アプローチ
初日に言い渡された業務は県警察本部のリプレイスメント推進担当ということだった。ヤマシタ警部補から本部情報管理課の所属になることは聞いていたが、警察庁主幹で進めている各都道府県警察のOA機器のリプレイスメント計画のことは知らなかった。
「課長の下で自分とヒラカワくんが分担してやっていたんですが、とりまとめ出来る人がいなくて、参っていたんですよね。ミウラさんに入ってもらえると助かります。夕方にこれまでの内容を説明しますので予定入れておきます。」
今まで私が使っていた業務PCはそのまま利用できるということだった。ログインして、表示されるメニューを確認すると、想定した通り、全く違うものになっている。刑事として外に出る様な業務だとばかり思っていたので、安心して力が抜けた。多分私はもう。そう考えていた時に声を掛けられた。
「ミウラさん、お久しぶりです。復帰したんすね。もう平気なんですか?」
振り返ると、ヒラカワが立っていた。ヒラカワ・ユウイチはクラタの同期で警視庁の同じ課に所属している。元々こちらの警察署が古巣だということもあり、半年ほど前から警視庁所属のまま拠点を移して宮城県の事案に関わっていたはずだ。
まぁね、と答えて笑顔を作り、ヒラカワの顔を見る。
「ミウラさんもご存じだと思いますが、あれ、ようやく年明けに動きだします。今のところ静観中ですので、普段はヤマシタ警部補の手伝いをしているんですよ。で、ミウラさんの事を聞いて、少しずつ復帰するならぜひ一緒にと思って、ヤマシタ警部補に伝えておいたんすよ。」
短く整えられた髪は分け目をつけてきちんと固められている。シャツの第一ボタンが止められそうにないほど首が太く、耳がつぶれている。レスリングあるいは柔道だろう。
「そっか、外はあんまり気が進まないからいやだなと思ってたんだ。さすがヒラカワくんだね。気を使ってくれてほんとありがとう。」
私はコウガミの要求を呑むつもりだ。コウガミが私に手渡したものはウォレットのアドレスとキーが入ったメモリだった。ウォレットには10万ドル分の暗号通貨がストアされていた。裏切ることも考えたが、コウガミの仲間だという女が病院に現れてその考えは消えた。コウガミが単独犯だと勝手に思い込んでいた。その女はくたびれたトレーニングウェアとキャップ、日差しを避けるため‥入院棟では他人と視線を合わせるのをさけるためのサングラスをかけていた。
どれもあそこの患者がよく身に付けているようなものだった。だが、他の患者たちとはまったく異なる女のスタイルの良さに目がとまる。ウォレットは手付。それとは別に依頼のモノと引き換えに相応の報酬を支払うという。4週間以内に引き渡せ。隣に座った女は私を見ずに前を向いたまま喋っていた。
女の方を見る。こめかみ辺りの髪をピンク色に染めている。薄い肌が20代を思わせる。もしかしたら10代かもしれない。何気なくサングラスの奥の目をみて恐怖を覚えた。私はこの目を知っている。理性と身体が一致していないから、どこを見ているのか分からない。こういう種類の人間は誰も見ていないから瞳孔が開いて見える。女は連絡用のスマホ、それからチャットルームのアクセス方法を残していった。
「お礼したいから、こんどゆっくり食事にでもいこうよ。」
ヒラカワと視線を合わせる。こちらに来る半年前、覚えているだけで3回食事に誘われ、その内1度だけ付き合ったことがある。その時、ヒラカワが期待していた答えをからはぐらかしたままでいた。私はついている。こいつを使えばコウガミの要求に答えられるかもしれない。
ヒラカワは独身寮から出てマンションを借りて住んでいた。独身寮を離れるのはそう珍しいことではない。特に地方なら家賃もそう問題にならないからなおさらだ。一人暮らしのヒラカワのマンションに私が出入りするまで時間はかからなかった。
クリスマスに食事をしてから二度目にヒラカワの家に泊まった時だった。夕食のかたづけをしながら何気なく話を切り出す。
「私ね、落ち着いたら戻ろうと思ってるんだ。課長にもそう話したんだよね。」
「え、モリタ課長と連絡とってたの?」
「うん、結構心配してくれているみたいで、連絡してくれるんだ。でも課長にも他の人にも言わないでね。」
嘘だった。課長とは一度も連絡を取っていない。
「やっぱり、ミカに戻ってきてほしいんだ。技術系の人に一人でも抜けられると、うち一気に戦力ダウンするもんな。」
「うん、そうみたい。ねぇ、うちの課でも新しいAI使えるようになったんでしょ?ユウくんも触ってみた?」
「そうそう、使い込めっていわれているんだけど、まだ全然。研修用動画見ただけなんだよな。」
「そっか、なかなか時間とれないもんね。ねぇ、ちょっと私も見ていい?」
「いいよ。あ、そうか、ミカってアカウント削除されちゃったんだっけ?」
「消されてないけど、こっちの署の権限だけになっちゃっているんだよね。ユウくんのアカウントは両方とも権限あるんだよね?」
「そうそう、宮城の方をつけてもらってるから、そのまま使えてる。」
ソファーに座っていたヒラカワがテーブルの下に置いていた業務PCを取り出して開こうとするのがキッチンから見える。慌ててリビングに向い、ヒラカワの後ろから腕をまわして首筋にキスをして抱き着く。ヒラカワが入力するディスプレイの文字列とキーボードのタイピングを注視する。スマホのワンタイムトークンを使っているのでそちらのロック解除も必要になる。
「あ、ほんとだ、こんな感じなんだね。コンシュマー向けのと見た目変わんないんだね。」
「動画見る感じだと、制約が違うんだってさ。コンシュマー向けのAIは答えらえれないって返すじゃん?こっちは制約が無いんだって。」
「へぇ、ちょっとその動画も見てみたいな。」
研修用の動画がわざわざ内部向けに作っているのだろうか。そうであれば何に対して制御をかけているか、情報があるかもしれない。コンシュマー向けは回答不可だけでなく、外部からどんな制御があるか容易に判断ができないように意図的に回答レベルさげて返すようになっている。クエリやトークンの上限閾値、インテリジェンストラップ、ビヘイビア監視はあるだろうか。
「しばらく触ってみたら?どうせ戻ってきたら、使うのはミカたちが中心になるんだからさ。あ、そうだ、開発元のアルコンって会社のエンジニアがこっちに来ているみたいだから話してみる?」
「えっ、それほんと?いつ?」
「来週仙台でメディアと大口顧客向けのイベントやるらしくて、もうこっちにいるみたい。今週中に署に顔を出すって言ってたけどね。」
そういって、ヒラカワは予定表を見て、木曜にアルコンのエンジニアと面会する時間がとられていることを教えてくれた。
アルコンは上場前のAIスタートアップで創業当初、コンタクトセンター向けのAIで莫大な利益を上げ、その売り上げを原資としていくつかのAIモデルを展開していた。もっとも有名なモデルは、システム開発用のモデル「アニクドート」と主にドローン兵器や兵器転用された弾道ロケットなどの複数デバイスのリアルタイム制御と個別情報の統合・並列処理を高度化したモデル「ディウィニタス」があった。コンシュマー向けに提供されているのは「アニクドート」に大幅に制御を加えた「フィーリア」だ。
アルコン本体がフィーリアの販売ライセンスを持つ日本代理店を買収し、日本支社の母体にしたばかりだ。だから、まだ日本には営業機能のみで、エンジニアはいないはず。今来ているのは本社の実装エンジニアの可能性が高い。アルコンに近づけるチャンスはここしかない。




