反映されている必要があることは理解しているつもりだ。だけどやっぱりそのあたりを理解できない人たちとコミュニュケーションを取るのは苦痛だ。本当にくだらないと思っている。
くだらない名刺を丁寧に配り初めて5人を過ぎて、うんざりしていた時だった。真っすぐに僕を見る一人の女性を見て息を呑んだ。ティーンの様に幼く、体の線が細く背も小さい。切れ長の奥二重の目と小さく整った鼻と薄い唇が彼女の線の細さを際立たせる。見た目から想像できる声とは違い、少し低い声で彼女が何かを言い、僕の目を見て小さく会釈すると艶のある柔らかそうな黒髪が揺れた。
日本に来てからどうしても好きなアニメのキャラクターと日本の女性を重ねてしまう。12歳の頃に見た北欧神話と仏教とSFの要素を取り込んだ日本のカルトアニメに影響を受けた。極端に抑圧的で感情を見せない美しいヒロインを見た時、嫌悪感と同時に別のそわそわするような高揚感が沸き起こり、気持ちが落ち着かなかった。今ではそれが性的な独占欲であったことは容易に理解ができる。
もらった名刺の名前をあらためて見直す。今、目の前にいるミウラ・ミカはまさにその時の感情を当時のそのままに蘇らせた。
日本の男性は世界的にもシャイだと聞いた。その日本人と比べても僕は際立っていると自覚している。シャイな男性。それが日本ではスタンダードな精神として成立する理由をすぐに理解した。僕は目の前にいるミウラ・ミカに敵意を感じることもなければ何か気を使わなければいけないという圧力を感じることもなかった。ミウラ・ミカはただ優しく、そして、僕の反応を伺うように少し不安そうな目で僕を見ていた。




