決着
渋谷SKYで繰り広げられた魔法少女と始祖の死闘を、ぼくは最前線で見守った。ぼくがそばにいるほどに星崎さんが強くなるのなら、近づかない理由はなかった。
始祖の姿をぼくははじめて見た。
人の形をしていた。顔も四肢も人間のそれで、体表面には磁器のような光沢があった。顔立ちはミカと同い年くらいの男の子に見えた。人間のように口を動かして聞くに堪えない罵詈雑言を吐き、表情を歪ませて尖った歯を剥き出しにする。あからさまな威迫。けれどその裏には確かな暴力が紐付いていて、見かけ倒しでなく実際にぼくの命など簡単に奪えるのだと思ったら震えが止まらなかった。悪意や憎悪が形を持って襲いかかってきているようで、獣のようなシャドウと対峙する時とは別種の恐怖があった。
それでも、気づくとぼくの足は一歩前に出ていて、始祖と戦う星崎さんに近づこうとしていた。
ぼくが近づくたびにアルトから怒声が飛んできた。アルトの防御魔法のおかげでかろうじて被害を受けずに済んでいる。これ以上近づくのは危険だし、戦う魔法少女の邪魔にもなる。わかっていても、何かしなければという強い衝動が無意識に体を動かしていた。
やがて、戦いの終幕が訪れた。
きっかけは、突如現れた魔法陣から放たれた強大な一撃だった。瀑布のように降り注ぐ魔力の奔流が、意識外である頭上から始祖の体を焼いた。
始祖はその攻撃を受けきった。ダメージがあったのかはわからない。ただ、それが始祖の激しい怒りを買ったことはわかった。ぎょろりと血走った目が空の一点を見た。屋上展望台から離れた空中、そこに四ノ宮さんがいた。
始祖は人差し指を伸ばした腕を四ノ宮さんへ向けた。ぎゅん、と空間を無理に圧縮したような奇怪な音がした。始祖の指先に光が灯っている。煌々として輝くそれが、とてつもないエネルギーの塊であることをぼくは察した。撃たれたら、逃げられない。四肢が弾け飛ぶ四ノ宮さんの姿がイメージとして横切る。
だがその光弾が放たれるより前に、レナさんの二刀が始祖の腕を断っていた。
制御を失った光弾は天高く放たれ、空と雲を切り裂いて飛び、やがて炸裂して強い光を渋谷上空から降らせた。影が濃くなったように錯覚するほどの、強い白黒のコントラストで世界が塗り替えられる。
今だ、と思った。
「カンナ!!」
レナさんが絶叫し、二刀を始祖の胴体に突き立てる。
「やれ!!」
アルトが咆吼とともに拘束魔法を展開。刃のついた鎖が始祖の全身に絡みつき、その自由を奪う。
神宮寺さんと他の契約妖精は封印魔法発動のための補助魔法を展開している。
すっと、星崎さんが腕を掲げると、辺りから音が消えた。
細いブロンドの髪が強い風を受けてはためいている。長い手足は宙に固定されたようにまっすぐ伸びて、銀のドレスは魔力を帯びて仄かに発光している。
碧い炎を宿した瞳が、射抜くように始祖を見る。
始祖が何事かを、つばを飛ばしながら息巻いた。怒鳴り散らして自分を大きく見せようとしているけれど、実際のところこれ以上ないほど狼狽しているのが傍目にもわかった。怯えているのを誤魔化そうとして虚勢を張っている。ぼくはその姿の卑小さに幻滅を覚えると同時に、こんなやつに二風谷さんや大勢の人が殺されたという現実に虚しさを感じずにいられなかった。
あまりにも醜い姿。けれどある意味では、下劣な敵の最期として相応しいといえる。
「──展開」
凜とした声で告げられた簡素な言葉と同時に、それは始まった。
始祖を中心とした空間がぐしゃりと潰れた。
一瞬の出来事だった。始祖の姿は折り畳まれた空間に飲まれて見えなくなっている。
わずかな間があった。
ばりん、と音がして、潰れた空間から始祖の腕が突き出してくる。
即座に二度目の圧縮が起こって、飛び出してきた腕は再び空間の中へと飲まれていった。その後も三度、四度と、大きな紙を乱暴に押し潰してぐしゃぐしゃにするみたいに、何度も何度もあらゆる方向から圧縮されていく。空間は内側へと折り畳まれて、その上から更なる圧縮が加えられ、内へ内へとめり込むような動きを繰り返す。
続いて、屋上展望台のへりから立ち昇るようにして大量の黒い波がやってきた。シャドウの大群だ。襲ってきたのかと身構えたけれど、その黒い津波は始祖が潰され続ける空間の中心へと流し込まれ、彼らの王とともに圧縮を受けた。
黒い濁流を飲み込みながら圧縮を続ける空間。
しばらくすると黒い波が収まった。それと同時に圧縮の速度が鈍化を見せる。
最後の圧縮を終えると、あとには何事もなかったかのような顔をして平然と元の状態へと戻った展望台だけがあった。
強い風が吹いていた。ごうごうと音がうるさくて、静寂とはほど遠い状況。なのに、静かだ、と感じることに不思議と違和感はなかった。
ぼくたちは誰ともなく歩き出して、ちょうど始祖が折り畳まれたあたりに集まった。星崎さん、レナさん、神宮寺さん、そして妖精たち。互いに顔を見合わせながらも、誰も口を開かない。
そのとき不意に風向きが変わって、星崎さんの長い髪がぼくの顔を打った。
「わぶっ!?」
「あっ。ごめん」
「いえ……」
髪を押さえながら謝る星崎さんと目が合った。
少しばかりの沈黙。
次の瞬間、ぼくたちは笑いをこらえることができなくなった。
「ぷっ……あはははは!」
「ふふ……あははっ」
ぼくたちの笑い声が伝染していく。レナさんや神宮寺さん、妖精たちも笑った。
笑い終えた星崎さんが、感慨深そうにため息をついた。
「終わったね」
「ええ。……みなさんはすごいです。立派でした」
「紫童くんだって。こんなところまで来てくれて」
「うんうん。みんな頑張ったんだよ。みんなで掴んだ勝利なの。みんなで……」
そこまで言うと、レナさんはぼろぼろと泣き出した。その場に座り込んで、
「ヒマリちゃんも一緒に、ここにいてほしかったな。みんなでディズニー、行きたかったな」
泣きじゃくる彼女に、ぼくはかける言葉がない。神宮寺さんが膝をついてその背中をさすっていた。ぼくは星崎さんを見た。星崎さんもぼくを見ると、寂しそうに笑顔を浮かべて、「ヒマリを迎えにいかなきゃね」と言った。それを聞いてぼくも寂しい気持ちになり、つい目を伏せる。いけない。勝ったのにこんな暗い顔をしていては。前を向こう。そう思い直して、もう一度顔を上げる。そして、
「……え、」
魔法少女たちの背後の空間に醜い亀裂が走ったのを見た。
それを見たのはぼくしかいなかった。神宮寺さんや妖精たちは涙を流すレナさんに注目していたし、星崎さんはぼくを見ていたからだ。
動ける者はぼくだけだった。
反射的に右腕を伸ばしていた。因果の縁が絡んだ右腕を、導かれるように。その腕で星崎さんの体を押して、突き飛ばす。亀裂の向こうの悪意が星崎さんを狙っていることを肌で感じ取った気がした。
先ほどまで星崎さんがいた場所、そこへ伸ばした右腕に、横から殴られたような衝撃を受けた。
赤黒く細い、血管のようなものが右腕の付け根を複数箇所貫いているのが見えた。出所を目でたどる。その先には、亀裂があった。
ぐん、と腕が引かれる感覚と同時に、世界が高速で流れていった。足が地面を離れたのがわかった。浮遊感と遠心力に襲われ、体が宙を舞っていることをどうにか理解する。「うそ!?」「紫童くん!!」強ばった叫び声が聞こえた。強引にたぐり寄せられたせいで貫かれた腕の穴が少しずつ引き千切れていく。そのあまりの痛みに、状況を把握しようとかどうにかしようなどと考える余裕はなく、ただ「ひいぃ」と情けない声を出すことしかできない。
亀裂に引き寄せられる。やがて後頭部でガラスを割るような感覚とともに、世界が闇で塗り潰された。




