折れた心
コウガミ・サトルは新宿中央口のルノアールに現れなかった。コウガミ・カヨコとも連絡が取れず、地元警察を使って連絡をつけようとカヨコの住所を伝えた際に、彼女が3日前に自殺したことを知った。その翌日にクラタは私の部屋で何者かに殺された。もしクラタではなく私が部屋に入っていたら殺されたのは私だった。私を殺しに来ていたのだ。
クラタ殺害に関する重要参考人としてコウガミ・サトルが捜査対象となった。同時に公安側にも情報がまわる。カネマツの件を公安側でも調査していたのだろう。うちの課はカネマツの件から手を引くことになった。話の本筋が見え始めたということだ。ただし、クラタ殺害は別件として継続して私たちが捜査に当たる。仁義を通してくれたということだろうか。第2にいたクラタの同期が椅子を蹴り飛ばし、課長がそれをなだめているのを見ても私は自分の仕事を続けていた。私は何も感じることが出来ず、いつものことだと他人事のようだった。
コウガミ・サトルの交友関係も範囲を広げて洗われた。システムコンサルティング会社で務めていた時の上司や同僚の評価は高かったようだ。会社を辞めた理由は、あくまでも自己都合の退職と言うことになっているが、実際のところは部下が引き起こしたセキュリティインシデントを気に病んでいたことが起因しているのではないかということだった。ここでもそれほど深い人付き合いはなかったようで退職してから連絡を取っている人物はいなかった。
コウガミの電話番号から契約情報を調べたが、サクライ・アキト名義だと判明した。カヨコのスマホにコウガミの情報が残っているかもしれなかったが実家にはないという。カヨコの遺体を発見したのはコウガミだ。カヨコのスマホもコウガミが持っていったのだろう。おそらく、その時に実家にある自分の情報は持ち去っただろう。調べているがめぼしいものが出てこないということはそういうことだろう。
カヨコの葬儀の段取りもコウガミがつけていたが、火葬の立ち合いにも現れていない。元々火葬のみだったようで檀家となっていた寺の住職がカヨコの遺骨を持ち帰ったという。コウガミを辿るための手掛かりはきれてしまっていた。
鑑識の結果と合わせて私の家から盗聴器が検出されたことが分かった。ただの盗聴器ではなく、OSを備えたもので、無線ネットワークに接続したLANドライバがプロミスキャスで作動していた痕跡があった。通信データを傍受していたということだ。さらに盗聴器にはSIMが取り付けられており、傍受したデータが外部に送られていた。
SIMの持ち主はマス向けの通信カードなどのレンタル業者で借主は外国国籍の旅行者名義だった。データ転送先は調査しているが、この仕組みはとばしのテンプレートだ。データの送付先となるのはフリーレントのオブジェクトストレージか、有料のモノだとしても仮想通貨用のウォレットで支払いがなされているだけだ。海外で開設できる仮想通貨用のウォレットから個人を特定することはほぼ不可能だった。オブジェクトストレージからデータを取り出す際には踏み台を介したウェブ経由でアクセスされる。辿りつけてもマルウェアに感染した一般人のボットPCまでだ。
クラタの葬儀は社葬として扱われた。この間まであんなにも嫌な野郎だと思っていたのにもう居ないんだなと思うと、とても不思議な感覚だった。4年程度仕事をしただけの仲だった。それなのにずっと昔から知っている旧知の仲のような感覚が残った。結局、好き嫌いではなく、一緒にいた時間と密度だ。平日も休日も昼も夜もぐちゃぐちゃに混ざった一日を一緒に過ごしていた。今日が何曜日なのかそれを示す記号を認識する以外の感覚がなくなっていた。仕事明けの平日の昼間にクラタと二人で飲みながらその話をしたのがほんの数日前の様な気がしたが実際は1年前だった。弟がいればこんな感じだったのかもしれない。二階級特進なんてほんとにあるのだなとクラタの棺の前に置かれた階級章を見ながらぼんやりと思った。
私はクラタの両親に合わせる顔がなく、課長が頭を下げて感謝と謝罪、それかクラタがどれだけ素晴らしい人物だったかを述べている横で頭を下げているだけで精いっぱいだった。滲んだ視界の端にこわばった頬とにらみつける様な目を床に落とす課長の横顔を見た。課長も責任を感じている。コウガミ・サトルを見くびっていたのは私だけではない。2年間も平然と他人に成りすましていた人間だ。その時点で既に犯罪者だった。むやみに接触を試みるべきではなかった。まして駆け引きなどしてはいけなかった。私やクラタは自分の専門領域以外に首を突っ込むべきではなかった。
不覚にも涙を流してしまった。悲しいのか、情けないのか、悔しいのか、自分がなぜ泣いているのか分からなかったが、その思い浮かぶ感情のどれもしっくりこなかった。自分自身の感情すらわからなくなり、しまいには考えるのをあきらめて小さな子供のようにしゃがみこんで声を出して泣いてしまった。
捜査状況から私は保護対象となり、プログラムに従って、安全な住居に移される。捜査からも外されることになった。クラタの葬儀の日以来、朝起きてから酒を手放すことが出来なくなっていた。一時的に移された宿泊施設のベッドの上で酔いつぶれて気を失うその瞬間まで何かに耐えている。目を覚ますと身体が硬直して筋肉痛になっているのに気が付いた。吐き気を抑えながら横になったまま指先を見つめた。
クラタをゆすった時に触れた感触と体温が残っている。クラタの頬に触れた時に感じた違和感。いつぶりに他人の肌に触れたのか思い出せない。私は男も女も両親も誰も彼も全員嫌いだった。私の領域にずかずかと入り込んでくる奴ばかりで不快だった。一人で居たかっただけだ。だが、それでも暖かさが消えていく人間の体温は私に不安と恐怖を感じさせた。手についた血の感覚と匂いが頭から離れない。
思い出して、叫び出しそうになり、別の言葉を大声で叫びそれをかき消す。また怖くなり、酒を探そうと起き上がった。私はもう捜査のことなど考えられなかった。きっと私もクラタと同じようにコウガミに殺される。




