居直りの交際宣言
夏休みまであと数日。帰りのホームルームが終わって、クラスメイトたちは三々五々、教室を出て行ったり集まって談笑したりと集団を作っていく。ぼくは頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。抜けるように青い空に浮かぶ大きな白い雲。まさに夏といった光景で、見目には爽やかだけど、外の気温は地獄のように違いなかった。太陽の熱で焼けたアスファルトからの照り返しや、立ち上る熱気に包まれる帰り道を想像するだけで気が重くなる。
教室に残っていた同級生たちのはっと息を呑む気配がした。皆の視線が向けられている扉のほうへ、ぼくも首を巡らせる。
教室の入り口に星崎さんが立っていた。微笑をたたえて小さく手を振る彼女の所作は美しく、毎度ぼくは呼吸を忘れそうになる。我に返り、鞄を手に立ち上がると、何気ないそぶりで彼女へ近づいた。クラスメイトの視線がぼくに集まっているのがわかる。
「お待たせ紫童くん。帰ろうか」
教室に星崎さんが迎えにくるこの光景も定番となっていた。はじめはぼくが星崎さんのクラスに行っていたのだけど、ぼくが現れると星崎さんは自分を取り囲む友人たちとの会話を打ち切るので、いつしかあちらのクラスメイトたちからものすごい目でにらまれるようになってしまった。それならぼくが教室で待っていたほうがいいと、星崎さんに来てもらうことにしたのだった。
「レナは?」
「今日は妹さんに会うからって、先に帰りました」
「そう」
廊下を歩き出してすぐ、
「……あの、星崎さん!」
呼びかけられて立ち止まった。振り向いた先には、同じクラスの女子三人グループが立っていた。話しかけてきた子……岡田さんは興味津々といった様子が隠せていない。他クラスのアイドルに声をかけたことに緊張しているのか、上気した顔で落ち着かなさそうに手遊びをしていた。後ろのふたりはさらに不安そうで、岡田さんの陰に隠れるようにして成り行きを見守っている。
「なに?」
星崎さんの凜とした声が響く。岡田さんは惚けたような表情になったあと、正気に戻って「あの、えっとね、ちょっと、ていうか」と、拾い集めるようにして言葉をつないでいく。
「聞きたいことがあるんだけど」
「うん。どうしたの?」
「その……、星崎さんと紫童くんって、付き合ってるの?」
思考が止まった。なにを聞いているんだこの子は。
隣に立つぼくには目もくれず、岡田さんは星崎さんのことだけ見ている。その態度で、ぼくが何を言っても耳に入らないだろうとわかった。
星崎さんは微笑を崩さないまま、少しだけ首を傾げた。
「付き合ってないよ」
「でもさでもさ」
食い気味に言葉を重ねてくる岡田さん。否定されるのを想定していたのかもしれない。
「毎日一緒に帰ってるでしょ」
「うん。そうだね」
「やっぱり」
後ろのふたりと目を合わせた岡田さんの顔はなにかに勝利したように誇らしげだった。
けれど、それでも表情を変えない星崎さんが問いを重ねる。
「やっぱりって、なにが?」
「え?」
「一緒に帰ってると、何かを証明したことになるの?」
岡田さんの表情から余裕が消え、困惑の色が浮かぶ。
「……だって、その、毎日一緒に帰ってるなんてやっぱりふたりは付き合ってるってことじゃないの」
「付き合ってないと一緒に帰らないの?」
岡田さんがぐっと言葉に詰まったのがわかった。すぐに目尻を上げて、「だけどさあ」と、やや熱を帯びた声で反論する。
「手繋いで歩いてるところ見た子だっているんだよ」
疑問符の浮かんだ表情で星崎さんが首をひねる。
「付き合ってないと手は繋がないの?」
「手繋ぐなんて付き合ってるってことでしょ!」
星崎さんがぼくの顔を見て、「そうなの?」と尋ねる。ぼくに聞かないでほしかった。岡田さんがにらむような目をぼくに向けている。こわい。
「……手を繋いでいるから付き合ってるとまで言えるかはわからないけど」そこまで言ったところで岡田さんの目つきがきつくなった。こわい。まだ途中だから待ってほしい。「……手を繋ぐのは、ただの友達より親密なんだなとは思います」
当たり障りのない回答のはずだった。実際、岡田さんの主張は極端だけれど、言いたいことはわからなくもない。友達同士で手を繋いだりは普通しない。ましてや男女間では。ぼくらは「普通」ではないから手を繋いだけれど、その事情を岡田さんに説明するわけにもいかない。
「そっか」
星崎さんは細い指をあごに当てた。それから思いついたように眉を跳ねさせると、岡田さんに向き直って、
「手を繋ぐのも、腕を組むのも、それよりもっとくっついたとしても、付き合っていればおかしくないってことだよね?」
ぞくりと背中に冷たいものが走った。その問いは、まずい。このあと何が起こるか、ぼくには見えてしまった。星崎さんの性質。こうと決めたら躊躇いがないこと。
星崎さんの問いかけは相手の意見を求めるものではなかった。無自覚だろうけれど、望む答えを引き出すための圧が、彼女の美しい顔貌から放たれている。その圧に、岡田さんがすっかり怯んでいるのが傍目にもわかった。
「つ、付き合ってればおかしくないんじゃないの」
はじめからそう主張していたのは岡田さんなのに、今は言わされている。いつのまにか立場が逆転していた。そのことに困惑し、後ろのふたりと顔を見合わせて不安を解消しようとしている。
「そっか。わかった」
星崎さんの碧い瞳が細められる。その相槌がぼくには、居直りの合図のように聞こえた。
「じゃあそうするね」
「……は?」
「付き合うよ。わたしと紫童くん」
女子三人はすっかり言葉をなくしていた。それをまるで気に留めず、星崎さんがぼくへと手を差し伸べる。微笑みを浮かべ、優雅に腕を伸ばす様は絵画のように美しい。
「行こう」
促されるままに彼女の手を取る。引かれるままに歩き出す。
視線を感じるけれど、もうどうでもよかった。
星崎さんと手を繋いで歩いているだけで、いつもの廊下が違う世界みたいに感じられた。




