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カウントゼロ  作者: Co.2gbiyek
2048bit
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13/25

前髪/チャンス

 帰宅してから真っ先にミウラ・ミカの家に仕掛けたデバイスに接続していた。Rootkitを使って管理画面上からもデバイスの存在が確認できないように無線LANルータとの接続を隠蔽する。昼間から日の当たらない部屋。照明もつけずにディスプレイに映るターミナルを見続けていた。ふと脇に置いたスマホの画面を見る。焦りで硬くなった自分の表情に気が付き、大きく息を吐く。椅子から立ち上がりナイロンパーカーを脱ぎ捨ててバスルームに向う。今日まずやるべきことは終わった。


 温かいシャワーを額に当てる。黒い水が足先からが滴るのが見える。額に垂れた髪をすくってこめかみをなぞり耳へかける。カラースプレーが落ちるとインナーカラーで入れたばかりのピンク色の髪が鎖骨から胸に垂れた。念のために家を出る時に帽子をかぶったうえにカラースプレーで髪色を消していた。人の家に侵入することなんてそうそうやることではない。周到に計画した。


 シャワーの温度を上げ、首筋に熱いシャワーを当てながら今日の事を思い返して笑いが止まらなくなった。計画通りうまくいった。思い切った行動に出た自分自身を褒めてあげたい。4階のエレベータが止まるタイミング含めて今日の私はついていた。4階には二部屋しかない。エレベータから降りてくるのは1/2の確率でミウラ・ミカだ。ニヤついた口元にシャワーの水が入り込む。あと一つ。今日はあと1つクリアできればもっと面白くて大きいことに関われる。


 Sからの依頼は男女二人組が誰か調べるところまでが最低ラインだ。できれば二人の情報をとってほしいというだった。私はターゲットの情報を抜くために上司の女の家にデバイスを仕掛けた。依頼の内容から立ち入り過ぎてしまっている。Sがどう反応するか次第で次が決まる。先走る馬鹿だと思われたらアウト。


 出来ればこのままSの依頼に関わりたいと考えていた。実際Sがどんな奴かもわからないが、少ないやり取りから私には直感があった。Sとのコミュニケーションはこの世界固有のある種の違和感がない。ここでは普通の事が異常で目に留まる。この世界に馬鹿はいない。使い捨てられてすぐに消える。だから馬鹿はすぐに消えていなくなる。


 ここでは馬鹿ではないが違和感が目立つ奴があまりに多い。馬鹿の異常はロジックも理解できるので対処がしやすい。だが馬鹿ではないのに異常な奴のロジックは到底理解が出来ない。何を基準にしているのか分からない相手と対峙し続けると次第にこちらの感情が揺らいで不安定になってしまう。いずれ奴らと同じになってしまうのが怖かった。


 意味の解らない依頼主よりもまともな精神の依頼主の方がよっぽどましだ。だから次が重要だ。おそらく外野はこの辺りまでだ。私は踏み込む必要があった。他の奴よりも使えることを示す必要がある。実際に今がそのタイミングだ。


 Sとの連絡手段はTorを使ったプライベートドメインの先にある個別チャットを使っていた。個別チャットでミウラとクラタが警視庁の人間であることは今朝伝えている。あとはミウラの家にデータフック用のデバイスを仕掛けたことを伝えるだけだ。


 Sが動いていることをミウラに知られたら私は終わりだ。そのリスクを鑑みればSのあいまいな依頼に対して間抜けな対応をする使えないやつだと取られかねない。私が使える奴かどうか、まだSは判断できないだろう。少なくともミウラの家の無線LANのファームが記録できる各種ログからは私の痕跡は消している。データフック用のデバイスについているとばしのSIMから私を追うことはできない。売り元が私を知らなくても済むようなスキームなのだから。


「情報ありがとうございます。少し難易度高い相手になりますが、情報とれそうでしょうか?懸念がありそうであれば無理にアプローチしなくても大丈夫です。」


「ミウラの家にデータフック出来る仕掛けをいれました。逆向きのトレースはできないように周到に仕掛けています。どんな情報を取りますか?」


「OK。とても仕事が早い。ちなみにどういう仕掛けですか?少し気になりましたので知っておきたいです。」


「コンセントの内側に軽量なOSとSIMを入れたメザニンを差してきました。SIMはとばしのスキームで、データの送り先はTorを介してonionドメインのオブジェクトストレージです。ミウラの家に仕込んだのは私自身で、この件を知っているのは私だけです。」


「オブジェクトストレージのオーナーは誰ですか?」


「ウォレットがIDで支払いもそこからです。ウォレットは捨てても問題ないです。」


「OK。私がやるとしても同じようなことを考えたと思います。まずはミウラの動きを探ってほしい。もし受けて頂けるのであれば、ここから先は込み入ったことをお伝えすることになります。大丈夫ですか?」


 テキストを見た途端、心臓が収縮するのを感じてキーボードを打つ手が止まった。一瞬、母親の顔がよぎって何を基準に判断すればいいのか見失った。


 勝ち・負け、善・悪、損・得、かっこいい・かっこ悪い、可愛い・可愛くない。優先される判断基準の軸は人によってさまざまだ。私はもちろん損・得だ。だが犯罪を孕んだ上で損・得を見極めるのは難しい。Sが示しているのは明らかに一線を越えることになることをのめるかという意味だ。


 カネマツの件を指していると仮定した場合、日本でこの金額規模や社会へのインパクトを考えると刑事事件で執行猶予はつかずに即実刑。見せしめだ。執行猶予を付けさせないなら5年は確定だし、もしかしたら5年程度では済まないかもしれない。私がやっていたのはグレーなことや取るに足らないような小さな犯罪だ。そう言い聞かせていた。だがこれは違う。分かっていたはずなのに具体的なことを想像した途端、身体の動揺を許容できず、感情をやり過ごすことができなかった。


 覚悟が足りずに日和ってしまったことにすら動揺しながら、おぼつかない手元でワインのボトルを握ると濡れた水滴が手首まで垂れた。グラスにゆっくりとワインを注ぐ。頭の中の母親の顔をかき消すように薄口のグラスに唇をつけて一気に飲み干す。姿勢を正して、ディスプレイを睨みつけようやく自分に従う意思を取り戻した。結局自分で決めた事しか覚悟を持てない。


「大丈夫です。そちらの信用を見せてもらうことはできますか。」


「OK。会って直接話をするのではどうでしょうか。他にも頼みたいことがあります。しばらくこの件にかかりきりになってもらうことになると思いますがそれも問題ないでしょうか?」


 依頼主と直接会うメリットはない。だがSの提案は正しい。まだ私がこの件について入り込んでいないこのタイミングだからこそ直接会うことが出来る。今後会うことはできない。今Sは誠意を見せている。


「OK。どちらも問題ないです。」


 明日の10:40にインターコンチネンタルのジュネヴァロビーバーで落ち合うように指示された。ウォレットの通知メッセージを見て、アプリをあげる。2つの依頼とベースラインを超えた分でSからの支払い累計が6万ドルを超えていた。



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