リカ/S
大粒の雨が窓ガラスに音を立てる。雨の日は気分が沈んで憂鬱だった。目に留まった雨粒の1滴が他の雨粒と混じって垂れるのを眺めながら曲がりくねった流れの後を無意識に指でなぞっていた。本当は雨のせいなんかじゃない。昨晩ワインを飲み過ぎてテンションが下がっていたので家を出る前にサインバルタを2錠飲んだら期待と逆にさらにテンションが下がったからだ。目の奥が痛い。髪を撫でると雨でせっかくセットした髪が跳ねているのに気が付いた。小さな苛立ちが重なる。
タクシーから降りた途端、お気に入りのジミーチュウのパンプスが石畳のくぼみにたまった小さな水たまりで濡れてさらに気分が下がった。しばらくラウンジも休んでいたのもあって久しぶりにヒールの高い靴で歩いたので足の甲が痛かった。かっこつけないでスニーカーで来ればよかったな。いや、変に目立たないほうがいい。黒のヌバックのパンプス、濃紺の細いピンストライプのパンツスーツに白のゆったりしたシャツを合わせた。黒縁の眼鏡をかけ、出来るだけ目立たないように心掛けた。タクシーの中から私の服装を連絡しているのでSの方から声を掛けてもらうつもりだ。
それよりも今更だけどSがとんでもなくヤバイやつだったらどうしよう。場違いな服装、あからさまに見た目がやばいやつだったらすぐに場所を変えるべきだ。こんなパブリックな場所で面倒なことになったらまずい。だがまともなホテルのラウンジを指定してくるくらいだから馬鹿じゃないかもしれない。それなら都市迷彩くらいはできるだろう。
「リカさんですか?」
呼ばれてから間を開けてしまったので慌てて振り向いた。今、私はリカだった。
「エスです。」
「あ、リカです。どうも」
なんて間の抜けた返事をしてしまったのだろうか。それにSは想像の中の人物とは全然違って若かった。私と同じくらいだろうか。不良にも見えないし、チャラチャラもしてない。黒髪、センター分けで普通のサラリーマンって感じ。別にオシャレなスーツじゃないけど彼に似合っている。ネクタイの柄が小さな花になっているのを見つけた。可愛いじゃん。まともな見た目の同年代と話すのは久しぶりで変に緊張してしまう。
「何か飲みますか?」
「あ、はい。」
借りてきた猫の様に肩をすぼめて返事をした。Sがウェイターに合図を送る。彼はコーヒー、私はダージリンを注文する。
だめだ、なんかさっきからなんか変なテンションになっている。久しぶりに飲んだサインバルタが今頃効いてきたんだ。男とデートで待ち合わせしてるんじゃない。クソ、余計なことをした。
「何から話せばいいですかね。まず私のことを少し話します。」
Sの学生時代から遡り、それからシステムエンジニアだったことを話してくれた。彼が高専を出ていることを知って共通の話題が出来た。私も高専卒だ。私は高専を出た後、大学に編入したが、彼は就職した。私もそうすべきだった。
彼も私と同じ27歳だった。あっさりとカネマツの顛末を話してくれた。彼はカネマツの内部の人間だった。少し内部からの工作が出来れば確かにどうとでもできる。内側を知らないのにいきなり外から短時間で攻略するのはさすがに難易度が高い。愚痴をこぼしているわけではないが、話の端々からシステムコンサルティング会社やフリーランスから見た大手企業に対する彼の話に静かな憤り、そして怒りを感じた。
私も同じだ。私は大学では浮いてしまっていた。システム工学はやはり男性中心だった。彼らとの会話はいちいちマウントの取り合いをしないといけないから面倒だった。それに訳の分からない男の連帯感は特に気持ちが悪くて、結局女は分かっていないというお決まりの謎理論で締めくくる。きっと私が顔のいい女で空気を読まないからだと言い聞かせた。
男が群れて馬鹿な結論を出す時に私は血の気が引いてぞっとする。だけどそれは女も同じだ。高校生の時にスカウトされてアルバイト感覚でモデルを続けていた。大学の授業に興味を持てずにモデルの方に本腰を入れていたが、結局女も群れると馬鹿な結論を出すのは同じだ。スケープゴードにされるのは私の様な空気を読まない女だった。
そのことに気が付き、うんざりしてラウンジでバイトするようになった。だが女は一人でも面倒で馬鹿な結論を出すことに気が付いてやがて誰ともつるまなくなった。
幸い一人でいることと、私が理解できるロジックだけで構成されているネットやソフトウェア分野のバイトと相性がいい。就職しなくても十分収入を得ることが出来た。息抜きにラウンジと少しモデルをすればいい気晴らしなる。彼が話したのと同レベルにとどめながら私のプライベートなことを話した。
彼の話は興味深くおもしろかった。やはり就職しておくべきだったと思った。ソーシャルハックが一番有効だ。チャンスがあれば企業のシステムに関わる会社に就職してみたい。彼と話し始めて2時間があっという間だった。そして、やっぱり私の直感は正しかった。変な気遣いもいらないし、対等に話ができるし、意味の分からない男理論もない。
でも、カネマツの件を聞いてしまったからには、私は彼に協力する仲間になるか、彼から狙われるかどちらかの存在にならないといけなくなってしまった。
「ミウラとクラタは俺のこと調べ始めている。どこまで把握しているか情報が欲しい。おそらくこれ以上追うことはできないはず。だけど、もしもの時は奴らよりも先に手を打ちたい。」
「分かったわ。クラタとのやり取りを中心に拾うようにする。彼らの上司が誰かくらいはすぐに分かるはずだからそっちも調べてみる。」
「ありがとう。あと別に計画していることがあるんだけど、それは追々話をさせてもらう。」
「私はこれが本業だから報酬が定期的に見込めるのがベスト。気が合いそうだし、何かあれば連絡して。」
「分かった。優先して相談させてもらう。」
私は頷いて笑顔で答えた。彼のいう「手を打つ」とは何を意味しているか確認したかったがやめた。それでも彼に協力しようと思う。彼は私と同じくらいにはネットやコンピュータに詳しい。いや実際は彼の方がエンタープライズのシステムに詳しい。稼ぎ方も知っているし、次を狙うための資金も持っている。それに彼の諦めや憤り、怒りは私のそれと共通の種類だと感じた。何かを始める動機としてそれはふさわしいと思った。




