適合者 浅倉カグヤ
魔法のなかを抜けると、ひやりとした風と清涼な空気がぼくたちを迎えた。
あっという間に到着した富士山麓の暑さは、都会のそれとは感じ方がまるで違った。木々のざわめき、ほのかに聞こえる水の音、虫や鳥の鳴き声がバックミュージックのように空間を覆っている。木立の隙間から見える空は青々としていて、木漏れ日が気分を落ち着かせる。
そこでようやく、おや、と気がついた。ぼくたちは今、コテージを取り囲む木立のなかにいた。建物は見えているけれど、少し距離がある。どうしてこんな離れた場所に出現したのだろう。
「……あのね。言いそびれてたんだけど……」
レナさんは表情を曇らせて言いづらそうに口ごもる。ようやく意を決したように、ごくりとのどを動かしてから、彼女は口を開いた。
「いま一緒に住んでるのって、わたしたち魔法少女だけじゃないんだ」
「え? あ、四ノ宮さんもいるってことですか」
「そうじゃなくて……。その、いるのはわたしの妹なんだけど」
「妹? それってあの……」
そのとき、視界の端、コテージのほうで何かが動いたのが見えた。反射的にそちらへ顔を向ける。コテージ二階の窓のあたり、赤いなにかが揺れている。人影に見えた。なんだろうかと目をこらすと、窓が開いた。
その窓から一直線に、赤い残光がぼく目掛けて飛んできた。
世界が回り、顔に衝撃がくる。後頭部を押しつけられ、土の匂いが鼻腔を突いた。右肩に痛みが走る。動かせない。組み伏せられてると気づくのと、「カグヤ!? なにやってるの!!」とレナさんが叫ぶのはほぼ同時だった。
「なにお姉ちゃんの体に触ってんのよ」
どこかで聞いたことのある声だった。幼さと可愛らしさが同居していながら、険のある女性の声。完璧に死角を取られていて、相手の顔は見ることができない。
「なんの、こと……」
「は? しらばっくれないで。あたし見てたんだから。お姉ちゃんの手をまさぐってたでしょ」
「そんなことしてないよ!?」動揺した声をあげたのはレナさんだった。「あれは手を繋いでただけで……!」
「……? なんでお姉ちゃんがこんなやつと手を繋ぐの?」
「それは、その……。と、とにかく! なんでもないんだから早く放してあげて!」
その言葉でようやく力が緩められ、ぼくは自由を取り戻した。痛む右肩をかばいつつ、体についた土や枯れ葉を落としながら立ち上がり、ぼくを組み伏せていた張本人と相対する。
勝ち気な瞳が印象的な、赤髪の女の子だった。
「なに見てんのよ」
「まずは自己紹介でしょ! ……あはは。ごめんねリンネくん。この子がわたしの妹で、浅倉カグヤっていうの」
カグヤさんは腕を組んで品定めをするような視線をぼくに投げつけている。
姉妹ゆえに、顔の作りはよく似ている。なのに、受ける印象はまったく異なっていた。レナさんは人好きのする顔立ちという印象なのに対し、カグヤさんの顔つきには人を寄せつけない鋭さがあった。穏やかで温かな柔らかい日差しと、容赦なく照りつける灼熱の太陽くらい違う。
それ以外で目を惹いたのは、カグヤさんの格好だった。彼女の全身は一般的な衣服ではなく、体をぴったりと覆う金属質なスーツに包まれていた。ガンメタリックなそれは、よく見ると小さな鱗状のパーツが無数に組み合わさってできていた。体の動きを邪魔しない、全身にフィットする鎧、なのかもしれない。
しかしあまりにもフィットしすぎていて、カグヤさんの持つ大きな胸や、くびれた腰、曲線的で女性らしいボディラインがありありと見て取れてしまう。いたたまれなくなったぼくは、それとなく目を逸らした。
「なに目逸らしてんのよ」
それを咎められた。さっきは「何見てるんだ」と言われた気がするのだけれど。なかなかに理不尽な子だった。
「エロいと思ったんでしょ」
「え!? いやそれは……」
「いいのよ別に。そう思ってくれて。そういう風に作ったんだから」
「作った……?」
「ねえどうなの。あたしの体、えっち? 欲情する? 正直に言ってみなさい。遠慮しなくていいから」
「いや、あの、ええ……?」
ぼくはわかりやすくパニックに陥っていた。振る舞いが規格外すぎる。カグヤさんが一歩近づいてきた。妖しい笑みは期待に満ちていた。ぼくは思わず一歩退いて、大きめの枯れ枝を踏んでしまいバランスを崩した。その間にさらに一歩、近づいてくるカグヤさん。ぼくはもう動けなかった。カグヤさんの手がぼくの胸元に伸ばされて──
「カグヤ!!」
刺すような声に、カグヤさんは伸ばした手をびくりと引っ込めた。
レナさんが烈火のごとく怒っていた。見たことがない表情だった。
カグヤさんは伏し目がちになって、「ごめんお姉ちゃん」と小さく謝った。
「怒らないでよ。ちょっとからかっただけじゃん……」
「早く変身を解いて」
「でも……」
「いいから。早く」
「……はい」
有無を言わさぬレナさんの態度に、粛々と従うカグヤさん。
ぱしゅん、と音がしてスーツは光の泡となって消え、その下からふわりとしたシルエットのワンピースを身にまとったカグヤさんが表れた。
「可愛い?」
得意気な表情のカグヤさんに尋ねられ、ようやく自分が目の前の少女に見とれていたことに気がついた。
「あの、はい、可愛いです。とてもよく似合ってます」
「ふふん。当然。ま、いっか。今日のところはこのくらいで許してあげる」
何かを許されたらしい。カグヤさんはくるりと背中を向けてコテージへと歩き出す。その背中を見送りながら、「はああ」とレナさんが深いため息をついた。
「ごめんねほんとに……」
「はは、いえ……」
嵐のような人だった。レナさんの妹だと聞いていても、にわかには信じがたい。
「小六からずっと入院生活だったから。わたしも両親も妹には甘くって。わがまま放題で、もう」
「無理もないですよ。……あの、そうするとカグヤさんは」
こくりと頷くレナさん。そうして、笑った。陰のある笑顔だった。
「カグヤはアーティファクトの適合者になったの」
そうだったんですか、としか言えなかった。レナさんがあまりにも浮かない表情をしていたからだ。
こちらの心情に気づいたのか、レナさんは「ごめんね」と謝ってきた。それから遠い目をして、立ち去るカグヤさんの背中を見つめている。
「……わたしはたぶん、幸せなんだよね?」
尋ねるような口調だけれど、それは独白だった。
「治る見込みもなかったあの子が、こうして元気に生きられるんだから。こんなふうに冗談言ったり怒ったりできる日常がくるなんて、想像してなかったもの。たとえこれから危険な戦いが待ってるとしても、わたしが護ってあげればいいだけだよね。一緒にいられて嬉しいよ。それは本当の気持ち。うん。わたしは嬉しい。カグヤといられて、嬉しい……」
ぼくはミカのことを考えた。それから、レナさんの気持ちを。
かける言葉は見つからなかった。




