改造人間 四ノ宮リリカ
「ごめんね」
学校正面の坂を下り、川沿いの通りにぶつかったあたりで、星崎さんがそう言った。
「紫童くんの気持ちも考えずにあんなこと言って」
ぼくは首を振って、笑顔を見せた。
「そうするほうがいいと思ったんですよね? あれでよかったと、ぼくも思います」
実際、噂が立てられるのは時間の問題だっただろう。根も葉もないことを好き放題言われるくらいなら、はじめからこちらで宣言してしまうほうが幾分コントロールできるだけましだ。
「紫童くん、好きな人はいないの?」
「……はい?」
唐突な質問に、聞き間違いかと耳を疑った。その内容が星崎さんの口から出るものと思われなかったからだ。
「誰か気になる人がいたらいけないと思って」
それを言うならすでに手遅れなのだが、幸いそういう相手はいない。「いませんよ」と笑うと、星崎さんは少しほっとした様子だった。
「……星崎さんはどうなんですか」
これは聞いてもいいのだろうか。踏み込みすぎではないか? そう思いつつ、逆質問をする。案の定というか、星崎さんは首を振った。それはそうだろう。好きな人がいるなら、自ら「紫童と付き合う」なんてことを言うはずがない。
「いたとしても、わたしのやることは変わらないよ」
内心を見透かすように、星崎さんはいう。碧い視線をまっすぐぶつけて、臆面もなく。
「紫童くんを護るためにわたしは全力を尽くす」
敵わないな、と思う。ぼくは星崎さんの言葉をそのまま信じた。彼女は必ず宣言通りに行動するという確信があった。好きな人がいてもぼくと手を繋ぐし、そのほうが都合が良ければぼくと「付き合ってる」と言ってのけるだろう。
その献身に喜びを感じないといえば嘘になる。だけど、その感情には後ろ暗さがつきまとう。
そして同時に、危うさも。使命のためならなんでもする星崎さんの意志の強さが、いつか彼女自身を棄損するのではないか。そんな一抹の不安を感じずにはいられない。
「……しかし暑いね」
容赦のない日差しがぼくたちを焼いていた。星崎さんは頬を流れる汗を手の甲で拭うと、「見てて」と悪戯っぽく微笑んで指先をくるくると動かした。
流麗な動きに合わせて、冷気をまとった白い雲がもくもくと広がり、ぼくらの頭上を覆っていく。
「日陰を作る魔法。昨日覚えたんだ。はあ、涼しい」
屈託なく笑う星崎さんに、ぼくは曖昧な笑みを返すことしかできなかった。彼女の凄まじさを知れば知るほど、焦燥が募る。
早く強くならなければ。土手道を星崎さんと手を繋いで歩きながら、強迫感にも似た思いを強くする。
その女性が現れたのはそんなときだった。
正面から歩いてくるその人の存在に、ぼくは気づいていなかった。星崎さんが足を止めてぼくの手を引いたことで、ようやく周囲の光景が目に入ってきた。
異質な気配をまとう大人だった。
背が高かった。宵闇みたいな暗紫色の長い髪は、あまり手入れがされていないのか艶がなく、それでいて胸の下までまっすぐストンと伸びており、彼女の細い体をより印象づけるのに一役買っていた。漂う気配は鋭くて、にらみつけるような視線をぼくらに投げてきており、緊張を強いられる。特に目を惹くのは、左目から頬にかけて顔の半分近くを覆う逆三角形の眼帯だった。
飢えた野犬を思わせる風体。それがぼくの第一印象だった。
「こんにちは四ノ宮さん」
星崎さんが声をかけた。まさか知り合いなのかと、その表情を盗み見る。星崎さんは目の前の異様な様子の大人に怯むこともなく、涼やかな表情をしている。
「あァ」
ハスキーな声だった。四ノ宮と呼ばれた女性はそれ以上の返事をせず、つかつかと近づいてくると、腰を折り曲げてぼくの顔をのぞき込んだ。彼女の放つ圧迫感に、思わず息を呑む。
「てめェか」
何を言われているのかわからずにいると、四ノ宮さんは親指を眼帯の縁に引っかけて、上へとずらした。
眼窩に嵌まっていたのは人間の目ではなかった。
彼女の髪色にも似た、深く綺麗な紫色をした宝石だった。石の内部を電子回路のような線が幾筋も通っているのが、妖しく明滅する光が走ることで見て取れた。
「……マジで因果の縁が通ってやがる。しかもそれだけじゃねェ」
眼帯を元の位置に戻し、腰をまっすぐ直した四ノ宮さんは忌々しそうな口調でそう言った。
「おいガキ」
それがぼくへの呼びかけだと気づくのに数秒かかった。
「右肩か?」
「え?」
聞こえるように、舌打ち。あからさまに当てつける態度に、ぼくは戸惑うほかなかった。なんなんだこの人は。本当に大人なんだろうか。
「シャドウにやられたのは右肩かって聞いてンだよ」
「あ……はい」
「フン。やっぱりな」
「あの……どうしてわかるんですか」
「因果の縁が絡まりついてんだよ。排水溝にひっかかる髪の毛みたいにな。なんでそんなことになってんだよ。気味悪ィ」
いつのまにか四ノ宮さんの手のひらになにか小さなものが乗っていた。殻付きのクルミ、あるいは梅干しの種のようにも見える、茶色くて丸い物体を、ぼくに向かってかざすように持っている。ぼくはそれに向かって反射的に手を伸ばす。
ぼくの指が触れる前に、四ノ宮さんは拳を握ってそれを手の内に隠してしまった。
「違うな。おまえじゃない」
気づかぬうちに何かを見定められたのだと理解した。四ノ宮さんのぼくを見る目が、あっという間に興味をなくしたのがわかったから。
「アーティファクトの適合者探しですか」
星崎さんの口から聞き慣れない単語が出てくる。「あァ」と答える四ノ宮さんの手からはすでに先ほどの物体は姿を消していた。
「使える駒は多いに越したことはないからな」
「シャドウはわたしたち魔法少女が倒しますよ」
「さっさとそうしてくれると助かる。ところで」四ノ宮さんがぼくを指さした。「こいつに何させてるんだ?」
「魔法を使う練習です」
四ノ宮さんが哀れむような視線をぼくに向けた。
「涙ぐましいな」
「無理だと思いますか?」
「知るか。せいぜい頑張ればいいさ」
ひらひらと手を振って踵を返す四ノ宮さん。もう用は済んだようで、一度も振り返ることなくその場を去っていった。
嵐のような人だった。
「行こうか」
何事もないように手を引いて歩き出す星崎さん。ぼくから尋ねないと説明してもらえそうにない。
「さっきの人は?」
「四ノ宮リリカさん。わたしたちの味方だよ」
「魔法少女なんですか?」
「ううん。あの人は改造人間」
「改造人間?」
「四ノ宮さんはそう自称してる。妖精やわたしたちはアーティファクトの適合者って呼んでるけど」
アーティファクトとは、妖精界に伝わってきた旧代の遺物だという。
「四ノ宮さんの眼、見たでしょ? あれがそう。適合できれば強大な力が身につく。わたしたちが魔法少女になるまで、四ノ宮さんはひとりでシャドウと戦ってた」
「ひとりで? どうしてですか」
「適合条件がわからないんだ。適合者になったのは四ノ宮さんがはじめてで、それまでアーティファクトは単なる骨董品の域を出なかった。だから、そうだね、妖精界における伝説の武器みたいなものかな。見向きもされずにいたそれを見出したのが、四ノ宮さん」
「伝説の武器……なんだかすごそうですね」
「そうだね。でも魔法少女はもっとすごいよ」
自慢するような言葉がらしくなくて、つい星崎さんの顔を見てしまった。
星崎さんは穏やかな表情をしていた。凪のように静かで、感情の揺らぎがない。そこには強さを衒う意思など微塵も見られない。
そうして気づいた。彼女はただ事実を告げただけなのだと。
「アーティファクトが伝説の武器なら、魔法少女は神代の英雄。妖精界のおとぎ話の中にしかいなかった存在が実体となったもの」
澄んだ目をした星崎さんが、預言のように言い渡す。
「わたしたち魔法少女は、必ずシャドウを討ち滅ぼすよ」




