いろいろ終わったら
星崎さんがかけたのは魔法少女の正体──つまり星崎さんたち個人に対する記憶阻害魔法だけだ。魔法少女の存在については現在、認識阻害が働いていない。よってその活動は隠されることなく衆目に晒された。
ではいったん解除された認識阻害魔法はお役御免となったのかというとそうではなく、今はぼくにかけられていた。ぼくと星崎さんの間にある因果の縁、それをシャドウがたどれる状況に変わりはない。「紫童リンネに認識阻害魔法をかける」という当初の目標は、思わぬ形で達成された。
護衛の必要がなくなったので、アルトはぼくのそばを離れて星崎さんのもとへと戻った。立ち去るときのアルトの顔はずいぶんとすっきりしていた。今まで付き合わせてきて申し訳ない気持ちと、相棒と別れるような寂しい気持ちがないまぜに押し寄せてきたのはぼくだけだったろう。アルトは絶対、そんなセンチメンタルにはなっていない。
妖精がいなくなると、ぼくが魔法少女の動向を知る手段は極端に制限された。星崎さんやレナさんとメッセージのやりとりはしているけれど、彼女たちがどんな戦いをしているのかは見えてこなかった。知ったところでぼくにできることがあるわけでもなく、野次馬根性を見せてるみたいで訊ねることもはばかられた。結局、マスコミ報道やSNSの投稿が魔法少女の戦いぶりを知るための最も有用な情報源となった。
ぼくは相変わらず魔法の練習をしている。薄々気づいている。これをしたところでぼくが魔法を扱えるようになることはない。それでも因果の縁を濃くするという効果はあるようなので、それにどんな意味があるのかはわからないけれど、自分にできる唯一のことをぼくは続けている。自分も何かした気になりたいという、自己満足だ。
ぼくの生活からすっかりと魔法少女の気配が消えていた。
自分では見えない因果の縁と、彼女たちのことを忘れていないという事実だけが、ぼくと魔法少女の繋がりを証明している。
◆
夏休みが終わり、始業式を迎えた。
教室にレナさんの姿はない。空いた机と椅子が不自然に存在する教室を問題にする人はいない。
誰も浅倉レナという女の子のことを覚えていない。
星崎さんの教室も同様だった。帰り際、廊下からそれとなく様子を窺ったけれど、騒ぎひとつ起きていなかった。ただ、誰もがどことなく所在なげにしているように見えたのは、輪の中心にいた人が存在ごと消えた違和感を無意識に感じ取っているのかもしれないと、そんなことを考えながらぼくはその場を立ち去った。
靴を履いて外に出る。とたんに、騒々しい蝉の声と、むわりと土臭い空気が肌にまとわりつく。刺さるような日差しを受けた体は見る間に汗ばみ始める。八月終わりの空は恨めしいほどの快晴だ。
そんなとんでもなく暑い空の下、レナさんは日傘も差さずに校門の傍らで佇んでいた。
「あっ、リンネくん!」
ぱっと表情を明るくして、手を振るレナさん。肩の見える白いトップスとキュロットスカートのコーデが明るい表情にマッチして、思わず胸が高鳴った。上半身のラインがはっきりと出ていて、レナさんの主張する胸部の存在感に、目のやり場に困ってしまう。
「ん? どしたの?」
「い、いえ別に」まさか胸に目がいっていたとは言えないので、話題を変える。「それより、お久しぶりです。今日はどうしたんですか」
「うん? ああ、うん、ちょっとね」
レナさんは目を泳がせて、言葉を探すようにしている。
「ほら、始業式だし、学校見ておきたくて」
「ここからですか? 中に入ればよかったのに」
「……あー、それはちょっと、ね」
そばを通る生徒たちがぼくのほうへ訝しげな視線を投げてくる。その目はぼくだけを見ている。それで理解した。彼らの目にはレナさんの姿が映っていないのだ。レナさんのいるあたりに目がいくと皆、眉根を寄せて気分が悪そうな表情をする。まさしくいま記憶の書き換えが行われていて、それによってレナさんは存在自体がないものとされている。
「……ああなっちゃうからさ。申し訳なくて」
苦笑いをしたレナさんは、「まあともかくさ」と、ぼくの手を取ってはにかんだ。
「歩きながら話そうよ」
ぼくとレナさんは人目の少ない河川敷の道を並んで歩いた。じりじりと容赦ない日差しが照りつけていたけれど、「見てて」とレナさんが手を動かすと、とたんに熱が和らいだ。見ると、頭上に発生した分厚い曇りガラスのようなものが太陽の光を遮っている。
「空間を歪めてみたんだ。どう?」
日差しの下でぼくを待っていたレナさんが平然としていたのはこの魔法のおかげか。ぼくは素直な感想を口にする。
「すごいですね」
「えへへ、これでも成長してるからね」レナさんは嬉しそうな表情を隠さない。「こういう系統の魔法がわたしは得意みたいでさ、いろいろ勉強中なんだ~」
わたしだって役に立ちたいから。そう言って笑うレナさんは、本当に眩しかった。
暑さが和らぐと、河川敷の道は落ち着いて歩くのにいい場所だった。車の音が遠く、時々自転車が通り過ぎていくけれど、魔法を持たない人たちは日射を避けられないので人が少なかった。川面ではちりばめられた光の粒がきらきらと瞬いて、なぜだか胸が詰まるような感情が湧いてくる。
校門からここまで、ぼくとレナさんは手を繋いだままだった。嫌じゃないのだろうか。そんな疑問が頭をかすめる。レナさんの横顔からは気持ちを読むことはできない。
ぼくの視線に気づいたのか、こちらを見たレナさんと目が合った。ぎくりとする。
「ん? なに?」
「ええっと、その……、元気そうでよかったなって」
「あはは。ありがとー。おかげさまで元気だよ~」
「慣れましたか。三人での生活は」
答えが返るまでわずかに間があった。繋いだ手にぴくりと緊張が走った気がした。
「楽しいよ~。最初はどうなるかと思ったけど、ヒマリちゃんやスズカさんのおかげで毎日笑ってばっかり。仲間っていいなって再確認できた」
そう答えるレナさんの様子に変わったところはなかった。……先ほどの違和感は気のせいだったのだろうか。
「リンネくんはさあ、ディズニーランド行ったことある?」
不意にそんな質問がやってきた。意表を突かれた思いを抱きつつ、答える。
「ええ。家族で何回か」
「そっかあ。……好き?」
上目遣いで窺うように尋ねられたので、一瞬何を聞かれているのかわからなくなりそうになった。
「ええと、そうですね、好きですよ」
「そうなんだ。えへへ。好きなんだ……」
レナさんは満足そうにうんうん頷いたあと、遠くを見た。
「わたし、実は行ったことなくてね」
「そうなんですか」
「うん。だからね。いろいろ終わったら、一緒に遊びに行こうよ。どう?」
「いいですね」
レナさんがあどけない笑顔を見せる。
「わあ、楽しみになってきちゃった。制服着て、カチューシャつけてさ、シンデレラ城の前で写真撮るの夢だったんだ。アトラクションもいっぱい乗りたいし、ショーもたくさん見たいな~。あ、でもはじめてだと効率的に回るのは難しいのかな。リンネくんに任せれば平気かな?」
「えっと……どうでしょう。ぼくも詳しいわけじゃないですから。他のみなさんはどうなんですか?」
「……ん?」
レナさんの笑顔が凍りついたように固まった。
「……他のみんなって?」
「魔法少女のみなさんですよ。……あれ? みんなで行くんじゃないんですか?」
「…………やだなあ! もちろん、みんな、で行くに決まってるじゃない! ほら、合宿も楽しかったし? またどこか遊びに行きたいね~って話してたんだ。そうしたらテレビでディズニー特集やってたからいいなあって。それで、なんだっけ。ディズニーに詳しい人? あー、スズカさんがわたしたちの中では一番知ってるかも! 聞いてみるよ! それじゃ、約束ね! いろいろ片付いたらみんなでディズニーに行こう! 楽しみ~!」
口を差し挟む間もない。ほとんどひとりごとみたいに勢いよく語るレナさんにぼくは圧倒され、曖昧な笑みを返すことしかできなかった。
そうこうするうちに、河川敷の道は分岐にたどりついた。下り坂になっていて橋の下をくぐっていく道は、このまま川沿いを歩き続けることができる。逆に上り坂になっている道は、広めの通りにぶつかっていったん途切れていた。道路を渡れば道は続いているが、ぼくの家に向かうにはぶつかった通りに沿って曲がる必要があった。
歩みを緩め、隣の様子を窺う。察したレナさんが少し気まずそうに「実はね」と口を開いた。
「今日会いに来たのは、リンネくんにお願いがあったんだ」
「どうしたんですか」
「カンナがね、話があるんだって」
どきりと胸が高鳴る。体の奥のほうからほのかな期待と高揚感が湧いてくる。星崎さんからの話。いったいなんだろう。
「……そうだよね。気になるよね。えへへ……」
レナさんが居心地悪そうに笑うのを、ぼくは申し訳ない気持ちで聞いた。そんなに態度に出ていただろうか。気持ち悪かったかもしれない。
レナさんに手を引かれ、ぼくらは人目を避けて橋の下に移動した。あたりを見回して誰もいないことを確かめてから、レナさんの転移魔法のなかに飛び込んでいく。




